新型コロナウイルス:難民生活およそ30年。世界最大級のキャンプでコロナ禍を生きる
2020年06月26日一方で、キャンプの人びとには、人生に関わるもう一つの大きな壁が立ちはだかっていた——。
ますます厳しくなる移動制限
「この難民キャンプで人生の大半を過ごしてきました。運命は人それぞれですし、私は自分の運命に満足しています。目標に向かって突き進むことは、ここでもできますから」
こう話すのは、フォウジア・モハメド・アブドゥレさん(30才)。ソマリアの紛争を逃れ、大家族で隣国ケニアのダダーブにたどり着いたのは1992年、2歳の時だった。この世界最大級の難民キャンプ群が建設されたばかりの頃だ。
キャンプ内で高校までの教育を受け、その後も地域開発を学んだ。いまは4人の子どもを育てながら、MSFが支援する病院の産科病棟で看護師助手として働いている。
「生きることには困難が付きものですし、それを受け入れる方法を探さなければなりません。でも、難民キャンプには十分な食べものも、教育も、安全な生活もない。そこへさらなる困難が加わりました」
新型コロナウイルスの脅威は、22万人近くの難民が暮らすダダーブにも押し寄せている。
「ケニアで最初の感染者が確認されてから、MSFはすぐに厳戒態勢を取りました。施設内にいるすべての患者やスタッフの安全を守るために、運営方法や患者の順路を見直し、感染予防策を講じたのです」と、MSFプロジェクト・コーディネーターのイェルーン・マタイスは言う。
ダダーブ難民キャンプ群のうちの1つ、ダガレイ・キャンプで、MSFは長年2つの診療所と100床の病院を支援してきた。今回の事態では40床の隔離病棟を設け、必要が生じれば治療にも対応していく。また難民への健康に関する教育を続けるほか、陽性反応が出た者の感染経路の追跡でもサポートする。
これまでダダーブ・キャンプで確認された新型コロナウイルスの感染者数は、6月17日時点で10人。感染した難民たちは皆、イフォ第2キャンプでケニア赤十字社が運営する合同治療センターで隔離され、感染経路もすべて判明した。ダガレイ・キャンプからは2人が感染したが、いずれも既に退院している。
移動制限がさらに厳しくなり、多くの難民にとって人道援助はまさに命綱だ。ほかに食料や医療を入手する手段をもたないからだ。MSFは、難民が引き続き安全な環境で医療を受けられることを最優先に、キャンプでの保健医療サービスを継続していく。
「私たちはケニア当局からの許可を得なければ、そもそも外へ出ることができません。コロナ危機で、さらにキャンプ内での移動も制限されるようになりました」
ソーシャルディスタンシングで、コミュニティのつながりが失われることが気がかりだ、とフォウジアさんは言う。けれども彼女の不安は、世界を覆うコロナ禍だけにとどまらない。
私の国はどこ?
「何の見通しもなく、いつまでも難民のままです。キャンプ内の若者にとって、これ以上絶望的なことはありません」
せめて移動の自由が実現すれば、若者はキャンプの外で仕事を見つけることができる。しかし、こうした決定を行うのはケニア政府であり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)だ。
行動の制限が、キャンプで生きる彼らの人生における大きな壁になっている。「自分たちに直接かかわる問題なのですから、難民のコミュニティとして、決断のプロセスに参加したいのですが」とフォウジアさんは言う。
さらに2016年、ケニア政府はダダーブ難民キャンプ群の閉鎖を発表し、本国送還を実施し始めた。治安上のリスクがその理由だが、少数の人間による違法行為によって何十万の難民たちが罰せられることになる。送還される母国ソマリアは、いまだ政情が不安定で、安全に暮らせる状況にはないからだ。
「私たちの声を聴いてほしいと思います。どんな選択肢がありうるのかという解決方法を探るのに、当事者の考えを取り入れるのが最善なのではないでしょうか。すべての人にはさまざまな権利があり、それは難民も同じです」
若い世代が多いダダーブ難民キャンプ。自由を得ることで、彼らは自らの将来を作り出していける。その可能性を阻止してはならないだろう。