「殉職者を出すな」多くの犠牲から学んだ、人道援助にまつわる6つの教訓

2021年01月15日掲載

アフガニスタンにて、襲撃前のダシュ・バルチ産科病院で孫を見つめる祖母=2019年12月 © Sandra Calligaroアフガニスタンにて、襲撃前のダシュ・バルチ産科病院で孫を見つめる祖母=2019年12月 © Sandra Calligaro

国境なき医師団(MSF)の紛争地での活動は時に危険を伴う。こうした人道援助はリスクとどう向き合えばよいのか。MSFのシンクタンク「CRASH (※)」研究員のファブリス・ワイズマンが、危険と背中合わせの活動から、これまでMSFが得た教訓について記した。
※CRASH=Centre de Réflexion sur l'Action et les Savoirs Humanitaires(人道問題研究所)

度重なる患者やスタッフの殺害事件

昨年5月、アフガニスタンの首都カブールで、MSFの支援する産科病院がイスラム過激派に襲撃された。殺害された25人のなかには、2人の子ども、16人の母親、そしてMSF助産師1人もいた。その5年前には、クンドゥーズ州のMSF病院が米軍の空爆を受け、患者24人、スタッフ14人を含む45人が爆死している。この2つの事件は、ルワンダ虐殺以降にMSF施設で起きた殺戮としては最も被害が大きいものだ。患者と職員に対し、これほど凄まじい暴力に遭ったNGOは、アフガニスタンでは他に類を見ない。

無数の銃弾で撃ち抜かれたダシュ・バルチ産科病院の扉
© Frederic Bonnot/MSF無数の銃弾で撃ち抜かれたダシュ・バルチ産科病院の扉
© Frederic Bonnot/MSF

苦境にある人びとを助けるためなら、危険にも身をさらす──MSFのこのあり方は1971年の設立以来、組織風土の一部をなしてきた。4節あるMSF憲章の最終節(※)は、団体の任務には危険が伴うことを認めている。
※「国境なき医師団のボランティアはその任務の危険を認識し国境なき医師団が提供できる以外には自らに対していかなる補償も求めない」

だが70年代から80年代を通して、この危険を賛美するかのような騎士道精神は、犠牲や殉職の拒否というもう一つの原則によって徐々に抑えられていく。つまり、MSFスタッフは危険を冒すが、生きて帰らなければならない。特攻隊なのではなく、人道的理想のために死すべきではないのだ。

90年代に入ると、MSFのリスク管理は転換期を迎える。海外派遣スタッフの殺害事件が立て続けに起きたからだ。1989年12月、スーダン(現・南スーダン)のアウェイルから飛び立った飛行機が何者かによって撃墜され、4人が死亡。うち2人がMSFスタッフだった。4カ月後のアフガニスタンでは、敵対する指導者らの緊張関係が高まるなか、反政府勢力がMSFのロジスティシャン(物資調達や施設・機材・車両管理などの担当者)を殺害した。

こうした状況が重なり、MSFのリーダーたちは現地での安全管理の枠組みを明確に形づくる必要性を感じていた。そして「危険な任務」と「危険すぎる任務」の線引きを定められるよう、1990年、具体的なガイドラインをまとめる。やがてMSFのセキュリティに関する「黄金律」として受け継がれることになる、その6つの教訓とはどのようなものだろうか。

① 人道援助活動であっても攻撃は免れ得ない

最初の教訓は次のような一文で始まる。「人道援助活動であっても攻撃を免れ得ない」

MSFの原則やロゴ、質の高い仕事があれば、身の安全は守られる──そうした思い込みこそ、最も危険だと警告しているのだ。人びとに意義ある援助を届け、当局や患者に感謝されても、MSF機の撃墜やスタッフの暗殺を防げなかった。アフガニスタンとスーダンでの殺害はそれを痛ましくも明らかにした。

② スタッフの安全はいかに状況や背景を理解し、関係者らとのネットワークを構築できるかによる

脅威となるのは誰か、そして保護してくれるのは誰かを把握しなければならない。援助団体の活動は有益だからそのスタッフの身を守ろう、と思う後援者を見つけ出せれば、私たちの安全は確保される。彼らが得る利益には、医療や物資の提供(負傷した戦闘員の治療や地域での医療ケア)、資金の投入(給料、賃貸契約、現地での支出など)、マスメディアへのアクセス、行政当局の多少のイメージアップなどがある。

一方、懸念も一つ浮かび上がる。それでは民間人よりも、自らを保護する軍事力にとって都合の良い存在となってしまわないか。人道援助スタッフは犠牲者となってはいけないが、同時に暴力を生む仕組みの共犯者になるわけにはいかない。援助を第一に受けるのは、紛争当事者でなく、助けるべき人びとであることを確認し続ける必要がある。

③ 危険度が高いときは、小さなチームでの活動に限定する

リスクを減らす手段としては、まず危険にさらされる人数を減らすこと。非常に不安定な状況下では、小規模なチームを編成するのだ。そしてこのチームは、明らかに臨床的な結果が得られる医療活動に専念することが求められる。

かつては大規模なプロジェクトを行うことが、活動の安全保障を向上させる確実な方法だという見方もあった。だがこの幻想は、アフガニスタンでの虐殺によって無残にも払拭された。

④ ヒーローはいない

MSFに殉職という選択肢はあり得ない。一部の国連機関や赤十字国際委員会は、紛争地域で活動する任務を各国政府から付与されている。一方、MSFのようなNGOはそのような義務をもたない。NGOはどこで活動し、どの程度のリスクを負うのかを選べるのだ。そしてMSFでは、スタッフが人道主義の理念に殉じることがあってはならない。

⑤ 攻撃の標的にされたら撤退する

1991年、スリランカでMSFのロゴが明示された車両が機銃掃射を受けた。以来、「明らかに標的とされたら、撤退する」という教訓が生まれた。MSFは紛争地で偶然、被弾する危険への覚悟はあるが、意図的に狙われたケースでリスクを取ることはない。

攻撃の標的となるのはどんな状況だろうか。例えばMSFが次のように見なされたときだ──手当てした戦闘員に死をもたらした「悪い医者」/反対勢力を支援する「スパイ」または「裏切り者」/有能なスタッフを解雇した「不当な雇用主」/メディアの注目を引ける「格好の標的」/誘拐犯の「懸賞金」/「遺憾だが必要な巻き添え被害者」……。

「危険すぎる」任務だという判断が下されると、撤退することとなる。その基準となるのは「安全を交渉できる当局が存在しない場合、または過激な敵意を示すグループから身を守ることが不可能な場合」と定義されている。

⑥ 撤退の最終的な決定権は上層部にある

MSFの上層部には、向こう見ずな勢いに駆られた現場チームを制止する義務と権限がある。一方で、日々のリスクを管理する義務と権限はないことを、6つめの教訓では改めて明言する。

以上の教訓は議論の枠組みとして機能するのもので、決断を導き出すための方程式ではない。その解釈や実践ともなれば、団体内で常に論争が巻き起こる。活動におけるリスクと安全はどのようなバランスで管理すべきなのか。教訓をもとに、MSFの議論は現在進行形で続いている。

※この記事はニュースサイト『The New Humanitarian』とCRASHのブログで公開された原文記事をもとに翻訳・再構成しました。

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