海外派遣スタッフ体験談

2度目のイエメンで、前回のフォローアップも

池田 知也

ポジション
外科医
派遣国
イエメン
活動地域
サナア、アデン
派遣期間
2015年9月~2015年11月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

日頃から、日本での医療活動と国境なき医師団(MSF)での活動の両立を目標に、働いております。片方の仕事にのみ寄りすぎないように、バランスを心掛けております。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

前回の派遣後から、格別に何かを準備したということはありません。日本の医療現場で、技術の向上に努めました。また、活動地へ到着する前に、ドイツで行われたMSF主催の外科ワークショップに参加し、知識の確認と新しい知識の習得を行うことが出来ました。

Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

前回の派遣地と同じイエメンだったので、格別、苦労することなく活動できました。また、現地スタッフの性格を心得ていたのも、活動を行う上でプラスの方向に働きました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
残してきた手術記録 残してきた手術記録

当初、前回同様にアデンへの派遣予定でしたが、派遣直前に、地上戦で多くの負傷者が出る可能性があるため首都のサナアに行ってほしいとの要請を受け、予定を変更してサナアに向かいました。

自分1人で現地大学病院へ入り、対応の準備のため設備や現地スタッフのアセスメントを行いました。幸い地上戦は回避され、2週間ほど滞在した後、当初の予定地のアデンに外科医が足りないとのことで、アデンへ向かいました。

アデンでは、紛争で傷ついた人びとの治療にあたりました。事前の情報では、前回派遣された4~6月と比べると大分落ち着いてきているとのことでしたが、10月のはじめの3週間は、アデンより車で1~2時間はなれたところで激しい戦闘が繰り広げられ、多くの傷病者への対応を行いました。

筆者は左から2番目。民族衣装を着て撮影。 筆者は左から2番目。民族衣装を着て撮影。

前回と比べると、地雷の被害者が多かったのが印象的でした。前回は自分で執刀することが多かったですが、今回はできるだけ、自分は助手を行い、指導しながら現地の外科医に執刀してもらうことを心掛けました。

現地外科医は自分より年上で、正直、いつも素直に話を聞いてくれるわけではないのですが、だんだん、私の手技を真似しようとしているのだろうなと分かるようになってきたのは面白かったです。私が助手をした時は、詳細な手術記録を書いておいて、最終日にプレゼントしてきました。時折、複雑な症例は自分で執刀を行いました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
宿舎にあったサンドバッグでボクシング
(筆者はプロボクサーでもある)
宿舎にあったサンドバッグでボクシング
(筆者はプロボクサーでもある)

朝8時から医療スタッフでミーティングがあり、ICU(集中治療室)の回診後、手術に臨みました。その他、救急・外来・病棟での対応もしました。あまり時間はとれませんでしたが、時間を見つけた時には、もう一つの仕事(ボクシング)をしていました(笑)。

Q現地での住居環境についておしえてください。
好物のアップルパイを作ってもらった 好物のアップルパイを作ってもらった

冷房完備の個室で生活しておりました。食事も現地スタッフが用意してくれ、日本よりも安定した食生活を送っていました。市内の市場も安定しており、リンゴが入手できたので、前回、最終日に食べ損ねたアップルパイも、最終日を含め数回、食べることが出来ました。また、派遣期間中に誕生日を迎えたため、ケーキの準備までして頂きました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
自分が手術した男の子の患者。けじめがつけられました。 自分が手術した男の子の患者。
けじめがつけられました。

状況が以前よりは安定してきたため、今までに人工肛門造設を行った患者さんたちの、人工肛門閉鎖の手術に取り掛かることが出来ました。前回の派遣の際に、自分で作った人工肛門を閉鎖することができ、よかったです。日本でも、人工肛門閉鎖は個人的には外科医のけじめと思っています。

Q今後の展望は?

今まで通り、日本での医療活動と、MSFでの活動の両立を目指していきたいです。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

前回も書きましたが、日本で自分の分野にて一人前となることが、近道だと信じています。

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