新型コロナウイルス:感染拡大がパレスチナ住民に与える苦悩──『異常な日常』を生きる人びと

2020年05月15日掲載

パレスチナ自治区では、新型コロナウイルスの感染者数が300を超えた。世界の多くの都市と同様に、ヨルダン川西岸地区は全面封鎖(ロックダウン)されている。これ以上の感染拡大を防ぐためだ。一方で、この厳しい措置が同地区に住む約320万人の生活に深刻な影響を与えている。

現在、世界中で無数の人びとが人生で初めての移動制限下に置かれている。しかし、占領下のパレスチナ人にとって、こうした制限はいまに始まったことではない。長年にわたる暴力と政治的緊張のなかで、以前から移動を制限されてきたのだ。 

パレスチナの「異常な日常」

パレスチナ・ヨルダン川西岸地区の主要都市ヘブロン © Juan Carlos Tomasiパレスチナ・ヨルダン川西岸地区の主要都市ヘブロン © Juan Carlos Tomasi

「他の場所では異常とされることが、ここパレスチナの人びとにとっての日常なのです」そう話すのは、国境なき医師団(MSF)プロジェクト・コーディネーターのタレク・ザイド・アルキラニ。彼が活動するナブルス県は、2018年、イスラエル人入植者とパレスチナ人との間の暴力事件が最も多かった場所だ。「移動制限は、以前からパレスチナの人びとにとって日々の現実の一部でした。イスラエル入植地やその周囲で起きる暴力事件も、そんな現実の一部です。新型コロナウイルスの流行後も、その現実はなにも変わりません」

イスラエルとパレスチナ自治区で新型コロナウイルスの感染が拡大してもなお、ヨルダン川西岸地区の暴力は続いた。3月も、イスラエル軍とパレスチナ人との衝突が起こり、さらには、イスラエル軍によるパレスチナ人の身柄拘束、住居破壊、家や土地を含む所有物の差し押さえなどが続いた。イスラエル当局もパレスチナ当局も、感染流行を抑えるため、移動制限や一定の対人距離の確保といった強制措置をとっている。その一方で、国連によれば、ヨルダン側西岸地区におけるイスラエル人入植者からパレスチナ人への攻撃は、3月末までの14日間で78%増加している。

前出のザイド・アルキラニは語る。「この地域では、物理的な暴力、言葉の暴力、投石などがよく起きています。パレスチナ人に対する財産侵害事件も頻繁で、自動車・家屋・農地などへの破壊行為が続いています。その上、イスラエル軍の行動も威圧的です。その結果、住民たちは平穏な生活を送ることができない。この地は全面的に暴力に覆われているのです。それに加えて、世界中の人びとと同様に、パレスチナの人びとも、家族問題や経済的不安といった問題を抱えています。今回のウイルスとロックダウンは、そうした問題を増幅させるものとなっています」 

暴力が家庭の絆を壊していく

心の健康に関する問題でMSF施設を訪れたパレスチナの女性 © Juan Carlos Tomasi心の健康に関する問題でMSF施設を訪れたパレスチナの女性 © Juan Carlos Tomasi

ヨルダン川西岸地区では、何十年もの間、暴力がウイルスのようにまん延してきた。住民は、軍による身体的・心理的な虐待を何度も経験してきた。イスラエルの占領下で、さまざまな形の暴力が家庭環境をむしばみ、家族関係に困難をもたらしている。

過去5年にわたって、ナブルス県の住民に向けて、心理相談と社会援助を無償で提供してきたMSFの心理療法士サミー・マルヒーズは語る。「イスラエル入植地の近辺に暮らす人びとの中には、精神的ダメージの強い経験をしているケースが多いのです。例えば、私の患者さんの1人に、7歳の男の子がいます。住まいの村がイスラエル入植者たちに襲われて以来、睡眠障害とパニック発作が続いていました。近隣住民が投石と火炎瓶で攻撃されたり、知り合いが入植者と暴力沙汰になっているところも目撃しています。ほかの患者さんたちも、家族が暴力を受けて殺されたり、夜中に軍隊が押し入ってきたりといった経験をしています。そうした経験が原因で、不安障害、パニック発作、適応障害を発症するケースが多いのです。そうした経験に直接遭っていない人にも、間接的に悪影響を及ぼすこともあります」

心理的問題からMSFの診療所に駆け込んでくる人びとは、たいていの場合、家庭内暴力といった家族問題に苦悩している。暴力と家庭問題という2つのファクターは、時として絡み合い、切り分けることが難しい。

前出のサミー・マルヒーズは語る。「ある患者さんの家庭では、夫が家族を怒鳴りつけることが多いのですが、その夫自身、イスラエル兵士から怒鳴りつけられた経験を持っていたのです。また、別の患者さんは、武力衝突で重傷を負った夫から虐待を受けるようになったそうです。まさに暴力と家庭問題がリンクしている事例です。占領による抑圧、屈辱、無力、怒りが家族の絆を壊していくという暴力の連鎖が見られるのです」 

封鎖下のパレスチナでMSFは何をすべきか

封鎖下のパレスチナでMSFスタッフは自宅での電話相談を実施 © Marieke VAN NUENEN封鎖下のパレスチナでMSFスタッフは自宅での電話相談を実施 © Marieke VAN NUENEN

新型コロナウイルス流行と、それに伴うロックダウンは、多くの家庭の経済事情に深刻な影響を及ぼしてきた。それに加えて、以前から続くパレスチナ人への攻撃と絡まって、家庭内暴力などの虐待に苦しんできた人びとの窮状に拍車をかけている。

マルヒーズは続ける。「いま流行しているコロナウイルスは、誰にとっても未知との遭遇です。それだけに、どうすればいいのか分からないという無力感をもたらしています。そこにロックダウンが起こることで、人びとの不安は増大していきます。以前から心の健康に問題を抱えている人びとをさらなる窮地に追い込むものとなりかねません。私は、ロックダウンが始まってからは患者さんに会えなくなったので、自宅での電話相談を実施しています。仕事と家庭との区別という意味では厄介です。私と安心して通話できる場所が自宅にない患者さんもいらっしゃいます。彼らもまた厄介な状況でしょう。それでも、とにかく医療援助活動を維持しなければなりません。精神的苦痛を抱えた人びとに心理的社会的な支援を提供することが、いま何よりも大切なのです」

ヨルダン川西岸地区におけるMSFの活動

 MSFは、ヨルダン川西岸地区における暴力から心の健康問題を抱える人びとのための心理支援プログラムを2001年から実施してきた。

カルキルヤ県とナブルス県の診療所、ナブルス県下チュバス市の相談室では、心理療法・精神医学的支援、集団療法、精神保健に関する講習会のほか、心理的社会的な支援活動も展開してきた。

ヘブロン県では、現地採用および外国人の心理療法士・カウンセラー・医療スタッフのチームが、紛争関連の暴力に直接的もしくは間接的に影響を受けている成人、若者、子どもを対象に、家庭訪問、個人および集団での心理・社会的セッション、心理療法相談を実施してきた。

2019年全体における西岸地区での実績としては、カウンセリング・心理療法セッションを計5240回実施してきた。また、2398人の患者を心理療法で支援した。

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