「吹きさらしの刑務所」に身を寄せる避難民たち——終わりの見えないシリア内戦を生き延びる

2020年07月08日掲載

© Hélène Aldeguer  https://helenealdeguer.com/© Hélène Aldeguer  https://helenealdeguer.com/

今年の6月半ば、シリア政府軍は北西部のイドリブで大規模な空爆を再開した。トルコと国境を接するイドリブ県は、反政府勢力に残された最後の拠点だ。9年におよぶ内戦で、身も心も打ちのめされた国内避難民およそ270万人がここに身を寄せる。

「吹きさらしの刑務所」と言われるイドリブで避難しているイマンさん、ハッサンさん、そしてアブ・ファデルさん。内戦の恐怖と惨事を経験してきた3人の市民が、それぞれの日々を語った。

安全な場所はどこにもなかった

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8人の子をもつイマン・ウム・ジアッドさん(43歳)は、首都ダマスカス近郊の東グータ地区で暮らしていた。東グータは反政府勢力の拠点で、2013年にはシリア政府軍の化学兵器使用が疑われる攻撃で標的となった。

「義理の姉を化学兵器の攻撃で失いました。空爆は昼夜を分かたず行われ、包囲攻撃で食べものが何もない日が続きました」

イマンさんが辛かった時期について打ち明ける。当時、母親も亡くなった。服用していた薬が手に入らなくなったからだった。さらに夫の畑仕事を手伝っていた息子をも失う。パンを手に帰宅しようとした道すがら、射殺されたのだ。

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ただ生き延びるために、グータ地区内で6、7回引っ越しを繰り返した。「それでも空襲はどこまでも追ってくるんです」

2018年2月、シリア軍は大規模な空爆を行い、多数の犠牲者を出した。東グータが陥落すると、ほかの住民たちと同じように、イマンさんは残留を拒み、4月に家族とともにイドリブへ避難した。

「現政権が続く限り、グータには戻れません。政府はこう発表したのです。戻れば、私たちは投獄されるか処刑されると。安全な場所などありません。イドリブでさえも。もうどこに行けばいいのかわからない」とイマンさんは嘆く。

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一家が避難したキャンプには、公衆トイレこそあるものの、清潔な水が足りず、電気も通っていない。この2カ月間は新型コロナウイルス感染症のため、子どもたちの学校も授業を中断している。

イマンさんの娘たちのなかで、2人は東グータ地区にとどまった。ごくたまに留守番電話にメッセージを残し合う。通話しないのは、軍に逮捕されることを恐れているからだ。

イドリブで一緒に暮らす10歳の娘ジャナは、飛行機の音が聞こえるたびにパニックに陥るという。

「ジャナはこれといった理由もなく泣いたりして、いつも悲しげです。私に心配をかけまいと気遣ってくれますが、無理をしているんです」

ジャナはひっきりなしに戦闘と爆撃機の恐怖を絵に描く。「私たちは東グータで包囲され、ここイドリブでもまた同じ目に遭っています」とイマンさんは訴える。

極度の恐怖で感覚が麻痺する

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内戦前、ハッサン・アブ・ノアさん(33歳)はホムス県に住む学生だった。「抵抗するのは義務だ」と感じたハッサンさんは、抗議運動に参加。政府と反体制派が交渉をしていた時期に、アレッポ県に避難した。そこで1年滞在したが、空爆が激しさを増したため、2019年1月に再び避難を余儀なくされる。

「まるでスローモーションビデオを見ているかのようでした。誰もが車に飛び乗り、走り去っていくのが目に入りましたが、何も感じられなかったんです。車のバンパーがくっつくほどの渋滞で、蟻の行列さながらでした」とハッサンさんは語る。

逃げゆく住民をめがけて、戦闘機は爆弾を投下し続けた。ハッサンさんと息子たちの頭上にも弾頭がかすめていった。

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イドリブの町に昨年から住み始めたハッサンさん。家賃が払えないので、友人の家に滞在している。妻と子どもたちは村の親戚のもとで暮らす。全ての避難民が生活できるだけの宿泊施設は、町に用意されていない。

イドリブでは外部との商取引ができないため、物価が非常に高い。水道がないので、他のものと同様、水さえも高くつく。

「イドリブは、希望のない陰うつな街に見えます。キャンプであろうと街であろうと、感覚の麻痺と悲しみに満ちています」とハッサンさんは言う。

「私もありとあらゆる感情を味わってきました。恐ろしい思いをしたり、何もかも普通のことかもしれないと考えようとしたり。虚しさや、時には幸せを感じることもありました。いまは、ふと自分は大丈夫なのだろうかと思ったりします。昔は銃声を怖がっていたのに、爆撃機や爆音が聞こえても、関係のない話を始められるようになってしまいましたから」

シリアを脱出するには、密入国業者にお金を払ってトルコに入国する必要がある。ハッサンさん一家全員分であれば、約1万2000ドル(約128万9820円)かかる。

「腎臓を売れば、いつでも工面できますよ」と笑いながらハッサンさんは言う。

「シリアから離れたくはありません。家族と同じ屋根の下で暮らしたいだけなんです。政治も私たちの暮らしも、今後どうなるのか何もわからない。それでも希望を捨てていません。だからこそ命を脅かされるのでしょうね」

閉じ込められ、出口はたった一つ

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イドリブ県の村で生まれ育ったアブ・ファデルさん(40歳)。この6カ月間、妻と4歳から15歳までの5人の子どもたちと共に、仮設キャンプの20平方メートルに満たないテントで暮らす。今年6月に起きた戦闘のため、さらに大勢の人がキャンプへ押し寄せた。

「どうやって生き延びたかではなく、果たして生き延びているのかと聞いてほしいものですね」とアブ・ファデルさんは声を荒げる。

「答えはノーです。友人や親戚からお金を借りていますが、いつ返せるか。それどころか死ぬ前に返せるのかどうかも分かりません」

目を閉じて、生まれ育った村に戻った自分を思い浮かべるアブ・ファデルさん。2階建ての実家の近くで、子どもたちが遊ぶ姿──。彼の願いはシンプルだ。ただひたすら、以前の生活に戻りたいというだけだ。

「内戦前にどう暮らしていたか、もうほとんど忘れてしまいました。不安で夜中によく目が覚めます。子どもたちのことが心配なのです。ここでは学校にすら行けない。学校が大好きだったのに」

「現政権は、イドリブに住む人びとを皆テロリストと見なしています。いとこは銀行で現金をおろそうとしただけで逮捕され、それきり帰って来ないのです」とアブ・ファデルさんは言う。

一家が住むテントは、冬は冷凍庫、夏はオーブンと化す。アブ・ファデルさんはキャンプの中を歩き回り、近くの人たちとお茶を飲んで一日を過ごす。事態が悪化すれば、トルコ国境にさらに近い場所へ避難することになるだろう。

「私たちはここに閉じ込められていて、出口は一つあるのみです」

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