心の傷はいまもそのまま──モザンビーク 紛争から5年、恐怖の中で生きる人びと
2022年10月10日
2017年10月にカーボ・デルガード州で始まった紛争により、モザンビーク北部ではいまも100万人近い人びとが避難生活を送っている。安全を求め故郷を後にした人びとは、何度も家を追われ、家族や友人とも引き離されてきた。多くが殺人を目撃し、親族と連絡が取れなくなったきり、どこにいるか分からなくなった人もいる。
紛争から5年──。カーボ・デルガード州の住民は、心的外傷や喪失感に悩まされ続けている。紛争を生き抜いたものの、安心して暮らせる見通しのない生活は、人びとの心の健康に大きな影響をもたらしている。
時がたつにつれ、増す悲しみ
「離れ離れになった知人や親族の居場所も少しずつ分かってきました。ただ、家族が病気になったと聞いても、お見舞いに行くすべがありません。誰かが亡くなったと知っても、そこまで行けないこともあります。そうして日がたつにつれ、悲しみが増していくのです」
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Ⓒ Mariana Abdalla/MSF
「避難の際に子どもを置いて逃げなければならなかった母親、両親の死を目撃した子ども、家族の死を目の当たりにした人の話を聞いています」とタチアンは話す。
「このような恐怖に常にさらされていると、将来について考えることも、計画を立てることも難しくなります。何とか生き延びている状態で、もう何年も不安定な生活を送っているのです」
普通の生活に戻りたい…
「逃げる途中で子どもを見つけ、その子を一緒に連れてここにたどり着きました。子どもの父親は射殺され、母親は拉致されたそうです。紛争が終わることを願っています。そうすれば誰もが故郷に帰れるようになるのですから」
多くの人が故郷に戻り、農民や漁師、地域社会の一員として生活を再建することを夢見ている。だが、不安や恐怖、心的外傷があると、普通の生活に戻ることは難しい。

心の傷は鮮明に残り続ける
「いまは州内のさまざまな場所に、故郷に帰る人びとと、再び避難しなければならない人びとがいます」とタチアンは話す。「暴力が起きていない地域でも、状況が変わらないという保証は何一つありません」。
私たちは心理学的に、他の場所でも暴力が起きているのを目にすると「攻撃はあちこちで起こり続け、次はどこで起きるかを予測することはできない」というメッセージを受け取ってしまうという。また、過激な暴力は、被害を受けた人の心に深い傷跡を残すことが多い。
パルマで活動するMSFの心理療法士、ジョスエル・モレイラは、「自分の故郷に戻る勇気や望みを持つ人もいれば、自分たちが体験した凄惨な出来事の後には、状況が改善していると確信が持てるまでリスクを冒したたくない人もいます」と語る。
「過去の体験やそれによって生じた感情はいまも鮮明に残っていて、人びとはそれを抱えています。これは心的外傷‟後”ストレスとは呼べません。心の傷はいまもそのまま残っています。この紛争で、多くの人が財産や家族を失っただけでなく、人として生きる尊厳も失ったのです」

命をつなぐ援助がいまも必要
カーボ・デルガード州で紛争が続く中、こうした心の不調はもちろん、医療、水、食料、仮設住宅などの生活基盤さえ整わず、多くの人びとにとって困難な状況が続いている。MSFのチームは2019年からカーボ・デルガードの危機に対応。2021年だけで治療したマラリア患者は5万2000人以上。心のケアは個人に対するものが約3500件、グループ療法を受けた人は6万4000人以上に上る。
不安定な上に刻々と変化する状況の中、MSFは柔軟かつ機敏に対応して援助活動を行うことが求められてきた。ただ、カーボ・デルガード州内の人道支援は、比較的安定しているとされる州南部に集中している。MSFが活動しているマコミア、パルマ、モシンボア・ダ・プライアなどの地区では、他団体はいないか、少なくとも常駐していないことが多い。援助が届きにくい地域の人びとが命をつなぐため、より多くの活動が必要とされている。

モザンビークでのMSFの活動
MSFは、内戦中の1984年にモザンビークで活動を開始。現在は、カーボ・デルガード州内のマコミア、モシンボア・ダ・プライア、パルマ、ムエダでプロジェクトを展開し、近隣地区のムイドゥンベ、ナンガーデ、メルコでは移動診療を実施している。また、基礎医療、心のケア、給水と衛生面の改善、地元病院への二次医療支援、救援物資キットの緊急配布なども行っている。