スーダン:2度の嵐で行き場を失ったエチオピア北部からの難民
2021年06月28日「昨夜は命の危険を感じました。私のテントは壊れてしまったので、荷物を持って、補強してあった祖父のテントに避難したところ、中には既に20人もの人たちが身を寄せていたんです。横になれるほどのスペースはなく、座ってひたすら夜明けを待ちました。こんなキャンプにはもういたくありません。でもティグレに戻るわけにもいかず、一体どうしたらいいのか分かりません」
これは、スーダン東部のゲダレフ州アル・タニデバ難民キャンプに滞在する、エチオピア北部・ティグレ地方出身の女性、リガトさん(25歳)が語った体験談だ。雨期が始まり、5月から6月にかけ2度の嵐に襲われたこのキャンプは、ゲダレフ州に2つある公式難民キャンプのうちのひとつであり、もう一方のウム・ラクバ難民キャンプと合わせて、ティグレでの紛争から逃れてきた約4万人の難民を受け入れている。
安全を求めてたどり着いた先の難民キャンプで、いま、人びとは再び行き場を失っている。
多くのテントがつぶれ、MSFの診療所も被害に
「住んでいるテントを自分で補強しました。テントがつぶれてしまった人も多く、昨日の夜は、20人もの人たちが避難してきました。こんな時は助け合わなければいけませんから」と語るのは、40歳のダグニューさんだ。また、28歳のアフトゥムさんは木の柱をテント内に立てて、一晩中支えていたという。
この二人のように、事前にテントを補強できた人もいるが、難民のほとんどは資材や資金の不足によって補強ができず、200ものテントが暴風雨によって倒壊した。その結果大勢の人びとが他の人のテントに身を寄せるか、共用テントでの生活を強いられている。
国境なき医師団(MSF)の診療所も嵐による被害を受けた。この診療所は、2020年12月から医療チームによる一次・二次医療、入院治療、ワクチン接種、栄養失調の治療、新規難民の健康診断のほか、水・衛生チームがトイレと緊急浄水場の設置といった援助を行い、人びとの健康を支えてきた。
MSFプロジェクト・コーディネーターのセルジオ・スコーは言う。「金属製の屋根が損傷し、救急処置室は使えなくなってしまいました。壁もあちこち崩れています。薬品庫も水浸しですが、幸い薬と物資の箱は棚の上にあったので無事でした。診療所の被害は復旧できます。でも人びとが悲鳴をあげ、真夜中に安全を求めて逃げ惑う様子は、痛ましいものでした」
対策の必要性を訴えていたにもかかわらず……
アル・タニデバ難民キャンプは、「黒綿土」と呼ばれる粘土質の土壌の上に建設されている。黒綿土は乾期には固くひび割れる一方、雨期になると湿って膨張し、泥のような状態になる。
こうした地理的条件から、MSFはキャンプを管理する当局、援助機関、各国政府、資金拠出国など各方面に対し、雨期の激しい気象がもたらす危険性と、暴風や洪水への備え、テントやトイレの補強の必要性を訴えてきた。
MSF現地活動責任者のジャン・ニコラ・ダンジェルゼは指摘する。「こうした対策は難民が到着するまでに実施しておくべきでした。対応が遅れたせいで、多くの難民がキャンプを離れざるを得なくなってしまったのです。MSFは今後もキャンプ内で援助活動を続ける予定ですが、テントや身の回りのものを失った人びとの精神的な苦痛を取り除くことはできません」
「ここにはもういられない」危険を承知で欧州を目指す人も
5月上旬に最初の嵐に見舞われた後、キャンプ内はパニックに陥り、多くの難民が雨期への不安を理由に退去を希望した。連日何十人という人たちがキャンプを離れ、その中にはティグレの紛争地域に戻る人や、ゲダレフ州内の別の村に移動する人もいるが、大部分は欧州を目指すためにリビアへと向かい、命がけで地中海を渡ろうとしている。
「4人の友人がリビアへとたちました。最後に電話で話したのは2カ月前です」。こう話すのは、キャンプに滞在するベンさん(24歳)だ。「危険な旅であることは彼らも承知の上ですし、私も何度も忠告しました。でも『もうここにはいられない』と言う友人たちを止めることはできませんでした」
16歳のローズさんは言う。「ティグレから来た人は皆、国に帰りたがっています。雨期になると、このキャンプには安全な場所などありませんし、どのテントも壊れてしまいそうです。ですが何とか生き延びることができたら、かなえたい夢があるんです。それは故郷に戻って学校に通い、法律を勉強すること。でも──」。彼女はそこで言葉を区切った後、最後にこう言った。「この状況から抜け出せる日が、どうしたらくるのでしょうか」