戦争で壊された心──ウクライナの人びとは「心の問題」にどう向き合っているか

2024年05月14日
夫が戦死し、息子が戦地で負傷したという女性を抱きしめるMSFの心理士 © Nuria Lopez Torres
夫が戦死し、息子が戦地で負傷したという女性を抱きしめるMSFの心理士 © Nuria Lopez Torres

ウクライナで続く戦争は、人びとの心にも壊滅的な影響を与えている 。世界保健機関(WHO)によると、戦争のトラウマによる精神的な問題に直面している人びとは、ウクライナ全土で数百万人にも上るという。 

2022年に戦闘が激化して以降、心のケアはウクライナにおける国境なき医師団(MSF)の活動のなかでも重要な要素の一つだ。終わりの見えない戦争のなか、医療従事者や戦争を生き残った人びともまた、心に苦しみを抱えている。人びとはどのように「心の問題」に向き合っているのか。そして求められるケアとは──。

ロシア占領下、破壊された病院の地下で

医療服を着たショートヘアの女性が病院の地下室を案内してくれる。部屋に入ると、椅子、医療器具、薬品などが見える。ここで診察もできるし、分娩もできるそうだ。

ここは、ウクライナ北東部──ロシア国境に近いスーミ州トロスティアネツ。案内をしてくれた女性は、州内にある保健省管轄病院の院長アナ・スベソワだ。

ウクライナで戦争が激化すると、このトロスティアネツという町は、真っ先にロシアに占領された。それから約2カ月間、この病院は、主要機能を地下に移した。その後、建物は甚大な被害を受けている。

アナがその時のことを語る。「弾丸の穴が建物全体を突き抜けました。空が透けて見えるほどにね。あれはひどかった。でも、私たちはなんとか生き延びました」

トロスティアネツの町がウクライナ支配下に戻った後、病院は改修された。MSFも、その支援に回っている。しかし、2023年春、スーミ州への砲撃が大幅に増えていく。砲弾の爆風を受けて184の窓を失うなど、病院は再び被害を受けた。7つの診療科すべてが24時間稼働体制に戻ったのは、その4日後のことだった。

病院地下室を案内する院長のアナ・スベソワ © Nuria Lopez Torres
病院地下室を案内する院長のアナ・スベソワ © Nuria Lopez Torres

患者をケアする人たちへのケア

ウクライナの前線地帯において絶え間なく続く砲撃。負傷した人びとの悲痛な嘆き。それらを目の当たりにしている現地の医療従事者たちは、精神的に疲弊している。彼ら自身もまた、心に傷を負う経験を重ねているのだ。

MSFは、ウクライナにおける対応の一つとして、心のケアを実施している。このトロスティアネツでも、病院スタッフたちが経験する「戦争の恐怖」に対処してきた。ここでは、MSFの心理士たちが、患者たちだけでなく、医師たちにも向けて、カウンセリングを実施している。前線に近いドネツク州やハルキウ州でも、同様の活動が展開中だ。

こうした地域では、ミサイル砲撃で医療施設に負傷者が運び込まれるたびに、保健省の医師たちが緊急対応に迫られている。

この点について、MSFの心理士チームリーダーであり、ウクライナ各地で活動中のアリサ・クシュニロワは、次のように語る。

「戦争の初期段階において、医師や心理士たちは、早くも疲弊していきました。彼ら自身の精神状態については、誰も気遣って心配してくれるわけではない。そうしたなかで、彼らは疲れ果て、燃え尽きていくのです。そういう状況を踏まえて、MSFは、医療スタッフを対象にした心のケアを実施することにしました。支援対象となっている病院のなかで、患者たちのケアにあたる人たち自身のケアをしていくのです」

MSFは病院スタッフにも心のケアを提供 © Nuria Lopez Torres
MSFは病院スタッフにも心のケアを提供 © Nuria Lopez Torres


MSFの心理士たちは、医師たちに向けて、集団カウンセリングおよび個別カウンセリングを繰り返した。医師たちは、カウンセリングを通して、回復と休養のメカニズムを生活のなかに取り入れるようになる。さらには、自分自身のことにフォーカスし、自分自身の感情に正直になることの大切さを理解していくのである。

戦争では、さまざまなことが起こる。占領、避難、負傷、暴力。ミサイル攻撃による家族の死。医師たちは、そうした経験に遭った人たちを治療していくなかで、負の感情を自分の心に溜め込むことが多い。

先ほどのMSFの心理士アリサ・クシュニロワが、さらに語る。

「人間の心は、スポンジのようなものです。患者から情報を吸いとることはできる。でも、その情報を自力でしぼり出すことはできません。ですから、泣いて叫びたくなったら、泣いて叫んだほうがいいのです」 

周りから見れば、自分の弱さを晒していることになる。しかし、内面に溜まった負の感情をガス抜きできることは、その人自身にとって、むしろ大きな強みなんです。

アリサ・クシュニロワ、MSFの心理士

「これからどう生きるか」を一緒に探す

ウクライナ全土において、MSFの心理士たちは、患者のニーズに合わせた心のケアを実施している。2022年および2023年の2年間だけでも、2万6324件ほどの個別カウンセリングを行った。交戦地域やその近隣における移動診療では、通常の医療だけでなく、心のケアも組み込んでいる。

食料や電気といった生活インフラが問題になっている段階では、心の健康は後回しにされることが多い。

戦争によって、医療施設は破壊され、医療スタッフもいなくなった。特に、高齢者は移動が難しく、被災地域から離れることができないことも多い。こうした不安定な状況が続くと、循環器系疾患や不眠症といった問題につながっていく。

MSFの心理士たちは、移動診療において、心の健康がいかに大切か、生活の質がいかに大切かについて、患者たちに説明している。睡眠の質を高め、不安や緊張に対処する方法を患者にアドバイスする。ストレス対処方法を伝える「心の健康講座」も開催している。メンタルヘルスの初歩をサポートするだけでも、循環器系疾患や精神障害の発症予防に役立つのである。

戦線近くに住む女性。夫はうつ病で、自分自身はがんだという © Nuria Lopez Torres
戦線近くに住む女性。夫はうつ病で、自分自身はがんだという © Nuria Lopez Torres

一方、さらに複雑で長期的な取り組みとなるケースもある。例えば、2023年10月上旬のことだ。ウクライナ東部ハルキウ州にあるフロザ村(住民約330人)というところで、カフェに対するミサイル攻撃があった。MSFの心理士たちは、その生存者たちに向けて、心のケアにあたった。

「この攻撃で負傷した人たちが病院に運ばれてきました。そこにMSFの心理士たちが対応に入った。対象は6人の重傷者たちです。頭部を負傷して、脳の活動や言語に障害を負った人たちもいました。そればかりでなく、彼らは家族も失っていた。ある人は1人、ある人は2人、ある人は15人もの身内を失っていました」

そう語るのは、MSFにおいて心のケアに関するチームリーダーを務めるビクトリア・レペカだ。彼女がさらに続ける。

「急性悲嘆(悲嘆反応が起きてから数週間から数カ月ほど、大切な人の死を受け入れられず、感情が麻痺すること)の状態にある人たちに寄り添っていく──それが私たちの仕事です。彼らの話に耳を傾け、共感し、手を握る。一緒に涙を流すこともあります。サバイバーズ・ギルト(悲惨な体験から生き延びた人が亡くなった人に向けて抱く罪悪感)にも対処していかないといけません」 

彼らがこれからどう生きていくべきか。何を頼りにしていくべきか。それを一緒に探すのです。

ビクトリア・レペカ、MSFの心のケアに関するチームリーダー

「私たちはあまりに多くのものを失った」

悲嘆や喪失のなかにある患者たちが回復していく上で、長期的なサポートは不可欠である。例えば、ハルキウ州では、MSFは、夫や息子を前線で亡くした女性たち7名を対象にして、集団カウンセリングを実施した。2023年8月から、少なくとも10回ほど、彼女たちに集まってもらった。そこで、自分たちの経験や痛みについて話し合い、戦争への思いを共有してもらったのである。

その1人がナターリア・ルクホバさん(56歳)だ。彼女は息子を戦争で亡くした。カウンセリングにおいて、自分の気持ちを打ち明けるなかで、彼女は泣き出した。

「この戦争がいつ終わるのか。いつまで待たなければいけないのか。誰にも分かりません。戦争が終わっても、この最悪の状況は何も変わらないんじゃないか。若者も老人もみな、心の苦しみは消えないんじゃないか。そんな不安ばかりです。私たちは、あまりに多くのものを失いました。そのことにどうやって耐えていけばいいのでしょう」 

ナターリア・ルクホバさん © Nuria Lopez Torres
ナターリア・ルクホバさん © Nuria Lopez Torres

心のケアへの理解は着実に広がっている

心のケアに関して、もっと戦略的なアプローチをとらなければならない。さもなければ、ウクライナの人びとは、この戦禍に対峙していく精神的重圧に苦しみ続けるだろう──。そう、MSFの心理士たちは指摘する。

不安定な精神状態は、単に精神的苦痛を及ぼすのみならず、身体的苦痛も及ぼすことになる。高齢者の場合は、不眠症や循環器系疾患を、中高年や若者の場合は、頭痛やホルモンの問題、生理不順をもたらす可能性が高まる。戦争は、子どもの認知能力にも影響を及ぼし、発達の遅れ、言語障害、悪夢、夜尿症などをもたらす。人によっては、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や自殺願望を生むこともあるのだ。

2014年の開戦時に比べると、戦災に遭った人びとのあいだで、心のケアを受けようという積極的な態度が増えてきた。2022年に本格的な戦争が始まるまで、ウクライナでは、心理士に相談するという営みは広まっておらず、その利用環境も整っていなかった。そこで、この2年間にわたって、MSFは、メンタルヘルスの大切さをウクライナの人びとに訴えてきた。そして、心のケアを必要に感じた人びとが実際にプログラムを利用できるよう、整備づくりに力を入れてきたのである。

国際機関、地方自治体、政府機関がアドボカシー活動を展開してきたこともあり、ウクライナでは、心のケアに対する偏見が薄れつつある。経験や感情をまわりと共有し、緊張を解きほぐす営みを、多くの人びとが受け入れるようになっている。

ロシア占領地から逃れてきた若者たちが自ら経験した「戦禍」を語る © Nuria Lopez Torres
ロシア占領地から逃れてきた若者たちが自ら経験した「戦禍」を語る © Nuria Lopez Torres

ウクライナにおけるMSFの心のケア

本格的な戦争が始まって以降、心のケアは、ウクライナにおけるMSFの活動のなかでも重要な要素となっている。

MSFの移動診療チームは、基礎医療に加えて、カウンセリングや心理教育も行なっている。MSFは、医療従事者たちに向けて、精神科医療や、一度に多数の負傷者が運び込まれた場合の対応、メンタルヘルス研修などの二次医療研修を実施。ビンニツァでは、戦争の影響でPTSDとなった人びとに向けて、心のケアを実施している。一方、チェルカーシでも、戦闘負傷者たちに向けた理学療法プロジェクトの中に、心のケアを導入している。 

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