フィリピン地震:共に希望を届ける──国境なき医師団と地域が築いた援助のかたち
2025年10月24日
フィリピン中部を2025年9月30日、マグニチュード6.9の強い地震が襲い、少なくとも76人が死亡、数百人が負傷した。最も大きな被害を受けたのはセブ州で、とりわけ震源に近いボゴ市は壊滅的な打撃を受けた。
国境なき医師団(MSF)は翌10月1日にボゴ市に到着し、直ちに被害状況の調査を開始した。
ひっ迫する医療、破壊されたライフライン
「私たちは到着から1日以内に、ボゴ市周辺のダーアンバンタヤン、メデリン、サンレミジオ、タブエラン、ボルボンといった地域で、集中的な簡易調査を実施しました」とMSFの緊急対応コーディネーターである萩原健は語る。
現地の関係者と話をしながら、地域の病院や医療体制が受けた影響についても調査しました。
萩原健 MSF緊急対応コーディネーター
病院では建物の耐震性が確認された後も、多くの患者が余震への恐怖から屋外にとどまっていた。州立病院では、建物の安全確認から数日後には診療が再開された。
食料、安全な飲料水、心のケア、避難用物資などのニーズは極めて高く、国内外の政府機関や民間団体が迅速に援助に駆けつけた。しかし、被害の規模は甚大で、すべての被災地に速やかに支援を届けることは困難だった。
ボゴ市では少なくとも32人が死亡、数十人の負傷者が報告された。住宅や公共施設、道路などにも大きな損傷が生じ、インフラの被害総額は670万ペソ(約1735万円)以上と推定されている。
浄水施設や排水管の損傷により、安全な水や電力へのアクセスも断たれていた。市内では複数の援助団体による活動が始まっていたものの、水道インフラの復旧には時間と労力を要し、遠隔地にあるコミュニティにまで支援が行き届くには、さらに時間がかかると見込まれていた。
遠隔地のコミュニティと手を取り合う
MSFは地元当局と連携し、水、衛生キット、給水タンクの援助が可能な4つの自治体と13のコミュニティを特定した。これらの多くはセブ州内でも特にアクセスが困難な地域に位置しており、援助物資の配送は困難を極めた。
地滑りによるがれきはすでに撤去されていたものの、コミュニティへ通じる道路の多くは狭く、急斜面や農地を通過する必要があった。さらに、続く余震や落石による道路の封鎖、陥没穴なども、チームにとって安全を脅かす深刻な懸念事項となっていた。
こうした厳しい状況下でも、MSFは地元当局の関係者やボランティアと緊密に連携し、援助を必要としている人びとに確実に物資が届くよう努めた。
サンレミジオでは、地元当局が特に援助を必要としているコミュニティを特定し、水や給水タンク、衛生キットの輸送に必要なトラックやボランティアの手配、積み込み作業などをMSFと協力して行った。
サンレミジオのサバ地区では、地域関係者、地域保健担当者、ボランティアが協力して衛生キットを組み立て、530世帯すべてに届くように手配した。
地区長のジョバンニ・シングランさんは、「MSFは、私たちのコミュニティの全世帯に確実に援助を届けてくれた、最初の団体です」と話した。
ボルボンでは、地域の関係者やボランティアがMSFと協力し、各コミュニティへ向かうトラックへの物資の積み込み作業を行った。また、コミュニティの関係者と調整しながら、大型トラックが安全に通行できるルートの確保にも取り組んだ。
ボルボンにあるボンゴヤン地区は、約461世帯が暮らす山間の森林地帯にあり、道幅が極めて狭いため、MSFが使用する大型トラックは通行できなかった。そこで地域住民は小型トラックを集積地点に集め、大型トラックから物資を降ろすために列を作り、給水タンクや衛生キットを人の手から手へとリレー方式で運んだ。
ダーアンバンタヤンのマルバゴ地区では、コンテナトラック4台分の援助物資を受け入れるスペースがなかったが、地元当局が近隣の街メデリンと連携して保管場所を確保。マルバゴのボランティアたちは、給水タンクや衛生キットを小型トラックに積み替え、自らコミュニティまで運んだ。
「この地域の人びとの対応は、非常に前向きなものでした」とMSFの医療オペレーション支援担当であるジェッサ・ポンテベドラは話す。
「人びとのボランティア精神には、本当に感銘を受けました。どの地域でも、私たちの援助活動に障害となるようなことは一切ありませんでした」
緊急援助とは本来、地域社会と地方自治体の受け入れ、支援、そして積極的な参加によって成り立つべきものなのです。
ジェッサ・ポンテベドラ MSF医療オペレーション支援担当
援助のニーズは今も
地震による死者の多くはボゴ市の住民だったが、MSFが支援を行っていた地域もまた、被害を受けた。地震が発生したのは夜10時頃、多くの人が就寝中で、すぐに避難することができなかったのだ。
ボルボンのビリ地区でボランティアをしていたチェリト・マイテムさんは、親族のディオクレシアーノさんとその妻ロドーラ・ウロットさんの体験を語った。
地震発生時、2人は2階建ての自宅におり、67歳のロドーラさんは1階で就寝中だった。しかし、地震によって1階部分が完全に崩壊。救助隊が到着したが、がれきの下敷きになった彼女を助け出すことはできず、救出される前に命を落とした。一方、ディオクレシアーノさんは軽傷を負ったものの、生還した。
サバ地区長シングランさんも、同様の出来事を口にした。高齢の夫婦が就寝中に地震に見舞われ、避難する間もなく自宅が倒壊してしまったという。
これらの地域では死者数こそ少なかったものの、人びとの恐怖や心の傷は今も癒えていない。地震発生から1週間以上にわたり数千回の余震が続いたため、多くの人びとがテントや仮設シェルターにとどまっている。
そして、10月12日午前1時6分、ボゴ市でマグニチュード5.8の地震が発生した。フィリピン火山地震研究所(PHIVOLCS)は後に、これが9月30日の地震の余震だと発表。再び多くの人びとが、死や破壊への恐怖から家を飛び出した。
「子どもたちはまた泣き出して、震えていました」とダーアンバンタヤンに住む女性は言う。
私たちの家は軽い素材でできているので、簡単に壊れてしまいそうで怖いのです。
ダーアンバンタヤンに住む女性
セブ島北部の地方自治体は、被災地域に対して迅速に心のケアと心理社会的支援を提供した。MSFもこれに加わり、ボルボンとダーアンバンタヤンで技術的な助言とサポートを行った。
またメデリンでは、MSFが刑務所の女性受刑者を対象に、心理社会的支援のセッションを実施。MSFは計359人の心のケアに当たった。
MSFは、被災した地域社会が回復の歩みを始める中で、活動を終了しようとしている。
「現地にはまだ多くのニーズが残っています」と萩原は語る。
「私たちは常に地域社会との対話を大切にしなければなりません。なぜなら、私たちの援助は彼らのニーズに応えるものだからです」
私たちは彼らを援助するためにここへ来ましたが、実際にはこの緊急事態の中で、彼らが私たちを支えてくれたと感じています。
萩原健 MSF緊急対応コーディネーター




