“今世紀最大”の悲劇から1年——遠い復興、150万都市の傷あと深く

2018年07月30日掲載

国境なき医師団の病院で治療を受ける生後10ヵ月のジャワドちゃん。戦況の悪化で栄養失調児が増加した(2017年5月撮影)国境なき医師団の病院で治療を受ける生後10ヵ月のジャワドちゃん。戦況の悪化で栄養失調児が増加した(2017年5月撮影)

2017年7月、今世紀最大といわれる市街戦が終わった。激しい戦いの舞台となったのは、人口150万人超が暮らすイラク北部の都市モスル。約3年間にわたって過激派組織「イスラム国(IS)」に支配され、9ヵ月の戦闘を経て奪還された。

戦況は複雑さを極め、大勢の市民を戦闘に巻き込んだ。終結から1年が経った今なお、モスル市内外では深刻な危機が続いている。その一部始終を写真で振り返る。 

<2016年10月>事の起こり

2014年に国内第2の都市モスルを掌握したISは、同市をイラクにおける事実上の本拠地としていた。2016年10月、イラク治安部隊と多国籍連合の同盟軍がモスル奪還を目指して攻勢を開始。これが転機となり、イラク国内のIS勢力に対する闘いが始まった。

<2016年10~12月>戦闘を逃れて

わずか2ヵ月の間に、モスルと周辺地域の住民10万人余りが戦闘で住まいを追われる。国境なき医師団(MSF)は各地の避難民キャンプで活動を開始。心のケアと基礎医療を提供した。 

デバガ・キャンプでMSFの診療を待つ避難者デバガ・キャンプでMSFの診療を待つ避難者

「銃撃、爆発など……今日の手術は少なくとも3件。4件か5件になるかもしれません」 ——アレクサンデル・ウロブレウスキ(MSF外科医)

カイヤラ病院の救急処置室で赤ちゃんを治療する医師らカイヤラ病院の救急処置室で赤ちゃんを治療する医師ら

モスルで負傷した赤ちゃん。
家族で唯一生き残り、MSF病院で治療を受けたモスルで負傷した赤ちゃん。
家族で唯一生き残り、MSF病院で治療を受けた

また、戦闘に巻き込まれた負傷者を治療するためモスル市近郊に診療所と病院を設置。なかでも、モスルの約60km南に位置するカイヤラは非常に重要な病院となった。ベッド数30床に外科施設を備えるカイヤラ病院では、数ヵ月間で12万人余りを救急治療。病院の医師たちはたびたび多数負傷者の一斉来院に対応している。

<2017年1~4月>折り返し地点

「食糧の配給を受け取りに行く途中、そばの通りで何かが爆発して、胸と腕に破片が当たりました。転院を繰り返し、1週間前にこの病院に来ました」 ——アブドゥルラフマン君(11歳、ハムダニヤーMSF術後病院の患者)

アブドゥルラフマン君(11歳)。ハムダニヤーのMSF術後ケア施設にてアブドゥルラフマン君(11歳)。ハムダニヤーのMSF術後ケア施設にて

リハビリを受けるアブドゥルラフマン君リハビリを受けるアブドゥルラフマン君

2017年1月にモスル市東部を奪還、戦闘は折り返し地点へ。MSFはムハリビン病院の活動を立ち上げる。攻勢開始後、初めてモスル市内で活動できたのだ。市外の町でも複数の病院を整備、そのひとつハムダニヤーには何百人もの患者が術後ケア、リハビリ、心理・社会的支援を受けに訪れている。

ハマム・アル・アリルのMSF野外外傷診療所ハマム・アル・アリルのMSF野外外傷診療所

 2月、MSFは手術室、ICU、回復室、滅菌室、薬局、倉庫を5台のトラックに搭載した移動式外科ユニット・トレーラー(通称MUST)を初めて導入。高機能な外科施設として戦線付近の町ハマム・アル・アリルに配備し、緊急事態には追加物資を搬入する必要もなく100件の手術を執刀。MUSTは一時、モスル西部で戦場に最も近い外科施設だった。西モスルを巡る戦いに巻き込まれ、搬送された負傷者の半数以上がこのユニットに搬送された。

「目指したのは、トラックで運べて、窮地にある人びとのもとにいち早く駆けつける臨機応変な外科施設でした」 ——アルノー・バディニエ(MUSTプロジェクト責任者)

コンテナ病院(MUST)の全景コンテナ病院(MUST)の全景

<2017年5月>飢餓と傷

カイヤラのMSF病院で栄養失調の治療を受ける赤ちゃんカイヤラのMSF病院で栄養失調の治療を受ける赤ちゃん

このころから、MSFの病院に重度急性栄養失調の子どもが来るようになった。イラクでは異例のことだ。IS支配下で、人びとが過酷な状況に置かれていることの証だった。戦線が住宅地にまで及び、モスル市民が食糧などの必需品を買い出しに行けなくなると、状況は悪化の一途をたどった。 

<2017年6月>最悪のシナリオ

2017年の夏までに、100万人を超える住民が避難。戦闘ぼっ発当初から多くの人道団体や国連機関が恐れていた最悪のシナリオが現実のものとなった。 

ハマム・アル・アリルのMSF野外外傷診療所で、2年前に生き別れた姉と再会した男性ハマム・アル・アリルのMSF野外外傷診療所で、2年前に生き別れた姉と再会した男性

ナブルス病院の手術室で執刀するMSFスタッフナブルス病院の手術室で執刀するMSFスタッフ

刻一刻と変化する状況を受け、MSFは最後の前線となったモスル旧市街にあるナブルス地区へ入り、逃れて来た負傷者を援助。ナブルスの病院では産科・小児科の診療も始め、現在も活動を続けている。2017年は約1万件の急患、数百件の外科処置、約1400件の分娩介助を行い、約500人の小児患者を診療した。 

<2017年7月>奪還

「診療所や病院に来られたのは、自力で歩ける負傷者だけです。たとえ歩けたとしても、安全に出かけられるようになるまで何日も待たなければなりませんでした」 ——アニャ・ヴォルツ(MSF緊急対応人材プール・マネージャー)

戦闘終結後の西モスル戦闘終結後の西モスル

250日余りに及ぶ攻勢の末、7月10日、アバディ首相がモスル旧市街でイラク軍幹部と肩を並べ、奪還を公式に宣言。第二次世界大戦後で特に死者数の多い市街戦のひとつとなった。

この紛争で何万人もが死傷し、100万人余りが避難。戦線は人口密集地を横断し、たくさんの人が時に何ヵ月も事実上の包囲下に置かれた。モスル西部のインフラは、医療施設も含め戦闘で壊滅した。

<2018年7月>これから

モスル奪還作戦が公式に終結してから1年が過ぎたが、現地では今もその影響が見て取れる。

悲惨な戦闘を生き延びた人びとには、目に見えない傷あとが残っている。リハビリや心のケアのニーズは膨大だが、国内の医療体制では到底カバーしきれない。

モスルには大部分の市民が戻ったものの、まだ相当数が避難生活を続けている。街の復興も、耐え難いほどに遅れている。特に旧市街では、がれきの下に何十人もの遺体が残る状態だ。多くの人が、半壊した家屋や崩れた壁の間で暮らす。地雷などの爆発物もまだ残されており、市民にとって大きな脅威となっている。

戦闘終結から1年を経たいまなおモスル西部で稼動している医療施設はMSF病院を含めて2ヵ所しかない。MSFは今後も手術を必要とする戦闘被害者を援助するため、新たに市東部で術後ケア施設を設置。加えて、複数のプライマリ・ヘルスケア施設の支援と、紛争被害のなかでも被害が特に深刻な人を対象とした物資配給を定期的に行っている。 

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