【結核予防週間】多剤耐性結核が子どもたちの命を脅かす 適切な診断と治療が不可欠
2021年09月29日9月24日~30日は厚生労働省が定める「結核予防週間」だ。結核は「過去の病気」と思われがちだが、2020年に日本で新たに登録された結核患者は1万2000人以上(※1)。人口10万人あたりの罹患(りかん)率は米国など他の高所得国と比べても高く、結核の中まん延国とされている。私たちが暮らす日本でも、いまだに多くの人が結核に苦しんでいるのだ。
結核を治療するためには、多数の薬剤を最長2年間、毎日投与し続ける必要がある。第一選択薬が効かない「多剤耐性結核(MDR-TB)」や、第一選択薬、第二選択薬と複数の治療薬が効かなくなる「超多剤耐性結核(XDR-TB)」の台頭も結核治療の大きな課題だ。
国境なき医師団(MSF)は、結核がまん延している多くの国で治療や予防の活動をしている。中でもインドは、2019年の結核患者数が約264万人、人口10万人あたりの罹患率は日本の約19倍にものぼる。世界の結核患者の26%を占めており、結核対応は喫緊の課題だ(※2)。とくに小児の結核は診断が難しく、有効な治療薬が少ない。ムンバイの医療チームリーダー、アパルナ・イェル医師に結核プロジェクトの現状について話を聞いた。
- ※厚生労働省 2020年 結核登録者情報調査年報集計結果
- ※WHO Global Tuberculosis Report 2020
苦痛をともなう診断と、限られた治療法 MSFの診療所は最後の砦
MSFはムンバイの東の郊外に位置するゴバンディで活動している。72%がスラムで、住民の多くは社会・経済的地位が低く、結核罹患率が高いエリアだ。1999年に立ち上げたMSFの診療所でMDR-TB、XDR-TBやHIV/エイズを併発した患者を中心に受け入れているほか、2006年から支援している政府の「結核プログラム (National TB Elimination Programme)」が運営する2つの施設でも活動している。
薬剤耐性結核の患者は、長年にわたる薬剤の服用で肺がダメージを受けるなど、治療が難しい状態になっていることが多い。MSFの診療所には、政府の医療施設や私立病院で治療策が尽きてしまった重症の患者が紹介されてくる。現在MSFの診療所では103人、「結核プログラム」の施設では1109人の患者が治療を受けており、うち約20~25%が0~18歳の子どもだ。
小児結核の大きな問題点は、その診断の難しさにある。通常、結核の診断は肺から出る痰(たん)を容器に吐き出してもらい、結核菌の有無を検査する。しかし5歳未満の子どもは痰を吐き出すことが難しく、飲み込んでしまうことも多いため、胃から痰を吸引する方法を取る必要がある。この方法は体に負担がかかり、苦痛と痛みも伴う。
また子どもの結核は肺以外の場所に感染していることも多く、リンパ節や鼻の奥が腫れていることもある。その場合は外科措置の可能な医療施設で腫れを取り除いたり、生検を行って診断する。1カ所の結核クリニックで診断から治療まで完了する肺結核の患者と違い、肺以外の場所に感染のある患者とその家族は、外科措置や診断のために複数の医療施設をまわらなければならず、移動のコストも問題だ。時には市内の医療施設に紹介しても予約が取れるまで長い期間がかかることもあり、患者が検査に行かなくなってしまうこともある。
結核は、早期に的確な診断を受け、正しい治療を開始しなければ、将来に大きな影響を及ぼす。
「15~16歳のあるMDR-TB患者は、私立の医療施設で治療を受けていましたが、通院するための交通費を払うことができず、家の近くの施設で薬の処方を受けるようになりました。しかしこの薬は効かず、長期間、効果的でない薬を服用したため、MSFが一緒に活動している政府の『結核プログラム』の診療所に紹介されてきたときはすでに両方の肺がとても悪い状態で、予後の見通しはよくありません。こういう患者さんが多くいます」とアパルナ医師は経験を語る。
「政府もこの問題を何とか解決しようと、市内の医療施設に支援金を出して結核患者の診療を無料にするなど対応していますが、今後は小児結核もひとつの施設で診断から治療まで完結できるような改革が必要です。また診断に関しては現在、自動遺伝子解析装置『GeneXpert ultra』を用いた肺結核診断の試験と、検便サンプルを用いた試験が進んでおり、実用化されれば小児結核を含む結核の診断が容易になることを期待しています」とアパルナ医師は話す。
画期的な治療薬が子どもへ届かない
治療の選択肢が少ないことも小児結核の課題だ。近年、MDR-TBやXDR-TBにも効果のある新薬、べダキリン(ジョンソン・エンド・ジョンソン)とデラマニド(大塚製薬)が開発されたが、世界保健機関(WHO)の結核治療ガイドラインでは、現状では5歳以下の子どもへの使用は推奨されておらず、小児結核には注射薬を中心とした治療方針が示されている。大人でも嫌になるほどの痛みを伴う注射を、6~8カ月間、毎日打つこと、また体が未発達の子どもへ長期間の注射薬を使用することで、聴覚への影響も懸念されている。MSFの診療所では、5歳以下の子どもにべダキリンとデラマニドの併用治療を行っている。
デラマニドの供給にも問題がある。現在デラマニドはコンパッショネート・ユース(※)を通して供給されているため、申請してから届くまで1.5~2カ月ほどかかる。また、1人の患者が完治するまで必要とするデラマニドの価格は約5500米ドル(約60万円)と高額だ。「適切な薬剤を使用し、なるべく短期間で治療を終わらせることが、薬剤耐性結核の治療にとても重要です。現在、べダキリン・デラマニドとイミペネム(MSD)という注射薬の併用は結核治療の最後の手段です。この治療法でも効果がない子どもは、痛みや不安を取り除くための緩和ケアに送るよりほかに、できることはありません。画期的な新薬が必要な人に届き、緩和ケアに送られる子どもが1人でも減ることを祈ります」
- ※人道的配慮から、生死に関わる病気の患者に対し、販売承認に先立って未認可薬の使用を認める制度
結核の治療には心のケアや栄養状態の改善も必要
結核患者の中には、深刻な栄養失調を併発している場合もある。政府の「結核プログラム」は栄養失調患者へ一律の金額を送金する支援を行っているが、MSFはさらに、栄養失調の状態の把握や必要性に応じた治療が必要だと考える。また、結核治療中の患者の中には精神面でのケアを必要とする場合もある。アパルナ医師は「結核治療の副作用の一つに、自殺願望を高めるというものがあります。ムンバイの結核専門施設では2013年以降、自殺率の増加が認められ、MSFはカウンセラーなど心のケアのチームを派遣しました。結核専門家だけではなく、カウンセラー、ソーシャルワーカー、精神科医など、幅広い領域の専門家が結核治療には必要です」と語る。
結核の診断を受けた4歳の女の子は、それまで投与されていた注射薬から経口薬に切り替えたところ、効果が出る一方で、激しくイライラするなど心理的な副作用が現れた。女の子の母親は妊娠中で低栄養状態であり、家族から必要なサポートも受けられていなかった。妊娠した体で4歳の娘を連れて通院したり、子どもが飲めるように砕いた薬剤を適切な用量の水で溶かして飲ませたりと、たった1人で大きな負担を抱えていた。MSFは政府の「結核プログラム」と協力し、チームでこの母子の心のケアを行ったところ、患者だけではなく母親もカウンセリングを受けることで少しずつ状態は良くなり、最終的に女の子は治療を終えて完治した。「結核治療では、病気の治療だけではなく、精神を含む身体の状態を包括的に把握し、患者だけではなく家族を中心としたケアを提供することが不可欠です」とアパルナ医師は話す。
インドでは、新型コロナウイルス感染症流行のピーク時に、ロックダウンによって通院することができなくなった結核患者のために無料メッセンジャー・アプリを使ったビデオ診療も開始した。一時は肺などに障害を抱える結核患者が新型コロナに感染した際の重症化が心配されたが、幸いにも、結核患者の新型コロナ感染者は少なく、インドのワクチン接種率は9月26日現在、約45%に達している(※)。
2020年には、一時的に結核罹患率が減少した。新型コロナ対策のために家から出なかったり、マスク着用や咳エチケットなどが浸透したことも理由と考えられる。アパルナ医師は続ける。「政府の医療施設が新型コロナ専用施設になってしまい、診断や治療が難しくなるケースはありましたが、市内の医療施設と連携して対応しています。コロナの流行が収まっても、結核は子どもたちの命を脅かします。適切な診断と治療薬が多くの患者に届くよう、MSFは今日も活動を続けています」
- ※Our World in Data, Coronavirus (COVID-19) Vaccinations