アフガニスタンで活動した日本人看護師「患者が殺到してベッドが足りない」 国際援助の継続を訴え
2021年10月29日タリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧した直後の8月26日から5週間にわたり、国境なき医師団(MSF)の看護師・白川優子が南部ヘルマンド州で医療援助に当たった。
帰国後の10月21日に日本記者クラブで記者報告会を行い、多くの医療機関が閉鎖に追い込まれている現状を伝え、国際社会による援助の継続を訴えた。
目の前に広がった意外な光景
街に入り、目に飛び込んできたのは、意外にも平和な日常の風景だった。人びとは路上の店で野菜や果物を買い、一人で歩いている女性や、外で遊ぶ子どもたちもいた。一見平和な風景だったが、見た目だけでは分からない人びとの不安を白川は後に知ることとなる。
激しい戦闘が続いた街で
白川が派遣されたのは、ラシュカルガにある州立ブースト病院。MSFが2009年から支援している、地域の基幹病院だ。救命救急センター、外科、産科、新生児科、小児科、入院治療栄養センターなどを備え、800人ものスタッフが働いている。
ラシュカルガでは、米軍の撤退後タリバンが勢力を増し、8月1日から約2週間にわたってタリバンと政府軍の間で激しい戦闘が続いた。地上戦と空爆があり、その間病院で勤務していたスタッフたちは安全のため地下室に寝泊まりしながら、戦闘の負傷者の対応を続けたという。
8月14、15日に戦闘が終結すると、それまで外に出られず病院へ行けなかった人たちが、一気に病院を目指した。しかし、タリバンが権力を握ったことにより欧米などからの資金援助が停止され、それらの資金に頼る多くの病院が閉鎖を余儀なくされていたのだ。ヘルマンド州だけでも何百という病院が機能しなくなった。
そのため、運営を続けていたブースト病院に患者が殺到。白川の活動中、緊急外来の患者数が1日800人を超えた日もあったという。300床の入院病棟は常に満床で、緊急の手術は1日10~30件近くあり、24時間手術が途切れることがないほどの忙しい日々だった。
特に小児科のベッドの不足には毎日チームで頭を悩ませた、と白川は振り返る。栄養失調と呼吸器疾患を抱え、複合的な要因で子どもが毎日亡くなっていった。1日平均70人以上の子どもが栄養失調で受診し、入院が必要な子どもがいるのに、ベッドがない。小児科だけでなく、外科や内科のベッドを借りても足りないという状況だった。白川が帰国するまで患者の殺到は続いており、帰国の際は後ろ髪をひかれる思いだったと語った。
自らも被害に遭いながら活動を続ける現地スタッフ
白川は手術室看護師マネジャーとして、手術室の看護師、麻酔専門の看護師、看護助手、滅菌室のスタッフ、クリーナー、合計約50人のスタッフを統括。誰もが非常に優秀で強い責任感を持ち、真摯に医療活動に取り組んでいた。休憩時間にはお茶を入れてくれて、よく話をした。冗談を言って笑ったり、皆とても明るかった。
しかし現地スタッフの彼らもまた、戦闘に巻き込まれた人びとの一人なのだ。家が破壊されたり強奪されたりし、いまだに家に戻れなくても病院で医療支援に当たっているスタッフも少なくなかった。
ある女性スタッフがかけてきた言葉が忘れられないと白川は言う。「ユウコ、この病院の男性スタッフはみんな明るいでしょう? でもね、その笑顔の裏側で、本当は皆泣いているんだよ」
この状況で、これからどう生活していくのか。皆がさまざまな不安を抱えて日々を生きている。彼女の言葉に、胸がひきさかれる思いだった。
今回滞在した5週間の間にも、パンやガソリンの価格がどんどん上がっているという話を何度も聞いた。食料や燃料などあらゆるものの価格が上がり、日々生活が苦しくなっていく。戦闘がないという見た目だけの平和だけでは、人びとの心の内は分からないと痛感した。
国際援助の継続を
MSFはアフガニスタンでの活動を、民間からの寄付だけで行っている。そのため、各国の資金援助の停止による直接的な影響は受けていない。しかし、MSFだけですべての病院の穴を埋めることはできない。
白川は訴える。「このまま国際援助の停止が続けば、アフガニスタンに残された医療システムはまもなく崩壊して、その影響をアフガニスタンの人びとが受けることになります。資金援助の停止が、末端の市民を苦しめています。人びとの命を守ために、国際社会による支援の継続が必要です」
MSFは現在、ヘルマンド州を含む5つの地域で医療援助を展開。約50人の海外派遣スタッフと2300人の現地スタッフが、危機に直面する人びとを支えている。