なぜ子どもが命を失わなければならない? ガザで幼い命を守るために必要なこと 【MSF Club:国境なき医師団スタッフの体験ストーリー】

2025年04月24日
パレスチナ・ガザ地区で活動した中嶋優子先生の体験ストーリーを紹介します!
パレスチナ・ガザ地区で活動した中嶋優子先生の体験ストーリーを紹介します!

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しんぞー先生

パレスチナのガザ地区。ニュースでもよく耳にする地名だね。2023年10月7日に、この地域でパレスチナとイスラエルの紛争(ふんそう)が激(はげ)しくなったんだ。ガザの市民が巻き込まれて、たくさんの人が亡くなったり、負傷(ふしょう)したりしたよ(※)。その中には子どもも大勢いたんだ。今回はこのガザで医師として活動した、中嶋優子さんの体験ストーリーを紹介するよ。

  • ガザ保健省の発表によると、この紛争でガザにおける死者数は5万人を超えました(2025年4月現在)。

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中嶋優子先生のプロフィール

中嶋優子先生 © MSF
中嶋優子先生 © MSF
中嶋優子(なかじま・ゆうこ)
職種:救急医・麻酔科医(ますいかい)
活動地:パレスチナ・ガザ地区
活動期間:2023年11月から約3週間
 
大学卒業後、国内外の病院で救急医・麻酔科医として勤務。国境なき医師団(MSF)には2009年より参加し、イエメン、南スーダンなどこれまで7か国9回の人道援助活動に派遣された(最近では2025年2月~3月にシリアで活動)。また、2022年よりMSF日本会長を務める。

パレスチナ・ガザ地区での体験ストーリー

2023年11月から約3週間、パレスチナのガザ地区に派遣された中嶋先生。
紛争が続く中、中嶋先生はどんな活動をしたのかな?

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絶対に行く──強い気持ちでガザへ

2023年10月7日から、パレスチナのガザ地区でイスラエルとハマスの紛争が激しくなりました。10月14日、私は救急医、そして麻酔科医【ますいかい:手術のときに痛みを感じないように処置(しょち)をする医師】としてガザに行くよう、国境なき医師団(MSF)から依頼(いらい)がありました。
 
「これは絶対に行く」とすぐに決めました。こういう時に出動するのが、MSFに参加した理由だからです。
 
まず、日本からパレスチナの隣の国、エジプトへ飛びました。そこで待機した後、11月14日の朝に、パレスチナとの境界にあるラファ検問所を通過して、ガザに入りました。色々な国の人からなる13人の国際チームで、10日間分の水と食べ物を持って行きました。

ガザ南部・ナセル病院の手術室で重症(じゅうしょう)の赤ちゃんを診察(しんさつ)する中嶋先生=2023年11月20日 © MSF
ガザ南部・ナセル病院の手術室で重症(じゅうしょう)の赤ちゃんを診察(しんさつ)する中嶋先生=2023年11月20日 © MSF

ガザに着いてすぐ、空を飛ぶイスラエル軍のドローン(無人機)の音が聞こえました。それはガザにいる間中、ずっと続きました。また、「ドーンドーン」という空爆の音も何度も聞きました。衝撃(しょうげき)で部屋がゆれ、「死ぬかもしれない」と思ったこともありました。
 
私たちが医療(いりょう)活動を行ったのは、ガザ南部ハンユニスという街にあるナセル病院です。ここはパレスチナの保健省が運営する、ガザ南部でも大きな病院で、私は麻酔科医として手術時の麻酔を行うほか、救急救命室でも活動しました。

ガザ南部のナセル病院=2023年11月24日 © MSF
ガザ南部のナセル病院=2023年11月24日 © MSF

ナセル病院には産科や小児科といった、妊産婦(にんさんぷ)や赤ちゃんをケアする施設もあるんだ。でも、攻撃を受けたことで、MSFは医療の提供を停止しなければいけないこともあったんだよ。詳しいことは動画を見てね👇

【動画】ガザ:ナセル病院産科小児科のいま

電気がない! 携帯電話のライトをたよりに手術

ガザは水や電気がほとんどない状況(じょうきょう)でした。手術中に停電したときは、携帯(けいたい)電話のライトで照らしながら手術を続けました。

停電時は携帯のライトを照らして手術を続ける=2023年11月30日 © MSF
停電時は携帯のライトを照らして手術を続ける=2023年11月30日 © MSF

空爆(くうばく)で重傷を負った患者(かんじゃ)さんが、一度に10人や20人も運ばれてくることがありました。廊下(ろうか)やロビーにも患者さんがあふれ、スタッフ全員で対応しました。
 
でも、爆撃(ばくげき)の被害(ひがい)にあっても、病院まで来られる人はほんの一部だということに気づきました。目の前の患者さんの後ろには、もっと多くの人の死があるのです。 

紛争で亡くなった人の中には、子どももたくさんいるんだ。
その中で、特に印象に残っている女の子について、中嶋先生に聞いたよ。

家族全員を亡くした10歳の女の子

私がガザで出会った、特に印象に残っている患者さんがいます。それは、空爆で家族全員を亡(な)くした10歳(さい)の女の子です。
 
彼女は足が粉々に骨折していて、全身に重いやけどを負っていました。呼吸(こきゅう)も弱く、人工呼吸器を使って何とか生きていました。私たちは彼女を助けようとしましたが、数日後には足の傷(きず)が悪化し、感染症(かんせんしょう)で命が危なくなりました。
 
足を切断する手術が必要でしたが、手術には家族の同意が必要です。しかし、彼女には家族がいません。空爆で全員亡くなってしまったからです。

手術をしないと命が危ないので、家族の同意なしでも特例で手術をしようと、医療チームで相談して決めました。でも、あまりに手術が必要な患者さんが多く、手術の順番を待っている間に彼女の感染が進み、数日後に亡くなってしまいました。

ナセル病院の手術室で患者の麻酔を行う中嶋先生(中央)=2023年11月21日 © MSF
ナセル病院の手術室で患者の麻酔を行う中嶋先生(中央)=2023年11月21日 © MSF

なんとか救命処置をしても、この女の子のように、受けた傷が深すぎて、数日で亡くなってしまうケースが多くありました。
 
私は「もし生き延びられても、家族を全て失った子どもたちの人生はどうなるのか。命をつなぐことの意味は何なのか」と、活動そのものに疑問さえ感じるようになっていました。
 
ガザの医療関係者の間では、「WCNSF」という言葉が使われます。これは英語でWounded Child No Surviving Family──「負傷した子どもで、生き残っている家族がいない」という意味です。この女の子のような子どもたちのことを指します。これまでシリア、イエメンなどさまざまな紛争地や災害現場で活動してきましたが、このWCNSFの子どもたちがたくさんいる状況は初めてでした。
 
ナセル病院では、紛争が激しくなった10月7日からの約2カ月間に、5166人の負傷者と1468人の亡くなった患者を受け入れました。犠牲者(ぎせいしゃ)の7割は女性と子どもでした。

自身も危険を感じながら、毎日たくさんの患者さんと向き合った中嶋先生。精神的な助けになってくれたのは、子どもたちだったんだ!

子どもの明るさが活動の支えに

私がガザで活動をしていたとき、近くにはガザ各地から避難(ひなん)してきた人びとがいて、その中には子どももたくさんいました。子どもたちは明るく人懐(ひとなつ)っこくて、その笑顔とかわいさに私の心は何度も救われました
 
このときの攻撃(こうげき)で、7000人以上の子どもたちが命を落としたと報じられました。どうして、何の罪もない子どもたちが命を失わなければならないのでしょう?

避難生活を送る子どもたちと遊ぶ中嶋先生(右)=2023年11月25日 © MSF
避難生活を送る子どもたちと遊ぶ中嶋先生(右)=2023年11月25日 © MSF

私は戦争の破壊力(はかいりょく)をこれほどまでに感じたことはありませんでした。自分たちの人道援助(じんどうえんじょ)があまりにも小さいと、無力さを感じました。

なぜなら、このガザで見た破壊が、これまで見てきたものとは全く違う規模だったからです。手術で1人の命を助けている間に、何人もが新たな攻撃で命を落としている現実がありました。
 
それでも、ガザの人びとに、海外からの援助チームが来たことは大きな精神的支えになったと言ってもらえました。

毎日たくさんの患者さんが病院にやって来る。でも、命を落としてしまう人もいるし、そもそも病院にたどり着けない人もいる。この状況を変えるには、「紛争そのものを止めなければ」と中嶋先生は強く感じたそうなんだ。

紛争そのものを止めないといけない

7日間だけの短い間の一時停戦が終わった2023年11月下旬、ガザ南部は再び攻撃にさらされました。12月4日の夜、病院付近での攻撃が激しくなり、私たちは一時的に病院から退避しなければいけませんでした。そして12月7日に活動を終え、帰国しました。
 
私には安全な場所に行ける選択肢(せんたくし)がありますが、ガザの人びとには全く選択肢がありません。終わらない攻撃の中で、ひたすら耐えるしかないのです。帰国することが苦しい──そんな気持ちを抱(かか)えながら、日本へ戻りました。

壊された建物の中を歩く子どもたち=2023年 © MSF
壊された建物の中を歩く子どもたち=2023年 © MSF
ナセル病院近くでキャンプ生活を送る人びと=2023年 © MSF
ナセル病院近くでキャンプ生活を送る人びと=2023年 © MSF

この活動で強く感じたのは、命を守るためには、紛争そのものを止めなければならないということです。ガザへの医療・人道援助を強化することは重要ですが、それ以前に、次々と負傷者や犠牲者が生まれ続ける状況そのものを止める必要があるのです。

2025年1月19日、紛争はいったん停戦となったけれど、また攻撃が再開してしまったんだ(2025年4月現在)。ガザのほとんどの家は住むことが難しいほど破壊されてしまって、多くの人ががれきの中やテントで暮らしている状況だよ。これから私たちにできることは? 中嶋先生に聞いてみたよ。

声を上げることが、社会を変える第一歩

残念ながら、停戦は終わってしまいました。子どもをふくめ、たくさんの人びとが、再びひどいけがをしたり、亡くなったりすると考えられます。
 
MSFは停戦を訴(うった)え続けます。私たちは現場で見たことを伝え続けて、困っている人びとに医療を届ける使命があるのです。

帰国後に記者会見を行い、活動を報告した中嶋先生 © MSF
帰国後に記者会見を行い、活動を報告した中嶋先生 © MSF
MSF日本事務局長とともに停戦を訴える中嶋先生 © MSF
MSF日本事務局長とともに停戦を訴える中嶋先生 © MSF

皆さんは幸運にも日本に生まれ育っていますが、ガザにも皆さんと同じくらいの歳(とし)の子どもがたくさんいます。そのことをぜひ自分事としてとらえて、どうやったら力になれるか考えてみてほしいと思います。

日本は昔、太平洋戦争でたくさんの犠牲者が出ました。世界で唯一の被爆(ひばく)国として「戦争は絶対にダメだ」と日本人が伝えることは、世界中の人びとに対して説得力があるはずです。

みんなで戦争を止めるよう、声を上げ続けましょう。戦争はどんな理由であっても、絶対に避(さ)けなければいけない、ということを訴え続けましょう。みんなで一丸となれば、社会が変わるかもしれない──そのことを信じようと、皆さんに伝えたいです。

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