世界中で心のケアを 紛争、暴力、コロナ……一人一人の苦難に寄り添う
2020年10月26日紛争や暴力、迫害、そして災害といった出来事は、体の傷のみならず心の傷を生み、それは時として長期にわたって人びとを苦しめる。今年は新型コロナウイルスも心の健康に大きな影響を与えている。目に見えない傷にどう対応するのか。国境なき医師団(MSF)が世界各地で取り組んでいる心のケアの活動を紹介する。
ギリシャの難民キャンプ 悪夢にうなされる8歳の少年
8歳のヤシン君は、家族と共にアフガニスタンから逃れ、レスボス島のモリア難民キャンプで暮らしている。ここで何かひどい目に遭うのではないかとの不安が消えず、連日悪夢にうなされているという。そのため毎週MSFの診療所に通い、小児心理士の面談を受けてきた。「大人になったら、この診療所で心理士さんみたいに子どもたちを助けたい」と夢を語る。
そんなヤシン君が暮らすモリア難民キャンプが9月、火災により全焼。密集状態で暮らしてきた1万2000人余りが路上へと焼け出された。この火災により、小児診療所の活動は一時中断を余儀なくされている。
ホンジュラス コロナ禍の心理ケアで活用される一冊のノート
6月から、MSFはホンジュラス自治大学で新型コロナウイルスの中等症から重症の患者の治療にあたっている。入院時、MSFの心理療法士と健康教育担当者が患者に手渡すノートがある。絵を描いたり、塗り絵をしたり、言葉を書き留めたり、それを読んだり……。このノートが、楽しい時間をもたらすと同時に、患者の心の健康維持につながっている。
レバノン 爆発事故から2カ月、心の傷は癒えず
大きな災害といった出来事も、心の傷につながる。レバノンの首都ベイルートでは8月4日に大規模な爆発が発生し、200人近くが死亡、6000人以上が負傷した。MSF精神保健チームが対応した不安や抑うつ症状のある患者のうち、半数は爆発事故が原因だった。以前から心の健康に問題を抱えていた人びとも、多くが事故の後に悪化したという。
MSF精神保健マネジャーのリマ・マッキはこう話す。「大爆発から2カ月が経ったいまも、心のケアの相談件数が増えています。多くの人が身体の傷を治療し、住まい、電力、水道ななど外的な環境と最低限必要なものは確保できてきているのですが、夜になると今でも泣いてしまったり、ペンが落ちた程度の小さな音にもすくみ上ってしまったりする人が大勢います。
そうした人びとは、何かしらの不調があることも自覚できています。かつてのベイルートなら、まず家族、友人、隣人といった社会や地元のつながりが支えになっていました。ただ、今は皆が同様に打撃を受けていて、誰を頼ればいいのかわかりません。そこで、心のケアの専門家が頼りにされているのです」
バングラデシュ 一人一人の声に耳を傾ける
家族の殺害、家の焼き討ち、性暴力……、ロヒンギャの人びとは壮絶な経験をして、ミャンマーから隣国バングラデシュの難民キャンプに逃れてきた。MSFはロヒンギャ難民を対象としたコックスバザール県のすべての活動先施設で、心理ケアなどの総合的な心の健康支援を提供している。
「大半の患者さんに精神的なストレスや心の傷の兆候が見てとれます。ただ、抑うつや心的外傷後ストレス障害、統合失調症に陥っても、周囲の人にも気づかれずにいるのです。心の健康の大切さは、患者自身にも理解されづらいものです。身体の不調を訴えて病院に来て初めて、心理カウンセラーを紹介されるというケースが少なくありません」。そう話すのはMSFの心理療法士兼臨床ソーシャルワーカーのターニャ・モルシェドだ。
「私にとって、困難に対処しようとする一人を助けること、そして一人の自殺を防ぐことが、大きな意味を持ちます。そのために、声に耳を傾けることが何より大切だと思います」
2019年、MSFは世界各地で個人に対する心理ケア相談を40万200件行った。心的外傷を負った人びとに早い段階で心理社会面の支援を提供し、長期にわたって問題が拡大する危険性を抑えられるよう努めている。