海外派遣スタッフ体験談
鉛中毒対応プロジェクトで健康教育の成果を実感
園田 亜矢
- ポジション
- ヘルスプロモーター
- 派遣国
- ナイジェリア
- 活動地域
- ザムファラ州
- 派遣期間
- 2015年1月~2015年11月

- Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
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1度目のイラクへの派遣体験が充実しており、もっと現場での経験を積みたいと思ったので、帰国後、日本で1~2か月休んでから次に行こうと決めていました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
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MSF日本事務局にて、1ヵ月半ほどの短期の仕事の機会をいただき、働きながら次の派遣を待つことができました。事務局では、MSFと日本赤十字社共催のエボラ出血熱に関するトレーニングのアレンジを担いました。活動地と事務局の仕事を両方経験することは、MSFのグローバルな活動について視野を広げるのに有益でした。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?
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ヘルスプロモーションやIECといった健康教育の仕事は、現地の文化や習慣を理解することから始まります。現場(村、病院等)に出て自分の目で観察する、現地のスタッフや人びとの声に耳を傾ける、自分の色眼鏡だけで物事を判断しない、といった姿勢は前回も今回も強く意識し、有効だと感じました。
開発・緊急支援の修士課程で学んだ文化人類学・社会学が、現場で仕事する際の姿勢の基礎にあります。また国連機関や他団体でのプロジェクトマネジメントの経験は、効率的なチームワークに役立っています。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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紙芝居を使って鉛中毒の予防や治療の説明を行う
筆者中央2010年から続いている鉛中毒対応プロジェクトです。金の採掘で生計を立てている家庭内で、金鉱石に含まれる鉛の粉じんを吸いこむことで、人びとの健康に被害が出ています。特に5歳以下の子どもへの健康被害が大きく、プロジェクトが開始された2010年当初は、数百人の子どもが亡くなりました。
MSFは今も、患者数の多い5つの村を巡回して、定期的に子どもの血中鉛濃度を測定し、必要に応じて治療を行っています。医師、看護師、血液検査技師、IECの混成チームが、毎日車で別の村に向かいます。IECは、診療所内での健康教育、薬の説明やカウンセリングの仕事に加え、患者の家を一軒一軒訪問し、診療所への訪問日を知らせる役割も担います。
鉛中毒の解決には、治療だけでなく、鉛にさらされないようにすること、そして環境浄化が必須です。過去に土壌洗浄が行われた村のいくつかでは、その後、鉛で汚染された道具や鉱石を採掘場から家に持ち帰る人が増え、村や家は再び汚染されてしまいました。
治療を終えた子どもの「卒業式」を行った。
毎日鉛にさらされている限り、治療に終わりはありません。治療が長期に及んでいる患者やその家族は、鉛中毒の症状が重症になるまで目に見えないこともあって、治療に関心を示しません。この状況を改善して、治療を終える子どもの数を増やすことが、私の任務でした。
新しい試みをたくさん行いました。紙芝居を作ってより多くの村人に鉛中毒の知識を広めたり、長期患者の両親に個別カウンセリングを行い、汚染防止や治療の継続を訴えたりしました。また、治療を終えた子どもたちの「卒業式」を開催し、治療を続けている子どもと親のやる気を刺激しました。村のリーダーらと話し合いを持ち、親が責任を持って子どもを診療所に連れてくるようにモスクで説いてもらうこともしました。
私は現地の健康教育スタッフと知恵を絞り、作戦を練り、必要なトレーニングを行いました。実際の患者・家族とのコミュニケーションは、現地の言語(ハウサ語)を話す彼らが行いました。
MSFは、鉛中毒対応のほかに公共病院の小児科病棟で活動しています。特に栄養失調の患者が多く、月に500人以上の入院患者を治療していました。そこで、病棟で健康教育(栄養失調、マラリア、下痢など)を患者の母親に行い、退院後、村に戻ってからの病気予防に役立ててもらいました。この活動を含め、プロジェクト全体の規模は、現地スタッフが120人、海外派遣スタッフ6人ほどでした。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
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現地スタッフへ、説得力のあるプレゼンのトレーニング
月曜から金曜の朝8時から夕方5時が通常の勤務時間で、私はほぼ毎日、朝から夕方まで村に出ていました。患者と家族の生活ぶりやスタッフとのやりとりを見聞することが、健康教育の仕事をする上で極めて重要なため、現場に出ることを最優先しました。
村から戻った後、病棟に行き、スタッフの健康教育の仕事を監督しました。安全上の理由から、事務所には夕方5時半までしかいられないので、宿舎に戻ってからオフィスワーク(レポート作成やデータ分析、トレーニング準備など)を行いました。週末に仕事をすることもときどきありました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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宿舎では私のほかに5人の海外派遣スタッフと一緒に生活しました。各々個室が与えられ、電気はジェネレーター、トイレは水洗、インターネットも接続されていたので、恵まれた環境でした。週末は、それぞれのスタッフが出身国の料理をふるまったり、バーベキューやピザ作りを楽しんだりしました。
安全上の理由で自由に外に出られず、宿舎から事務所も歩いて10分の距離でしたが車でしか往復できなかったため、運動不足を解消するために、部屋の中でエクササイズをしました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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村の指導者たちにも状況を説明し、協力を働きかける
2つの大きな苦労がありました。1つ目は、薬の正しい服薬法の理解を高めることでした。鉛中毒の薬はほかの栄養剤と服用する必要があり、服用のタイミングも複雑です。ほとんどの母親は教育を受けていないため、説明には文字ではなく絵を使い、何度も同じ説明を繰り返し伝えて理解を高める必要がありました。スタッフの努力により、理解度は58%から100%に伸びました。
2つ目は、正しく服用方法を理解しても、服用させていない親が多かったことです。そこで、村内で訪問スタッフを雇い、薬を服用している子どもを毎日3回訪問してもらい、DOT(直接監視下治療)を実施しました。服用順守率は100%に達し、その結果、ある村では3ヵ月連続で、月間の治療終了者数が過去最高を記録しました。
服薬について親に説明する現地の健康教育スタッフ
かつて「治療は無駄」と感じて子どもの治療を中断した親が、この村でのスタッフの努力について知り、またほかの村人の行動の変化を見て、自分の子どもの治療を再開させたいと、自発的に治療プログラムに戻ってきてくれました。
またスタッフと村人の信頼関係が強まったことで、母親のみならず多くの父親がMSFの活動に高い関心を示し、診療所に足を運ぶようになりました。健康教育の仕事によって人びとの行動を変容させて、医療サービスの効果を高めることができたと実感できました。
- Q今後の展望は?
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現在、再びMSF日本事務局の仕事をしていますが、半年後にこの仕事が終わった後は、もう一度現場に行きたいと考えています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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現場では常にチームワークを意識することが重要です。自分ひとりが出来ても意味がありません。他メンバー(海外・現地スタッフ)とコミュニケーションを密にして連携を強める、メンバーのやる気を導き出すような仕事を心がける等で、成果が大きく改善することがあります。プロジェクト全体における自分の仕事の位置づけを、客観的にとらえる視点が有効だと思います。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2014年2月~2014年11月
- 派遣国:イラク
- 活動地域:ナジャフ
- ポジション:ヘルスプロモーター