国を越えて運んだ「私の大切なもの」 ベネズエラ、世界で2番目に国外避難民が多く

2021年12月17日
ブラジル北部、ベネズエラから逃れてきた一家。移民手続きを待つ野宿生活が1カ月続いている=2021年11月 © Mariana Abdalla/MSF
ブラジル北部、ベネズエラから逃れてきた一家。移民手続きを待つ野宿生活が1カ月続いている=2021年11月 © Mariana Abdalla/MSF

明日12月18日は「国際移住者デー」。財政破綻と政治の混乱に苦しむ南米ベネズエラでは、ここ数年で国外へ逃れる人が激増し、600万人を超えた(※)。その数は内戦下にあるシリアに次いで、世界で2番目に多い。
※2021年11月現在、国連システム機関間地域調整プラットフォーム(R4V)のデータ

ベネズエラとの国境沿いにあるブラジル北部の小さな町、パカライマには毎日およそ500人の避難者が到着する。コロナ禍で閉鎖されていた国境が今年7月に一部再開されたためだが、難民・移民申請の受付は1日65人のみ。手続きを待つ多くの人たちは基本的な生活サービスを受けられず、路上で暮らさざるを得ない。

パカライマで避難民に医療を提供している国境なき医師団(MSF)は、ベネズエラからたどり着いた人たちに国境を越えて運んだもの、いまの思いなどを聞いた。

働くためのミシン/アレハンドラさん

元教師のアレハンドラさん(仮名)は裁縫の仕事を得るためにミシンを持ち運んだ © Mariana Abdalla/MSF
元教師のアレハンドラさん(仮名)は裁縫の仕事を得るためにミシンを持ち運んだ © Mariana Abdalla/MSF

「ブラジルで働けるようにミシンを持参しました。教師をしていましたが、いまは裁縫で生計を立てています。子どもは5人いて、年上の子たちは(ブラジル北西部の)ポルトベーリョにいます。ここには末っ子の息子と16歳の娘、彼女の2歳の息子も一緒にいます。娘はパートナーから虐待を受けていたので、先日、旅費を支払って呼び寄せたのです。留まっていたら彼に殺されかねないので……。

着いたばかりの頃は、床にダンボールを敷いて寝ていました。それでもベネズエラよりはましです。激しい価格の暴騰で石油の値段は1リットルで10米ドル(約1137円)、米1パックは4米ドル(約455円)。食料を買うには借金しなければならず、お給料は前月分の返済でその日のうちになくなってしまいます。先にブラジルに来ていた夫からの送金で買えるのは、米1パックと小麦粉1パックだけ。ようやくブラジルにたどり着いた時、末っ子は栄養失調にかかっていました」

仕事のスキルと子どもたちへの愛情/マリア・エレーナさんとドミンゴさん夫妻

裁縫道具を持つマリア・エレーナさんと聖書を手にするドミンゴさん。エレーナさんは高血圧で2度脳卒中を経験。MSFの診療を受けている © Mariana Abdalla/MSF
裁縫道具を持つマリア・エレーナさんと聖書を手にするドミンゴさん。エレーナさんは高血圧で2度脳卒中を経験。MSFの診療を受けている © Mariana Abdalla/MSF

「ドミンゴは弁護士で牧師、私は裁縫師です。私たちの場合は、仕事のスキルと子どもたちへの愛情ですね。ベネズエラでは多くの家族が生き延びるための方法を模索し、移住する場合は別々に暮らさなければなりません。それは悲しいことです。

私たちの子ども3人のうち、2人はブラジル南部にいます。39歳の長男はコロンビアのボゴタに行き、そこで脳卒中を起こして亡くなりました。より良い生活を求め、家族と共に出国したのですが、待っていたのは死だけでした。病床に伏していた7カ月間、母親の私は彼のそばにいてあげられず……。他の子どもたちとも、もう2年も会っていません。もしも皆で一緒に暮らしていたら、息子はまだ生きていたかもしれないと思うと、なかなか立ち直れないのです」

平和な暮らしの記憶/ウィルフレードさん

応援する球団のベースボールキャップを持ち続けるウィルフレードさん。妻と3人の娘、3人の孫と共に国境を越えた © Mariana Abdalla/MSF
応援する球団のベースボールキャップを持ち続けるウィルフレードさん。妻と3人の娘、3人の孫と共に国境を越えた © Mariana Abdalla/MSF

「心の片隅に故郷での平和な暮らしの記憶があります。それを思い出すために、応援していた球団『レオネス』の帽子を欠かさず持ち歩いているのです。

ベネズエラではウェイターをしていましたが、仕事を失い、新しく見つかったとしても家族を養うには給料が足りませんでした。子どもたちが毎朝お腹を空かせて起きても、与える食べものがないのです。どう伝えれば良いのでしょう? 朝食をあげれば昼食がなくなり、昼食を出せば晩ごはんがなくなり……。

ここでの暮らしも楽ではありません。ただ、またいつか熟した果物を食べるためには、まだ青いものも食べなければならないときがある。孫たちの未来のために頑張らないと」

起業する夢/ビクトルさんとアレハンドロさん

将来の夢を掲げるビクトルさんとアレハンドロさん。共に19歳、故郷では隣人同士だった © Mariana Abdalla/MSF
将来の夢を掲げるビクトルさんとアレハンドロさん。共に19歳、故郷では隣人同士だった © Mariana Abdalla/MSF

「僕たちの夢は、小さくてもいいからビジネスを始めること。家族は僕たちが行くことに反対でしたが、ベネズエラにいても若者にとっていい仕事はありません。ここで仕事が見つかれば、家賃も払える。母親たちは泣いて、苦労するだろうと嘆いていました。確かに床の上は寝づらいですが、申請手続きを済ませて、前に進みたい。何度も挑戦し続けることで、道が開けると信じています」

この記事のタグ

関連記事

活動ニュースを選ぶ