狙われ、奪われ、私たちは危険なボートで海を渡った 救助船からの証言
2021年09月06日
北アフリカのリビアから命がけで欧州を目指し、地中海で海難事故に遭う難民・移民が後を絶たない。そのような人びとを救うために運航していた国境なき医師団(MSF)の捜索・救助船「ジオ・バレンツ」号は、7月に24日間にわたってイタリア当局から出港差し止めを命じられた。7月26日に差し止めが解除され、捜索活動を再開。海上で生死の境にいる人びとを救助している。彼らの身に何が起き、なぜリビアから逃れようとしたのか。船上で話を聞いた。
「海に浮かぶ遺体を回収する日雇い仕事に」 エメニケさん(28歳男性・ナイジェリア出身)
「ナイジェリアでは殺人や爆撃が絶えず起こるだけでなく、過激派勢力『ボコ・ハラム』が活動しています。私は何とか生き延びるためにナイジェリアを離れ、去年の1月にリビアに来ました。
首都トリポリの洗車場で働き始めたころは、リビアは故郷よりもよいと感じましたが、その思いは覆されました。リビアには人権も安全もありません。兵士や民兵に狙われて危険な目に遭っても、誰も助けてはくれません。
仕事でもらったお金のほとんどは、手のひらに乗せられたその場で取りあげられてしまいます。すぐさま銃を突きつけられるので、その場を離れるしかないのです。
市内には『モハタ』と呼ばれる場所があり、手配人が日雇い労働者を集めています。去年の10月、私は海に浮かぶ遺体を海岸で回収する仕事に就きました。水に浮いている遺体を引き揚げて専用の袋に入れ、砂漠に1メートルほどの深さの穴を掘って、そこに埋めるのです。それを、銃を持ち警察の制服を着た人たちが監督しています。彼らいわく、私には同じアフリカの黒人兄弟を埋葬してあげる義務があるのだそうです。3人で16体の遺体を集め、合計30リビア・ディナール(約728円)の報酬をもらいました。
そして私は、密航仲介業者に5000リビア・ディナール(約12万110円)を支払って木製ボートで欧州を目指しました。ゴムボートの場合は3000リビア・ディナール(約7万2810円)が相場です。自分たちで買ったライフジャケットを持っていったら、持っているのは私たちだけでした。密航仲介業者はライフジャケットなど渡さないんです。

航海の間、海は荒れていましたが、転覆してでもリビアに戻るよりはましだというのが私たちの実感でした。乗客の誰かに『お前が操縦しろ』と業者が命令しているのが聞こえました。その人は船の運転の仕方も知らないのに。
波は激しく、とてつもない高さでした。はじめの3日間はエンジンが動きましたが、船を軽くしてバランスを取るためにガソリンを全部海に捨ててしまっていたので、エンジンは使えなくなりました。水がボートの中に入り込み、波に乗って上下するまま10時間近く過ごしました。
そして国境なき医師団の船に救助されました。いまは毎朝起きるとここはリビアではないんだと安心し、笑顔になることができます。

「血が止まらなくなるまで殴られている人もいました」 アベビさん(26歳女性・ナイジェリア出身)
「リビアに着いたら、私は一緒にいた人たちと売られてしまいました。その数カ月後に警察に解放されたのですが、今度はトリポリの収容センターに押し込められたのです。働いて貯めたお金から100万ナイジェリア・ナイラ(約27万円)を出して釈放され、昨年は海から脱出を試みました。でも、リビアの沿岸警備隊に行く手をふさがれ、連れ戻されてしまいました。
収容センターはひどい場所でした。食べ物もなく、汚い下水の水しかありません。赤ちゃんも子どもも妊婦も食べ物をもらえず、何千人もの人がいる部屋に押し込められていました。
収容センターでは私たちは持ち物を全て巻き上げられ、何人もが殴られました。床の上で横になっている人の頭が殴られたり、足を上に上げろと無理強いされたりすることも目にしました。血が止まらなくなるまで殴られている人もいました。拷問です。
再び保釈金を払って、収容センターから解放されてトリポリで仕事を探しました。

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