「お父さんは殺された。だから僕が働くんだ」 中央アフリカ、終わらない暴力の中で【前編】
2021年10月22日
「いつになったら安心して暮らすことができるのか──」
政府軍と武装勢力の間の戦闘により、多くの人びとが住む場所を追われている中央アフリカ共和国。全人口の約3分の1に当たる140万人以上が避難生活を送っている。状況の悪化により避難に次ぐ避難を強いられる人びとが、その思いを語った。
避難民キャンプを追い出されて

ユムサ・アギダさん
© Lys Arango
2016年、一家は中部ワカ州のバンバリにたどり着き、エレバージュ避難民キャンプで生活を始めた。
「ようやく安全を手に入れることができた」。そう安堵したのもつかの間、大統領選挙が行われた昨年末から、新たな暴力の波がこの国を襲った。今年2月には、政府軍と武装勢力の間で戦闘が激化し、エレバージュ避難民キャンプにある国境なき医師団(MSF)の支援先診療所がロケット弾を受け損傷。6月には、8500人の避難民が同キャンプから強制的に追い出された。キャンプのモスクや商店、MSFが設置したマラリア診療所など、あらゆる建物が焼き払われた。
ユムサさんの年老いた母親は、このような暴力的な状況に耐えられなかった。「私たちがキャンプから追い出された後、母は食事をとることも眠ることもできなくなり、ほとんど言葉を発しなくなりました。そして先週亡くなりました。埋葬したのはバンバリの墓地です。故郷から遠く離れた場所に埋葬するしかありませんでした…」
エレバージュキャンプを追われてから、ユムサさん一家が暮らしてきたのは、バンバリの中央モスクの敷地の一角だ。生活環境は過酷で、狭い部屋で大勢が密集して過ごすか、その場しのぎのテントで寝泊まりするしかない。雨期になると、状況はさらに悪化する。
「嵐が来ると、四方八方から水が入ってきます。テントは古くて穴が開いていて、地面はただの土なので、シェルターの中は泥だらけです」と、ユムサさん同様にキャンプから逃れてきた73歳の男性は話す。「何よりつらいのは、自分が役に立たないと感じることです。いま私たちは生活のすべてを支援に頼っているのです」

友だちが撃たれた
8月半ば、牛の放牧からバンバリ市に帰って来たサレー・アブドゥレイさん(17歳)を、バイクに乗り武装した男が突然引き留め、銃撃。サレーさんは血を流して倒れまま、置き去りにされた。
その後、サレーさんは友人によってMSFの支援先病院に運び込まれた。医師らによって腹部からの弾丸摘出が行われ、容体安定に成功。しかし、脊髄の損傷が激しく、専門治療のため、空路で首都バンギへの移送が必要になった。
サレーさんが入院していた約10日間の間、ずっと友人が付き添っていた。夜は病院の外で寝るしかなくても、できるだけそばにいようと。サレーさんが首都に運ばれる時、空港で涙を流していた。

「僕の夢は大統領」 子どもたちの未来は
長引く紛争は、目に見えにくい心の傷も残してきた。顕著なのは子どもたちだ。バンバリ市街をさまよい、わずかばかりの生計を稼ぐためにコーラの実を売る幼い少年たち。大半は、2014年に武装勢力に襲われた近隣のリマ村の出身で、皆、片親か両親を失くしている。
そんな少年の一人、イドリサ君(10歳)は母親と弟とともに市の中心地で暮らす。
「お父さんが殺されて、お母さんはすごく悲しんで、ずっと泣いてばかりいます。だから、僕が働かなきゃいけないんです。朝の7時から夜の7時まで、一日中街を歩いてコーラの実を売っています。去年まで学校に通っていたけど、いま学校は閉まっています。紛争のせいで先生が皆、バンバリからいなくなってしまって、悲しいです。勉強しないと立派な人になれないのに……」
バンバリの子どもたちは幼くして多くの暴力の目撃者となり、保護者なしに街頭にいると武装勢力に勧誘される恐れもある。それでも、明るい未来への希望は捨てていない。
12歳のアマドゥ君は宣言する。「僕の夢は、この国の大統領になることです。困っているたちにお金をあげて、武器じゃなく商売で生活できるようにしたいです」
