【アニメ】 「僕は奴隷として売られた」 カメルーンからリビア、そして欧州への旅路(前編)

2022年06月21日

カメルーンのストリートチルドレンだったヤニックさん。2019年に人身売買組織に連れ去られ、リビアで奴隷として売られた。その後リビアを脱出し、地中海を危険なボートで渡ってイタリアにたどり着いた彼は、そこからさらに フランスに避難し、国境なき医師団(MSF)の支援を受けた。生きるために彼が歩んだ道のりとは——。前編・後編で伝える。

第一章
カメルーンの村のストリートチルドレン
「この状態から抜け出させてあげる」と言われ……

僕はカメルーン西部メヌア県にあるバルームという田舎から来ました。父は僕が2歳の時に亡くなり、母は再婚したのですが、再婚相手は僕を虐待していたのです。家にはいられず、路上で寝ることもよくありました。
 
初めて家を出たのは、11歳のときです。路上では、僕のように家を追い出されたり、ひどい扱いを受けたりしている若者たちと一緒でした。路上の友人たちと一緒にいると、元気が出て、自由になれました。家で経験したことや受けた暴力は、路上では過去のものになります。

僕らは、小屋の中や市場のカウンターの下で眠りました。食べていくために、市場で物乞いもしました。「マダム、すみません、僕らはお腹が空いているんです。もう生きていけません」と声をかけて……。ちょっとしたお金と引き換えに、仕事をくれる人もいました。荷物の積み下ろしや、夜間の屋台の警備などです。
 
11歳から13歳までは、路上、母の家、祖母の家を行き来していました。その後はずっと路上暮らしです。

何とか僕たちを助けようとしてくれた人もいます。身を守るためのアドバイスをしようとする人もいました。でも、あまり親しくなることも避けなければならなかったのです。僕らは弱い存在で、利用する人もいたからです。路上生活の間に、多くの友人が姿を消しました。
 
ある男の人は、僕を息子のように接してくれて、僕もその人になついていました。僕を心配して、教会に行こうと勧めてくれました。教会の隣が大学だったので、たまに授業にも参加していました。
 
男性は、週末に自宅に招いてくれることもありました。僕にとって親戚のような存在になったのです。彼は市場に店を構え、いろいろなものを売っていました。

ある日、男性にこう言われました。「君は路上生活をしているけど、他の子たちとはちょっと違うと思う。だから、何とかしてこの状態から抜け出せるようにしてあげるよ」

僕はカメルーンから出たことがありませんでしたし、大都市のドゥアラや首都のヤウンデ、国の西部以外は何も知りません。男性からチャド行きを勧められました。学校で聞いたことがある国です。チャドには一緒に暮らせる家族がいて、普通の日々を送れると。だからその通りにしてみたのです。

2019年の3月か4月に出発しました。どこに向かっているかも分からないのに、チャド行きがうれしかったのを覚えています。 2人で電車とバスに乗っていきました。着いた先では人びとも全く違っていましたから、もう自分の国ではないと一目で分かりました。景色も、何もかも変わっていたのです。
 
彼は僕をカメルーン人の家に連れて行ってくれました。そして、住んでいるのは自分の家族だから、そこに住んで普通の暮らしをするんだよ、と言ってくれました。僕は「はい」と答えました。

当時を振り返るヤニックさん © Augustin Le Gall
当時を振り返るヤニックさん © Augustin Le Gall

第二章
リビアの奴隷商人
「僕は奴隷として売られた」

ある晩、僕たちは泊まっていた家から遠くへ行くことになりました。夜も更けて、いつしか自分がどこにいるのかも分からなくなり、だんだん怖くなってきました。ある家で泊まると言われ、一晩を過ごしました。

次の日、目が覚めると、周囲の顔ぶれは一変していました。後になってから、この人たちはリビア人で、僕はリビアに連れて行かれ、奴隷として売られていたことが分かりました。

僕が入れられたのは牢屋のような施設で、大きな部屋に大勢の人が詰め込まれていました。明かり取りの小さな穴以外は、鶏小屋そのものです。

毎朝僕らはトラックで運ばれ、無理やり働かされました。言われた通りにしなければ殺されます。文字通り彼らの所有物になってしまったのです。施設では何度も拷問にかけられました。
 
首都のトリポリの仕事に連れて行かれたある日のこと。逃げるチャンスと思い、僕たちはすきを見て走り出した。しかし数人の若者はリビア人に撃たれてしまいました。

方角も分からないまま逃げ、そのまま翌日まで歩き続けました。その中に気の合う少年がいて、一緒に物乞いをして生き延びました。

ある日、この国から脱出する方法があると聞きました。ある町へ行けばリビアから出られると——。

言われた町に到着した日の夕方、リビア人が人びとをイタリア行きのゴムボートに乗せており、僕はそこに紛れ込みました。ボートで地中海を渡る途中で意識を失ってしまったので、どうやってイタリアに着いたのかはわかりません。救助船の中で目が覚めました。

そして、イタリア・シチリア島に到着したのです。

欧州に向かう移民の通過地点であるリビア。リビアの移民・難民は、かつてないほどの暴力にさらされている。搾取、虐待、拷問が横行し、治療も受けらないまま非人道的な環境に閉じ込められている。そのため、命がけで地中海を渡って欧州行きを試みる人も後を絶たない。
 
2021年、地中海中央部を横断中の死亡・行方不明者は推定1508人に上った。2014年以降、同じルートの死亡・行方不明者は累計2万3108人となった。

カメルーンからチャド、リビア、イタリアへ ヤニックさんがたどった道のり
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後編に続く

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