「戦闘が明けても…」医療のない南スーダン辺境 少年を助けるため、看護師は動いた
2023年05月04日
2022年2月、南スーダン北部のアゴク(※)で住民間の武力衝突が起きた。人びとはアビエイ町などの避難民キャンプへ逃れ、国境なき医師団(MSF)は10年にわたるアゴクでの活動の中断を余儀なくされた。
半年後、調査のため現場を訪れたMSF緊急対応チームの看護師マールテン・ブレンスは、大やけどを負った一人の少年との出会う。この時、彼が起こした行動とは──。
※スーダンからの分離独立後、領有権が争われているアビエイ特別行政区の南端
医療から取り残された辺境の地へ

朝6時、大雨の中で出発。南スーダンの道は舗装されていないから、楽しいドライブにはならないでしょう。雨期は地面がぬかるんでいるので、150メートル毎に降りて、泥にはまった車を押さないといけないのです。5時間後、ようやく滑走路に到着。ここから目的地の北部アゴクまでは、小型飛行機で30分です。
着陸後、2022年2月に戦闘がぼっ発して、運営の中断を余儀なくされたMSF病院に向かいます。逃げ出した人びとが村に戻ってきたと聞いていましたが、確信が持てず、行って確かめたかったのです。

午前11時半、辺りはまだゴーストタウンのようですが、コミュニティ指導者たちやさまざまな家族に会えました。その中に、MSFスタッフの訪問を聞きつけ、助けを求める人がいました。そして出会ったのがホスさんです。
5~6歳かと思いましたが、7歳の少年。栄養失調のため、実年齢より小さく見えます。でも家族が求める治療は栄養失調ではなく、ホスさんが1カ月前に負った左腕と胸のやけどでした。地域に病院がなく、伝統的な薬だけでは治らなかったのです。腕は化膿し、手を動かせなくなっていました。
話をするうちに、2歳の時にかかったマラリアが原因で、脳に治せない障害が残ったことも知らされました。家族の見分けもつかない状態で、定期的な発作に悩まされている、と。ホスさんが調理中の火の中に倒れ込んでしまったのは、その発作のせいでした。

事態は複雑です。今回の訪問は、患者の避難や搬送のためではなく、地域の人びとの健康状態を把握するためだからです。ただ私は、この親子の苦しみにいたたまれなくなりました。医療者としても、こんな状態の患者を治療せずに放っておくわけにはいきません。
一番近い医療施設は、アビエイ町のMSF支援先病院。それでも何十キロと離れていて、子どもと保護者を連れて行くのは簡単ではありません。家族やコミュニティにどう影響を及ぼすか、行きは用意できても帰りも手配できるか、など多くのことを考慮する必要があります。さらに治安状況が変わりやすく、洪水も繰り返し起きていて、通信手段も限られている──。治療のための移動という理由は明らかでも、不安定な環境ではその選択が容易にいかないのです。

家族やコミュニティの代表と話し合った結果、ホスさんと母親を連れて発ち、父親は他の子どもたちと残ることに決まりました。このコミュニティでは携帯電話を数台しか持っていませんが、少しでも連絡を取り合えるようにと、ホスさんの母に1台が手渡されました。ここで医療を受けようとすることは家族の大きな犠牲を伴うのだと、このやりとりからも知ることができます。
回復の道を歩む少年 こぼれた笑顔

午後2時、出発です。病院までの旅路は今朝よりも長丁場に。初めて車に乗ったホスさんと母親が、不安も重なって乗り物酔いしてしまったのです。泥のせいだけでなく、二人が外の空気を吸って落ち着くまでの間も車を止め、路上での時間は果てしなく感じられます。午後8時、アビエイの病院に到着。ホスさんはすぐに治療を受けることになりました。

翌日、洗浄した傷口がまた感染しないよう、腕に包帯を巻かれたホスさんに会いました。少年と母親の顔には笑みが浮んでいます。患者や家族の表情が、不安から笑顔と癒しに変わる──私たちはこのような瞬間のために、現実がどれだけ厳しくても、この人道援助活動を続けているのだと改めて気づかされるのです。
