ジャパン・イノベーション・ユニットのブログ

低体温症から赤ちゃんを守るために—— 「人間中心デザイン」で解決策を探る

2020年09月14日

いま世界では、年間約250万人*の赤ちゃんが生後28日以内に死亡している。その原因の一つが低体温症だ。新生児の体温を下げないためにすでにさまざまな機器や手法が存在するにも関わらず、途上国の現場でいまだ大きな問題であり続けているのはなぜか。国境なき医師団(MSF)日本イノベーションユニットは、「人間中心デザイン」の考え方でこの課題の解決に挑んでいる。

すでに多くの機器があるものの……

暖かい子宮の中から、10度近く温度が低い外界へ生まれ出て来る赤ちゃん。精一杯体温を上げて、新しい環境になじもうとする。しかし、成長が未熟なまま早産で生まれた赤ちゃんは、体温調節の機能がうまく働かず、低体温症に陥るケースが少なくない。その結果、低血糖や敗血症を引き起こし、最悪の場合、死につながることもある。
 
新生児を低体温症から守るために先進国で一般的に使われるのは、温度や湿度をコントロールすることができる保育器だ。しかし保育器は高価な上、安定した電力供給が必要で、メンテナンスに高い技術が求められる。そのため、医療体制の整っていない地域で活用するのは難しい。オーバーヘッドウォーマーや、マットレス式保温器などにも同様の難しさがある。

費用や電力、人材などの問題から、保育器が使用できる環境は限られる(ヨルダン) © Enass Abu Khalaf-Tuffaha/MSF
費用や電力、人材などの問題から、保育器が使用できる環境は限られる(ヨルダン) © Enass Abu Khalaf-Tuffaha/MSF

生まれたばかりの赤ちゃんを母親が抱っこして肌を合わせる、「カンガルーマザーケア」は、機材のない中でも行える有効な手段の一つで、MSFも各地で取り入れている。しかし、宗教的・文化的に受け入れられない地域があるほか、点滴や酸素吸入をしている赤ちゃんがこのケアを受けるのは難しいのが実状だ。

カンガルーマザーケアで赤ちゃんを抱っこする中央アフリカの女性 © Borja Ruiz Rodriguez/MSF
カンガルーマザーケアで赤ちゃんを抱っこする中央アフリカの女性 © Borja Ruiz Rodriguez/MSF

バングラデシュの母子病院で調査

MSFが活動する途上国の医療現場で、新生児を低体温症から守るために何が必要なのか。現場のニーズを分析して革新的な解決策を提案するMSF日本イノベーションユニットは、新生児ケアの専門性を活かしてこの課題への取り組みを始めた。
 
解決策を探るためにまず必要なのが、現場が抱えている課題を明らかにすることだ。2020年2月、イノベーションユニットのプロジェクトチームは、バングラデシュでの現地調査を行った。ロヒンギャ難民と地元住民の両方に無償で医療を提供するゴヤルマラ母子病院と、ロヒンギャ難民キャンプ内の診療所が調査の舞台だ。

ロヒンギャ難民キャンプの診療所での調査 © MSF
ロヒンギャ難民キャンプの診療所での調査 © MSF

「人間中心デザイン」で課題をクリアに

今回のプロジェクトで鍵になるのが、モノや技術ではなく、ユーザーのニーズを中心に据えて解決策を考える「人間中心デザイン」の手法だ。
 
通常の開発では、製品やシステムなどの「モノ」がまず開発され、そこにユーザーが合わせるのが一般的だ。「この製品を使うには電気が必要」「このシステムを使うにはユーザーはこの手順を覚える必要がある」……と。しかし、人間中心デザインは、人を起点に解決策を考える。
 
このプロジェクトの協力者であり、人間中心デザインの専門家でもあるティモシー・プレステロはこう説明する。
 
「新生児の低体温症という課題に、現場で誰が関わっているのか、そのスタッフはどこでどんな状況で働いているのか、物資はどこから調達しているのか……。人間中心デザインでは、この問題に関わる人たちの動きを徹底して調べます。そのために、現場でのインタビューと、実際の行動の観察がとても重要なのです」

ゴヤルマラ病院の救急処置室で医師から話を聞くプレステロ(左から2人目) © MSF
ゴヤルマラ病院の救急処置室で医師から話を聞くプレステロ(左から2人目) © MSF

20人以上から聞き取り 赤ちゃんの動きを追って見えたこととは

調査チームは今回の調査で、医師や看護師、助産師、薬剤師、ヘルスプロモーター、ロジスティシャン、新生児の家族など、20人以上から話を聞き、実際の動きを見た。証言と観察のたくさんのピースをつなぎ、課題をあぶりだしていく。

MSFで新生児ケアに関わるあらゆる分野のスタッフを調査 © MSF
MSFで新生児ケアに関わるあらゆる分野のスタッフを調査 © MSF

MSF日本イノベーションユニットでこのプロジェクトを率いる看護師の京寛美智子は、この調査から意外な発見があったと話す。
「今回の調査では、『人間中心デザイン』の手法で、赤ちゃんが歩む過程を時系列にまとめました。赤ちゃんが生まれてから新生児集中治療室に運ばれ、治療を受けて退院するまで、どのような出来事が起こるのか、細かく情報収集しました。そうすることで、赤ちゃんがどの場面でどれだけの時間寒冷にさらされているのか理解しました。
 
ゴヤルマラ病院へ搬送中や新生児集中治療室で、早産児や低体重児が持続して最適な温度環境下にいないという事実に、課題解決のカギがあるかもしれません。たとえ数分でも寒さにさらすことは、新生児の生命を脅かすからです。
 
ゴヤルマラ母子病院の活動を統括する、医療責任者のエンデシュ・アデンはこう話す。
「調査チームが来る前、私のチームはちょうど新しい医療機器を受け取り、導入を試みました。手順通りにしたのですが、上手く行きませんでした。『モノ』がまず開発され、そこにユーザーが合わせるイノベーションの例です。現場が実際にどう動いているのかを見て、どんな問題があるのかを明らかにし、そこから解決策につなげていくというのは、とても興味深いアプローチです」

低体温の状態で新生児集中治療室に運ばれた生後22日の赤ちゃん 治療を受け回復した(バングラデシュ ゴヤルマラ母子病院) © MSF
低体温の状態で新生児集中治療室に運ばれた生後22日の赤ちゃん 治療を受け回復した(バングラデシュ ゴヤルマラ母子病院) © MSF

MSFは、医師、看護師、助産師、ロジスティシャン、財務……様々なスタッフが重層的に関わる複雑な組織だ。だからこそ、人間中心デザインが役立つとプレストロは言う。
「人間中心デザインは、MSFのような複雑な組織にこそ必須ではないでしょうか。問題に関わる様々な立場の人びとを理解し、医療や調達、メンテナンスや予算管理など多面的に問題を捉えることは、素晴らしい解決策を見つけるには欠かせないはずです」
 
「人間中心デザインが生み出すのは、物ではなく、成果です」と京寛。「このプロジェクトは、何か新しい機材ができたときではなく、赤ちゃんが低体温症から守られたときに、目的を果たしたと言えるのです」
 
イノベーションユニットは、今回の調査で得られた情報をもとに、製品による解決策や、手法の改善による解決策など、新たなソリューションを立案していく。
 
(*国連 Levels & Trends in Child Mortality Report 2019による)

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