遠い国の話ではない……人道危機の現場で人びと寄り添う 世界で起きていること

2019年08月30日
トークイベントの様子 © MSFトークイベントの様子 © MSF

作家・クリエーターのいとうせいこう氏、朝日新聞記者の村山祐介氏、国境なき医師団(MSF)の倉之段千恵看護師によるトークイベント「いとうせいこう×国境なき医師団 ~人道危機の現場で、人々に寄り添うこと~」が7月27日、東京都写真美術館(東京都目黒区)で開かれた。報道写真に焦点を当てた世界最大級の写真展「世界報道写真展2019」の会期(8月4日で都内での開催は終了)にあわせた、朝日新聞との連携企画。

 紛争や暴力、貧困、苦境から逃れるために移動を強いられる難民・移民……。こうした人道危機がクローズアップされているアフリカや中南米、中東をテーマに、それぞれが現場で活動し、目にした事実や体験などを語った。3人が見た、「世界」とは?

今まさに、現場で起こっていること

世界報道写真大賞 スポットニュースの部 単写真1位、ジョン・ムーア(米国、ゲッティイメージズ)撮影
2018年 6 月12日、メキシコとの国境沿いにある米国テキサス州マッカレンで、ホンジュラスからともに来た母親のサンドラ・サンチェスが国境監視員の取り調べを受けている間、泣き叫ぶヤネラ
世界報道写真大賞 スポットニュースの部 単写真1位、ジョン・ムーア(米国、ゲッティイメージズ)撮影
2018年 6 月12日、メキシコとの国境沿いにある米国テキサス州マッカレンで、ホンジュラスからともに来た母親のサンドラ・サンチェスが国境監視員の取り調べを受けている間、泣き叫ぶヤネラ

大賞を受賞した「国境で泣き叫ぶ少女」を捉えた写真について、写真記者のジョン・ムーア氏をインタビューしたいとう氏、中南米の移民問題を取材してきた村山氏が解説した。 

いとう氏のインタビューに応じるジョン・ムーア氏(右)=2019 © MSFいとう氏のインタビューに応じるジョン・ムーア氏(右)=2019 © MSF

いとう ジョンさんによると、写真の母娘は中米ホンジュラスから米国になんとか入国しようとして警官に捕まった。写真を撮影した時の状況になる前にジョンさんが母親と話しをしていて、彼女がホンジュラスから来たということもわかった。そのあと、警察が尋問にきて、子どもが泣き出したそうです。

村山 これはまさに今、現場で起きていることを切り取った写真。米国とメキシコの国境では、毎年200~300人の遺体が見つかっている。2000年代は砂漠で見つかる遺体が急増した。現地の検視官の話だと性別もわからない状態だという。1ヵ月ほどすると白骨化してしまうので。 

いとうせいこうの目

いとう氏はこれまで、ハイチ、フィリピン、ギリシャ、ウガンダ南スーダン、5ヵ国でMSFを取材(2019年8月現在)。著書「『国境なき医師団』を見に行く」(講談社)や、ニュースサイトの連載などで、現地の様子を紹介している。  

現地での取材の様子を語るいとうせいこう氏 © MSF現地での取材の様子を語るいとうせいこう氏 © MSF

MSFって、医師と看護師しか活動できないの?

「もともとMSFに些細な寄付をしていた。その後、男性用の日傘を作ることになり、売り上げをMSFに寄付した。その時に、MSFの広報担当者と知り合った。広報担当者からMSFの活動について聞いたら、僕が思っていたのと随分違った。

一番驚いたのは、スタッフの半分が非医療スタッフだということ。MSFって医師と看護師しかいないと思っていた。病院の水をどう確保するか、建物のクーラーの配線どう設置するのかと考え、設備を作っていくのもMSFスタッフなのだということを知って。たしかに、ちゃんとした設備がなければ医療活動はできないですし、水がなければ手術もできない。自分達が水を飲むこともできないし、患者さんたちの傷を洗うこともできない。『こうしたことは、みんな知っていることなのか』という話になり、その場で取材を申し込んだ」

遠い国の話ではない

撮影した壁の文字「国境はない」=ギリシャ © Seiko Ito撮影した壁の文字「国境はない」=ギリシャ © Seiko Ito

「当時、ギリシャには中東やアフリカからどんどん人が来ていて、毎日のように何千人と難民の方がアテネに来ていた。たくさんの方がテント生活をしていた。漁港のテント群のひとつに行ったときに『国境はない』と書き記したものがすごく印象的で、撮影した。

テント暮らしの人たちは、みんな身なりが裕福だと感じた。英語もうまくて教養があった。でも国がおかしくなると逃げざるを得ない。日本人は遠い話だと思っているかもしれないけれど、決してそうではない。もし紛争が起こったら日本でも簡単にこういうことが起きるかもしれないと思った。着の身着のまま、ブランドのバックとかを持ってテントに行くだろうなと」

「戦争が終わって、平和になって、教育を受けたい」ジョジョの願い

忘れられない女の子、ジョジョ(左)=ウガンダ © Seiko Ito忘れられない女の子、ジョジョ(左)=ウガンダ © Seiko Ito

「彼女は忘れられない女の子、ジョジョ。南スーダンからウガンダに難民として来た。ジョジョはめちゃめちゃきれいな英語で話す。かなりの教育を受けている。なんとか戦争が終わって、平和になって学びの世界に戻りたいと言っていた」 

切ないくらいに元気な子どもたち

ウガンダの国連の民間人保護区=ウガンダ © Seiko Itoウガンダの国連の民間人保護区=ウガンダ © Seiko Ito

「いろんな人が逃げてきている国連の施設。ここにいる子どもたちは切ないくらいに元気だった。僕らを追いかけてきてこんなに良い表情をしてくれる。写真を撮って、撮って、と。子どもたちは年齢的に考えるとここで生まれた。紛争は知らないけれども、ずっと施設外に出られない状況が続いている」

戦火に巻き込まれた病院

戦火によって焼けた病院の前で=南スーダン © Toru Yokota戦火によって焼けた病院の前で=南スーダン © Toru Yokota

「南スーダンの北部にあるマラカルの病院は一部が戦火によって焼けてしまった。今も残っているところでMSFは活動をしている。人の命を救わなければならない医療の施設が戦火に巻き込まれることは絶対にあってならない」

倉之段千恵の目

MSFの倉之段看護師はイエメンでの活動から帰国したばかり。イエメンは中東で最も貧しい国とされ、2015年には暫定政権軍と反政府勢力「アンサール・アッラー(通称フーシ派)」の軍事衝突が勃発し、争いが続いている。食料不足や輸入制限、通貨の暴落などによる物価高騰で食料を満足に買えない人びとが多い。さらに2016年以降、医療に関わる公務員が保健省から給与を支払われていないという事態も続いており、医療体制が崩壊している。

倉之段看護師はイエメンの北部と南部の病院で合計約8ヵ月間勤務。イエメンでの活動から得た経験をもとに今回の世界報道写真展の入賞作品のいくつかを解説した。 

イエメンでの様子を語る倉之段千恵看護師 © MSFイエメンでの様子を語る倉之段千恵看護師 © MSF

亡くなる命……

ロレンツォ・トゥグノリ イタリア、コントラスト、ワシントン・ポストに提供 組写真1位
2018年5月21日、アデン市内にあるアル・サダカ病院のICUで苦しそうにあえぐ少女タイフ・ファレス。心臓病を患うタイフは、継続的な介護が必要だった。病院への酸素や医薬品の供給が断たれ、5月14日、病院を統治する民兵組織の一員と医師1名の間で暴力的な衝突が勃発。そうした事態を受け、医師らがストライキを決行した。タイフはこの写真が撮
影された数日後に死亡した。ロレンツォ・トゥグノリ イタリア、コントラスト、ワシントン・ポストに提供 組写真1位
2018年5月21日、アデン市内にあるアル・サダカ病院のICUで苦しそうにあえぐ少女タイフ・ファレス。心臓病を患うタイフは、継続的な介護が必要だった。病院への酸素や医薬品の供給が断たれ、5月14日、病院を統治する民兵組織の一員と医師1名の間で暴力的な衝突が勃発。そうした事態を受け、医師らがストライキを決行した。タイフはこの写真が撮
影された数日後に死亡した。

「MSFの病院には多くの子どもが来た。低栄養状態の子どもが多かった。子どもが低栄養の場合、そのお母さんも低栄養であることが多く、お母さんも子どもに十分な栄養をあげられない。低栄養状態の子どもはちょっとした病気でも悪くなってしまい、悪循環に陥っていた」

毎日高騰する物価

ロレンツォ・トゥグノリ
イタリア、コントラスト、ワシントン・ポストに提供 組写真1位 2018年5月22日、政府と反政府勢力間で支配権が行き来した南部要衝地アッザンの食料品店の外で物乞いする女性。
ロレンツォ・トゥグノリ
イタリア、コントラスト、ワシントン・ポストに提供 組写真1位 2018年5月22日、政府と反政府勢力間で支配権が行き来した南部要衝地アッザンの食料品店の外で物乞いする女性。

「毎日毎日、物価が高騰していた。近くに外国人がいるということで、物乞いもたくさんいた。ガソリンも高騰していて、移動手段が無くなる人もいた。移動手段が無くなると近くの病院でも行けなくなる。医療も受けられなくなるということも起こっていた」

新しい命……三つ子の赤ちゃん

誕生した三つ子の赤ちゃん © Chie Kuranodan/MSF誕生した三つ子の赤ちゃん © Chie Kuranodan/MSF

「手術室看護師として緊急の帝王切開にも立ち会った。母親は、1人目は自然分娩だったが、出産が止まってしまったため、2人目、3人目は帝王切開した。赤ちゃんはみんな無事に生まれた」

村山祐介の目

村山記者は、朝日新聞日曜版「GLOBE」で、米国を目指す移民の姿を取材してきた。暴力や貧困などから逃れるため、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルの中米各国などからメキシコを通って米国を目指す人たち。その移民たちが、大きなキャラバン隊を作って国境を目指している。

さらに今、南北アメリカをつなぐルートを遮るジャングル「ダリエンギャップ」を通って南米から米国を目指す人びとがいる。ダリエンギャップは、マラリア、デング熱の他、麻薬の密売、武装組織など、さまざまな危険がある場所。人びとが、危険なジャングルを命がけで通る理由とは……。 

中米からの移民らを取材した時の様子を語る村山祐介記者 © MSF中米からの移民らを取材した時の様子を語る村山祐介記者 © MSF

弱い立場にある移民の実態

「私が取材で出会った移民の人たちは弱い立場にあった。MSFが2015年に医療・心理ケアを提供した移民らにアンケートをとり、まとめた結果が衝撃的だ。68%が強盗や強姦、誘拐などのなんらかの被害にあったと回答している。

実際に取材をすると、3人に2人が被害に遭っていた。移民たち自身はお金がないが米国には親族がいる。移民を誘拐して身代金を要求すると、親族が送金してくれる。移民たちは正規な書類やビザなどを持っていないので、当局にも訴えにくい」

集団になることで得た「強さ」

米国を目指して、トラックに乗り込む移民ら © Yusuke Murayama米国を目指して、トラックに乗り込む移民ら © Yusuke Murayama

「(今年に入り)SNSで『移民キャラバン 2月16日 ターミナル午後11時』と書かれた画像が出回った。取材をすると米国を目指す約300人がホンジュラス北西部の都市のターミナルに集まっていた。中米からメキシコを北上し、集団で米国を目指す。

集団になることで、弱くて隠れているはずの移民たちが強くなった。当局も、集団を無視できなくなる。当局が集団について来るので、犯罪組織も狙わない。食事の面倒みるボランティアが集まり、地元当局が寝る場所を用意したりするようにもなった。

一人ひとりは小さな魚であった移民達が集団を作ることで、大きな魚(当局)にも対等に分かり合える状態になった。地元の人たちや研究者は『ゲームチェンジャー』だと言うようになった。ゲームのルールが完全に変わった、と」 

世界中の移民が集まる「ダリエンギャップ」

村山記者提供村山記者提供

「ダリエンギャップを通る移民の数も急増している。2015年の欧州難民危機の影響により、移民の視線が中南米に向いた。エクアドルに飛行機で向かい、陸路でダリエンギャップを目指す。メキシコからはキャラバンが通ったルートで米国に向かう。

そして2014 年のFIFAブラジル・ワールドカップと2016年のリオデジャネイロ五輪。ハイチやアフリカから、たくさんの人を呼んで建設工事をやった。出稼ぎの人たちはハイチに帰るのではなく、エクアドルからパナマを越えて米国を目指した。

人が多くなることで人が通れなかった場所が通れるようになる。世界中の移民ブローカーの知るところになり、世界中から移民が集まるようになった。世界中から集まってくる移民を米国のトランプ大統領は拒もうとしている」 

希望を求めて……なぜ国を離れるのか

米国を目指す移民たち © Yusuke Murayama米国を目指す移民たち © Yusuke Murayama

「なぜ国を離れるのか。特に戦火に巻き込まれている国ではいつ殺されるかわからない。家が焼かれて、学校が焼かれて、病院が焼かれて……。母国に住むリスクよりもダリエンギャップを通るリスクの方が、まだ希望があるという。でも、本当はそうしたリスクを負ってまで、国を捨てたいわけではない。その国で暮らせるように、国際社会が手をとらないといけない。どんなに壁を建てても、難民申請のハードルを高くしても人の波は止まらない。人道危機的な状況は続いていく」

関連記事

活動ニュースを選ぶ