国境なき医師団の“意外な”仕事人たち【第2回 疫学専門家編】

2020年11月20日掲載

ナイジェリアの国内避難民キャンプにて、地域の保健スタッフたちと共に © MSFナイジェリアの国内避難民キャンプにて、地域の保健スタッフたちと共に © MSF

昨今ニュースなどでよく耳にする「疫学調査」という言葉。新型コロナウイルスのような感染症の発生したとき、大きな役割を担うのが疫学専門家です。

医師となった当初から国際医療に携わり、現地の状況を見つめる中で公衆衛生の重要性に気づいたという西野恭平。いま国境なき医師団(MSF)で疫学専門家として活躍する彼が、その仕事への思いを語ります。

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バングラディッシュのロヒンギャ難民キャンプで
疫学調査のため1軒1軒訪ねて回る © MSFバングラディッシュのロヒンギャ難民キャンプで
疫学調査のため1軒1軒訪ねて回る © MSF

2018年末に、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで疫学調査をした時のことです。なぜか新生児の死亡率だけ、同国内の平均と比べて2倍以上高いことが判明しました。キャンプ全体の死亡率は改善していたにも関わらず、です。

キャンプの母親と赤ちゃんは、妊娠中の間も出産後もずっと家にいて、検診を受けていません。低温に弱い新生児にとって、家の環境は良くない。家族が何らかの感染症にかかっている可能性もあります。

また水と衛生の状態もひどく、汚水がそこら中に垂れ流しなのに、その近くで子どもたちが遊んでいました。トイレの数が人口に対して圧倒的に不足していたからです。劣悪な衛生環境への対策が急務であることも、フィールドワークで明らかになりました。

新生児は病院へ運ばれることなく亡くなっているので、病院施設内での活動だけではその実態を知ることができません。ロヒンギャ・キャンプでの調査結果は、スタッフの認識を「問題がない」から「問題を知らない」というものへ変えるきっかけとなりました。そして新生児死亡率の改善は、プロジェクトにおける最重要課題の一つとなったのです。

疫学調査で解明すること

医師が診るのは病院に来られる患者さんですが、疫学専門家はその地域全体を対象とします。コミュニティの中に入っていくことで、病院の中からは見えない問題を明らかにし、データで示すことが仕事となります。

また、コミュニティ内での感染症流行の兆候を察知するなど、問題を早期発見するのも疫学専門家の役割です。例えばロヒンギャ難民のキャンプでは水痘が発生したのですが、そうしたケースでは「早期発見、早期対応」が鉄則。病院に来る患者数が急増した後では、感染症対応として手遅れとなりかねないからです。特に難民キャンプのような感染が広がりやすい環境下では、犠牲を最小限に抑えるためにも早期からの介入が必要です。疫学専門家はコミュニティの状況を把握し、データ分析をすることで、問題への適切な関わり方を打ち出します。

疫学調査の対象となるのは、感染症だけではありません。昨年8月に赴任したのは、大規模な国内避難民キャンプがいくつもあるナイジェリア北西部。この時は3つのキャンプで、死亡率や死亡原因、栄養状態、ワクチン接種率などを調査しました。すると3つのうち2つのキャンプで、人道危機の閾(いき)値をはるかに超える死亡率や栄養失調の子どもが存在していたのです。

その調査結果は、私たちの認識とは大きくかけ離れたものでした。予想もしなかったデータが出てきたことで、MSFはプロジェクトの活動内容を見直すことに。さらに国際連合児童基金(ユニセフ)などの組織を巻き込み、避難民キャンプ全体の状況改善を図る体制を生み出すことにもつながっていきました。疫学専門家の役割は、客観的なデータを用いてその地域で何をすべきか優先順位を見出し、活動をより本質的なものにすることだと言えます。

「命のうでわ」で子どもの栄養状態を診断 © MSF「命のうでわ」で子どもの栄養状態を診断 © MSF

家を訪ね疫学調査を行うスタッフ(右)© MSF家を訪ね疫学調査を行うスタッフ(右)© MSF

国際医療で平和を

ナイジェリアで共に調査を行ったスタッフと © MSFナイジェリアで共に調査を行ったスタッフと © MSF

これまで臨床医、そして疫学を含む公衆衛生の専門家として、NGOや国際機関で働いてきました。初めて医師として赴いたのはアフガニスタンです。もう12年前のことになりますが、この時、友人でもあった日本人の同僚が、現地で殺害されてしまう事件が起きました。「平和とは何か」ということを、強く意識するようになったのはそれからです。国際医療に携わることで平和構築に貢献したい、という思いを抱くようになりました。アフガニスタンでの経験は、自分の活動の原点です。

MSFのような紛争地の最前線での医療活動を通じて、目の前の人の命を救うだけでなく、その地域の安定化や平和構築に少しでも貢献できる可能性を見つけてみたい。それは世界保健機関(WHO)による“Health as a Bridge for Peace”(医療を平和への架け橋に)、あるいは“Medical Peace Work”(医療による平和活動)といった活動にも共通します。ただ残念ながらこれまでの実感として、医療は現地で武装グループの攻撃対象となることの方が圧倒的に多い。その医療が紛争の解決にまで関わるのは難しいでしょうが、平和に少しでも貢献できる可能性を信じたいと思っています。

もう一つ取り組んでいきたいことは、緊急援助の長期化に関する問題です。紛争が長引くことで、難民キャンプや紛争地域での生活は数年以上に及びます。そこでは、感染症の発生や栄養失調などの急性期の問題に加え、高血圧や糖尿病などの慢性疾患の割合も増加します。多くの緊急援助団体は慢性疾患への対応が十分とは言えず、一方で現地政府の保健医療システムに組み込まれることもない。その空白になってしまっている分野にどう介入していくか──。今後より積極的に考えていかなければいけない問題だと感じています。

西野恭平(にしの きょうへい)

2004年信州大学医学部卒業後、国立国際医療研究センターに勤務。2007年よりNGOペシャワール会に所属しアフガニスタンで医療活動。2010年帝京大学医学部付属病院救急部。2014年ロンドン大学衛生熱帯医大学院で修士号を取得。2015年より世界保健機関本部にてテクニカルオフィサーとして勤務。2018年よりMSFに参加。NGO Seedsでは代表を務める。

この他の回の「国境なき医師団の“意外な”仕事人たち」はこちら:

   》【第1回 現地広報編】趙 潤華

   》【第3回 自動車整備士編】川内 勇希

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