家を焼かれ、家族も銃で撃たれた 「傷は深く、悲しみが癒えることはない」

2018年10月19日

バングラデシュ・コックスバザール県。ここの難民キャンプには、故郷・ミャンマーを逃れたイスラム系少数派「ロヒンギャ」の人びとが身を寄せている。その数、91万人以上。きっかけは、2017年8月、ミャンマー軍がロヒンギャの人びとを狙って展開した「掃討作戦」。兵士らに家を取り囲まれて、家に火をつけられたり、家族や親戚を目の前で殺されたりした。

あの日から1年がたつが、今も難民キャンプで、国境なき医師団(MSF)は活動を続けている。ロヒンギャの人びとが心に抱える傷は深く、悲しみが癒えることはない。 

4歳の我が子を、燃え盛る炎の中に放り込まれた 「全てのことを忘れない」

© Robin Hammond© Robin Hammond

ロヒマは25歳。住んでいた村からバングラデシュに逃げて来たのは2017年9月。故郷では、地元の人たちからも暴力を受け、「お前たちには、ミャンマーに住む権利がない」と言われました。

ある早朝、ミャンマーの兵士が村を取り囲みました。住民は男性と女性に分けられ、男性は身柄を拘束されました。若い女性は性的暴行を受けました。そして、兵士は家に火をつけました。

ロヒマも、性的暴行も受けそうになりました。でも、当時妊娠7ヶ月。4歳の子どももいました。兵士はそれを見て、ロヒマから離れました。でも、4歳の子どもは恐怖のあまり泣き叫んでしまったのです!兵士は、子どもを燃えさかる家の炎の中に放りこみました。

それだけではありません。兵士はロヒマの目の前で、夫をも銃で撃ったのです。

「私は今も、全ての瞬間を覚えています。夫を亡くし、子どもを亡くし、親しかった近所の人たちや親戚も失いました」 

燃えている家の中に取り残された娘…足に残った火傷の跡 「将来がめちゃくちゃに」

© Robin Hammond© Robin Hammond

ヤサミンは、まだ5歳です。あの日、兵士たちは村の家々を焼き始めました。ヤサミンたちが住んでいた家にもついに火の手が。

その時、家の中からヤサミンの叫び声を聞いたのは、母のファティマでした。ファティマがなんとか、彼女を炎の中から助け出したのです。でも、かわいそうに。足とお尻にひどい火傷を負ってしまいました。

ファティマは、娘の将来を心配しています。

「娘は将来、結婚できるでしょうか。たくさんの困難が降りかかってくるだろうと思います。娘はまだ幼いですが、彼らに娘の将来をめちゃくちゃにされたと思っています」 

体はやせて、心も晴れない 「もう故郷には戻れないのか」

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6歳の息子と一緒にいるのは、モハマド(26歳)です。モハマドは、目の前で、おじと、いとこが撃たれました。両親もひどい暴行を受けました。お陰でモハマドはトラウマを抱え、心の病気になってしまいました。それが体にもトラウマの症状が現れるようになりました。

「以前はもう少し体重もあったのですが、何が起こったのかを毎日考えていると、どんどんやせてしまいました」

国境なき医師団(MSF)に助けを求め、薬を飲み始めたといいます。

「難民キャンプでできれば生活したくはありません。とても良い環境だとはいえません。以前は、良い土地も家もありました。帰ることができれば嬉しいのですが、土地も家も焼かれてしまいました」 

銃弾に倒れた兄 「あの時のことが、今も夢に」

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アスモト(23歳)も、目の前で兄を失いました。あの日、ミャンマー政府は住んでいた村を襲撃しました。アスモトは、兄と一緒に、走って逃げているところでした。後ろを走っていた兄は、お腹を撃たれ、そのまま地面に崩れ落ちました。アスモトも、太ももを撃たれました。

「地面で、兄が死んでいるのが分かりました。それから、誰かが私の肩を持ってくれて、ジャングルに連れて行ってくれました」

食べ物も避難するような場所もないまま、7日間、村の何人かでジャングルに隠れました。

「今も兄が恋しくなります。1日中、兄のことを考えている時もあります。兄のことを考えている時は、心の平安はありません。時々、夢にもミャンマーでの出来事が出てきます」 

家族14人が殺されて 生き残ったのは弟と2人

© Robin Hammond© Robin Hammond

ジョウラは12歳。10歳の弟がいます。本当は16人家族でした。でも、兵士が住んでいた村を襲い、ジョウラと弟以外の家族は殺されてしまいました。

「私はこの目で見たのです。最初に兵士たちは、村人と男の人と女の人に分けていました。可愛い女の人たちはどこかに連れて行かれました。高齢の男の人たちは、殺されてしまいました。彼らは殺される前に、自分たちが殺された後に入る、大きな穴を掘らなければいけませんでした」

ジョウラは逃げ出しました。川に落ちた時に、ジョウラも撃たれました。でも、なんとか川をはいでて、墓地に逃げました。

「そこには、姉が…。倒れていました…。姉達のうち1人は、顔を打たれていて、顔中が血だらけになっていました。私は気絶してしまいました」

気がつくと、ジョウラは見知らぬ男性に運ばれていました。彼も逃げ出した1人でした。ジョウラを助けてくれたのです。そして、ジョウラが目を覚ますと、道沿いにはなんと弟が!

その後、2週間ほど病院で治療を受けたジョウラ。今は、バングラデシュの難民キャンプで、弟と親戚と一緒に暮らしています。

「私はもう両親の名を呼ぶことはできません。両親や、兄弟たちに会いたいです」 

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