戦闘の続くスーダン:いまこそ人道援助が必要──日本社会は関心を持ち続けて

2023年07月15日

4月15日以降、スーダン軍(SAF)と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間で激しい戦闘が続くスーダン。国内では多くの人びとが避難を強いられ、銃撃や性暴力などさまざまな危険にさらされている。
 
国境なき医師団(MSF)の落合厚彦は、昨年6月からスーダンに派遣され首都ハルツームで現地活動責任者を務めた。衝突の激化後は、隣国エチオピアへの退避を経て、日本に帰国した。落合が語るスーダンでの活動、そしていま日本社会に向けて訴えたいこととは──。

医療が受けられない現実

「スーダンの状況は悪化しています。医療を必要とする人びとは増えており、いまこそ人道援助が不可欠です」。落合はそう話し、日本ではスーダンに関する報道が少なくなっているが、それは状況が改善していることを意味しないと強調した。

現在スーダンが直面する課題の一つとして、医療へのアクセスが限られていることを挙げた。病院が爆破されたり、医薬品も人も電力も足りず病院が稼働できなかったりする中で、スーダンの人びとが医療を受ける機会が奪われているという。「医薬品や医療物資の物流が滞り、医療スタッフも安全に職場に向かうことができない状況が続いています」。
避難していた宿舎の地下室で。状況を分析し、スタッフと情報共有を行った(写真左:落合)=2023年4月22日 Ⓒ MSF
避難していた宿舎の地下室で。状況を分析し、スタッフと情報共有を行った(写真左:落合)=2023年4月22日 Ⓒ MSF
4月15日の衝突後、現地にいる間も既にその困難は感じていた。衝突が激しくなるに従い、治安上の理由から医薬品の倉庫にも行けなくなった。「チームメンバーは皆、宿舎の地下室に幽閉されているような状態でした。状況が好転したらと活動再開の可能性を探っていたものの、よくなる兆しがなかった。ハルツームでは活動を続けることができなくなったため、一部のスタッフを別の町に残して活動を続け、他のスタッフはやむを得ず退避となりました」

また、現在スーダンでは人道援助団体の活動が制限されていることも、医療活動の大きな壁になっていると指摘。海外派遣スタッフのビザはなかなか発給されず、国内の人と物資の移動も制限されている。人びとを取り巻く環境は悪化し、医療ニーズは全土で高まっているにもかかわらず、援助団体が活動するのが極めて難しい状況が続いている。

4月15日戦闘開始──あの日から

土曜日の朝、現地の仲間たちと連絡を取り合っているチャットで最初の一報を受けました。確認のため宿舎の屋上に上がり市内を見渡すと、黒煙が上がり、「パン、パン、パン!」と銃声も聞こえました。爆発音や銃声が近づく中、安全のため全てのスタッフと地下室に避難。最低限の明かりの下で息をひそめる生活が8日間続きました。

町の西側に黒煙が上がる様子を屋上から確認=2023年4月21日 Ⓒ MSF
町の西側に黒煙が上がる様子を屋上から確認=2023年4月21日 Ⓒ MSF
宿舎の敷地内で発見した銃弾=2023年4月15日 Ⓒ MSF
宿舎の敷地内で発見した銃弾=2023年4月15日 Ⓒ MSF

もっと現場に近く、もっとできることを

ニーズの拡大に対応してスタッフの数と活動の範囲を広げ、MSFは現在、スーダンの12州 で活動を展開している。ハルツーム州と北ダルフール州では戦闘による負傷者の治療に対応。ゲダレフ州とジャジーラ州では、難民や国内避難民への医療の提供や水・衛生活動に取り組み、青ナイル州では栄養失調の治療や基礎医療の提供を行っている。 また、いくつかの州では、病院や医療施設へ医療物資や燃料の寄贈を継続中だ。

「僕たちのチームの一部はハルツームから一時的に退避しましたが、MSFはいまも医療・人道援助を提供するために活動を続けています。膨大なニーズには追い付いていないけれど、援助を届ける道筋を模索している。もっと現場に近く、もっとできることはないか──絶えず努力を続けています」

ジャジーラ州の州都ワドメダニでは、保健省と連携し移動診療を運営 Ⓒ Ala Kheir/MSF
ジャジーラ州の州都ワドメダニでは、保健省と連携し移動診療を運営 Ⓒ Ala Kheir/MSF

衝突が起きた際も、懸命に活動を続けるスーダン人スタッフの姿を見てきた。MSFの宿舎やオフィス、倉庫に勤務する警備スタッフやドライバー、無線の担当者たちだ。彼らは通常12時間でシフト勤務を終えるが、衝突が激しくなり交代のスタッフが来ることができなくなってしまった。

「それでも、ハルツームでも他のプロジェクトでも、誰もが『交代のスタッフが来るまでいるよ』と言い仕事を続けてくれました。彼らにも家族がいます。状況が深刻になる中、家族のことが心配でないはずはない。それにもかかわらず、MSFのオフィスや倉庫を守ってくれた。本当に感謝しているし、頭が下がります」

緊急時のリーダーとして

地下室に避難している間も電話やインターネットは通じており、情報の中にはデマやプロパガンダもたくさんありました。そのため、情報をきちんと分析し、想定される事態や対策を皆に共有することに努めました。また、スタッフが「自分が役に立っている」と感じられるよう、料理を担当する係やスタッフの心身の健康をサポートする係など仕事を割り振り、チームとして目標に向かって進める環境作りも心掛けました。

医療体制はすでに崩壊

2017年からこれまで計3回にわたり、プロジェクト・コーディネーターや現地活動責任者として、スーダンでの活動に携わってきた落合。スーダンでは昨年から医療従事者や公務員によるストライキが頻繁に起こり、今年4月15日に衝突が始まる前からすでに医療体制は崩壊に近かったと話す。

「MSFが、小児栄養失調の治療や感染症の予防対策、水と衛生活動を支援していた西ダルフール州の医学校附属病院では、昨年2カ月間ストライキがあり、多くの病棟が機能していませんでした。病院には、何年もの間、州都ジェネイナや近くの避難民キャンプだけでなく、西ダルフール全域から絶え間なく患者が訪れていました。地域の医療ニーズの高さは明らかです。MSFはスタッフも足りない中、新たに人員を補充してなんとか運営を続けました」。そのような事態はスーダン各地で起きていた。

そうした中、医学校附属病院は、昨年4月26日に略奪に遭い、病院の一部が損壊。以来、再開の見通しは立たず、閉鎖されたままだ。

「診療所があっても人がいない、人がいても医薬品がない。そのような状況がまったく珍しくない。それがスーダンの医療現場の現実でした」。不安定な医療体制に、今回の衝突が追い打ちをかけた。

西ダルフール州、州都ジェネイナの医学校附属病院。2022年4月に同地で武力攻撃が連鎖的に発生した際は被害に巻き込まれた Ⓒ Nargiz Koshoibekova/MSF
西ダルフール州、州都ジェネイナの医学校附属病院。2022年4月に同地で武力攻撃が連鎖的に発生した際は被害に巻き込まれた Ⓒ Nargiz Koshoibekova/MSF

関心を持つことが支えに

これまで長い間、スーダンに赴き多くの時間を過ごしてきた落合。スーダンにはどのような思いを感じているのか。「MSFで働く場合、その土地が好きだからというわけではなく、どこに人道援助、医療が必要なのかということで、渡り鳥のように活動地から活動地へと行くものです。だから、一つの国に対する特別な思いは、あるようでない──でも、現在のスーダンの状況はとても心配しています」。と話し、言葉を続けた。

「日本で目にするスーダンのニュースは、武力衝突や紛争、食料不安などネガティブな印象ものが多い。でも僕が思い出すのは、とても心の優しいスーダンの人たちのこと。本人も辛い状況に置かれているはずなのに、周りのことを常に気にかけてくれる」

日本大使館から退避の連絡があったことを伝えた際、スーダン人スタッフからは「絶対に出国して」と言われた。「国外に避難できない立場の彼が、僕を心配して声をかけてくれる。そういう温かな心遣いができる人たちの存在は、スーダンの魅力の一つだと思う」と語った。

スーダン流の「おもてなし」

僕を含めた外国人同士でレストラン食事をしていた際、見知らぬスーダン人の男性が来て、「食事の代金を払わせてくれ」と言われたことがありました。スーダン人の同僚いわく、それはスーダンでは普通のこと。スーダンに来てくれた外国人にはいい思いをしてもらいたいから、おもてなしの気持ちで申し出ている、だから受け取らないと失礼にもなる、と説明を受けました。路上のカフェなどでもお金を受け取ってくれないことがあり、「お願いだから払わせてくれ」と思うことも多々ありました。

日本社会においてスーダンへの関心が低下するいま、ニュースにならない=状況が改善しているとわけではないと改めて訴える。医療体制が崩壊した中で人びとは危機にさらされ、医療ニーズはますます高まっている。物も人も足りておらず、今こそ継続的な支援が必要だ。日本にいる私たちができることとは──。

「日本にいる人たちは、スーダンに関心を持ち続けてほしいと思う。一人一人が関心を持つこと。それがスーダンの人たちの大きな心の支えになるはずです。また、スーダン国内においては、人道援助団体への妨害の中止、医療へのアクセスの確保、医療施設とスタッフへの攻撃が中止されることが重要です」。そう、言葉を結んだ。

スーダンで現地活動責任者を務めた落合厚彦 Ⓒ MSF
スーダンで現地活動責任者を務めた落合厚彦 Ⓒ MSF

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