スーダン:ダルフール地方の辺境へ ロバに乗り医療を届ける 

2020年10月23日
ダルフール地方にて。山奥にある活動現場までロバに乗って向かう © MSF
ダルフール地方にて。山奥にある活動現場までロバに乗って向かう © MSF

スーダン西部のダルフール地方は、17年におよぶ紛争に苦しんできた。オマル・アル=バシル前大統領の失脚と暫定政権の発足を機に大きく変化したものの、武力衝突は止まず、治安状況が依然として緊迫している。

今年2月、国境なき医師団(MSF)は、紛争の中心地で2008年以降、人道団体が足を踏み入れることができなかったロケロ町と、山岳地帯にあるウモで活動を開始した。MSF医療チームリーダーのナステー・シュクリ・マハムドが、現地入り後の体験をつづった。

険しい山岳地の道なき道を行く

MSF医療チームリーダーで看護師の<br> ナステー・シュクリ・マハムド。<br> エチオピア出身 © MSF
MSF医療チームリーダーで看護師の
ナステー・シュクリ・マハムド。
エチオピア出身 © MSF
私の任務が始まったのは9月上旬。人口約20万人の町ロケロと、ウモという地域で医療援助を行うプロジェクトに加わったのです。
 
ウモは山脈に囲まれた辺境の地で、広大な岩場に点在する数十の村々に約5万人が暮らしています。反政府の武装勢力が支配し、政府軍をはじめとした勢力との権力や資源をめぐる戦闘が今も続く地域です。ウモへの移動手段は、ロバかラクダのみ。道路がないので、車で乗り入れることはできません。ロケロからウモまでは4時間かかりますが、岩だらけで地面は滑りやすく、非常に骨の折れる険しい道のりです。
 
雨期の間は、舗装されていない道がぬかるんで、ウモへたどり着くのはさらに困難となります。ある日にはロバでの移動が8時間に及び、降りた後に10分ほど歩き回らなければ、両脚の感覚を取り戻すことができませんでした。合併症を起こしてこの道のりを搬送される妊婦にとっては、さぞかし辛いことでしょう。
ロケロからウモへと向かう道のり © MSF
ロケロからウモへと向かう道のり © MSF

ウモでは、転落や乗馬事故でケガをする人が少なくありません。また、戦闘で銃撃を受けた外傷患者も多くいます。雨期の終わりが近づき、劣悪な生活環境が原因となる上気道感染症や皮膚病も増えつつあります。

 
妊婦や出産直後の女性の死亡率の高さも、この地方の特徴です。妊娠初期の流産は、ロバへの騎乗や過度な労働が原因なのだそうです。MSFの分娩施設で出産する女性はまだ少ないものの、長老たちや伝統的助産師らと話し合うなどの普及活動を進めています。

MSFチームの到着を歓迎するウモの女性と子どもたち © MSF
MSFチームの到着を歓迎するウモの女性と子どもたち © MSF

1日に2食の質素な食事

この辺りでは大半が農家で、モロコシやキビの栽培が行われています。しかし長年の紛争でたびたび畑仕事が中断され、収穫は思わしくありません。そのうえスーダンの経済危機によって、必需品の価格が高騰し、多くの家庭では日に2食の質素な食事を取るのがやっとの状態です。

 
特に心配なのが、ウモの子どもたちの栄養失調です。最初の1カ月間だけで重度の栄養失調児を60人治療しました。ロケロにあるMSF入院栄養治療センターにも常時5~6人の子どもがいて、栄養失調や下痢、呼吸器感染症などの合併症に苦しんでいます。先週も、急性栄養失調で衰弱した2歳の女の子が運び込まれました。年齢よりもあまりに小さな体ですが、ほんの1週間で別人のように元気になり、食欲も戻りました。母親は、回復の速さにも、私たちの診療が無償であることにも驚いていました。

栄養失調の男の子(2歳)を診察するMSF救急医 © MSF
栄養失調の男の子(2歳)を診察するMSF救急医 © MSF

ロケロとウモの村落に暮らす人びとは、人道援助なしには生きていけません。清潔な水や教育、安全といった基本的なものさえ手にすることができないのです。また、住民の約6割は何の保健医療も受けられずにいます。これらの地域にある20カ所の医療施設のうち、機能しているのはMSFの2つの診療所を含む8カ所のみです。

 
それでも一部の人びとが慎重ながらも楽観的なのは、先日、スーダン暫定政府と反政府勢力の間で和平合意が交わされたからです。ダルフールの平穏と和解、安定に向けた第一歩であり、何十万人もの避難民が故郷へ帰還するきっかけとして、希望がもたれています。

MSFがウモに開設した診療所 © MSF
MSFがウモに開設した診療所 © MSF

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