シリア:「常に恐怖と隣り合わせ」——内戦6年目のシリアから現地医師のレポート
2016年03月17日
2016年2月15日に爆撃を受け損壊した
シリア北西部イドリブ市から北西に位置する小さな町で、国境なき医師団(MSF)の支援を受けて活動している医師がいる。日常のすみずみに浸透している恐怖と、2015年3月に起きた学校への爆撃の影響について、語ってくれた。
緊急援助活動にご協力ください
寄付をする※緊急支援対象から「シリア緊急援助」を選択してください。
電話 0120-999-199 でも受け付けています。(9:00~19:00/無休/通話料無料)
国境なき医師団への寄付は税制優遇措置(寄付金控除)の対象となります。
記事を全文読む
飛行機が毎日頭上に飛んでいる町の診療所
私はもともと神経外科が専門ですが、この3年間で救急損傷専門になりました。ただ現状に迫られて、ここではすべての疾患を診ています。私の町では電力供給が不安定で、エネルギー源は発電機などに頼っているため困難な状況が続いています。
この町の診療所は10年ほど前、戦争が始まる前に建てられました。慈善団体の後援を受け、ボランティアが低水準に抑えられた月給で働いていました。紛争の最中、この慈善団体による支援は大きく減り、私たちはどこからでもいいので支援を受けようと手を尽くしましたが、これまでのところ安定していません。建物はさび、爆撃を受けたらもちこたえそうにありません。誰もが緊張して常に怯えています。爆弾が落ちる日も落ちない日もありますが、飛行機は毎日頭上を飛んでいるんです。
大規模外科病院での活動
週に5日は町の診療所で働き、残り2日は約30km離れた、より規模の大きい病院で働いています。この病院はより高度な治療を一手に引き受けていて、約15万~20万人ほどがこのあたり一帯の担当区域内にいます。町からこの大きい病院に行くには山中の悪路を通らなければならず、救急車を使うのはかなり難しいです。しかも、私たちの町には1台しか救急車がなく、1度に3~4人の負傷者を乗せて走っています。患者にとってそれ以外の交通手段は、タクシーのような乗用車です。
この病院は地域で最大にして最も重要な中核医療機関です。集中的な外科治療を行う体制が整っており、1日に約10~15件、時には20件の手術をこなす場合もあります。ここは私がこれまでに勤務した中で最も大規模な医療施設です。
この病院は、MSFを含む様々な団体の支援を受けていますが、これらの後援をもってしても、病院の規模とそのニーズにより、消耗品はすぐ使い果たされてしまいます。
学校に爆弾が降った日
ある日、外科病院の方でいつも通り働いていると、ビラト・アルマナズという村で爆撃があったとの知らせが飛び込んできました。小さな場所で爆撃があったと耳にしたのはこれが最初でしたが、本当に悲惨でした。大勢の子どもがいる学校を直撃したからです。現地にいた同僚の話では、飛行機が1機、午前9時30~10時頃に飛んできて、学校を爆撃したとのことでした。学校長と教師1人、5人の子どもは即死でした。ほかにも負傷者が30~35人いて、私が普段勤務している町の診療所に搬送され、最重症例に関してはチームから応急処置を受けた上で、その日私がいた外科病院の方へ送られてきました。
私たちは20人を受け入れ、比較的軽傷で済んだ15人はこの診療所に残りました。2人の子どもが病院に着いてすぐに亡くなりました。残りの子どもたちもひどい怪我をしていました。体の一部が切断されていたり、顔に火傷をしていたり。言葉に表しきれるものではありませんでした。搬送された子どもたちは生きるか死ぬかの分かれ道にいる状態でした。
生きるために必死に闘った2人の女の子
私たちが治療をした最初の患者は11歳くらいの女の子でした。傷口が大きく開き、お腹の中がまる見えの状態でした。救急処置チームはまず縫合ではなく、包帯などごく簡素な覆いで腹部を閉じようとしました。こんなに大きな傷を負い、内臓が事実上体の外に出ているにもかかわらず、まだ生きているのには驚かされました。救急処置チームはなんとか女の子の臓器を元の場所に「戻そう」としたのですが、うまくいきませんでした。私たちはすぐに手術にとりかかり、彼女は最初の2時間は応答していました。この小さな女の子は生きようとする素晴らしい意志がありました。彼女は最後まで闘いに闘って、なんとか生きながらえようとしました。でも、最終的に傷に負けました。それがこの日診た負傷で最悪の症例となりました。
その直後、もう1人の女の子が運ばれてきました。この子は8歳くらいで首に近い肩の部分を負傷していて、大量に出血していました。すでに出血多量で、息も絶え絶えでした。私たちはできる限りのことをしましたが、手術開始から30分経過したところで、彼女も亡くなりました。
希望と苦悩の間で
あの状況にどう対応したか、思い出す時間すらありません。ただ医療従事者として、お話したような症例を診ることには慣れています。もっと難しいと言えるのは、上空を飛ぶ飛行機です。ほとんど常に飛行機が飛んでいる中で生きるのは簡単ではありません。私にとって過去数年の期間は、本当につらいものでした。希望と苦悩の間を行き来してきました。紛争のうちに過ぎたこの数年の経験を、言葉で伝えるのは難しいことです。人生にも、心にも、大きな影響を及ぼしています。私たちはただ、神がこの事態を切り抜ける力をあたえてくださることを願っています。