移動手段はボート 洪水で水没したMSF病院

2019年11月21日
助産師、ベネデッタ・カペッリ助産師、ベネデッタ・カペッリ

10月に南スーダンで起きた大規模な洪水。国境なき医師団(MSF)の病院と周辺地域が水没した。ピボール郡で、MSF病院の医療チームリーダーとして活動した助産師、ベネデッタ・カペッリが活動していた。10月23日に活動を終えて現地を離れたベネデッタ。

「ビボールを離れる時、ピボールの町とその周辺は湖のようだった。冠水した草原の上を飛ぶ飛行機からは、緑色をした草を覆う水面に照り映える、太陽と雲が見えた。ぱっと見は美しかったけれど、洪水で自宅を追われ、孤立している人たちみなのことを考えると美しさには程遠いものだった」と振り返った。 

これまでも繰り返し起きていた大洪水

水没したビポールの市場 © MSF水没したビポールの市場 © MSF

MSF病院はピボールの町外れにあり、100メートルほど離れたグムルク川に囲まれています。例年だと、10月は雨期の終わりの時期。今年も直近の数週間は、雨はさほど降っていませんでした。しかし、隣国のエチオピアとケニアで雨が降り出したと途端、その2週間後には、ピボール川の水かさが急に上がり始めたのです。

ピボールの洪水は今に始まったことではありません。2013年と2017年に大洪水が起きています。MSFの宿舎に危険が迫った場合の対応策も決まっていました。ですが、今回の雨が、どれほど深刻な事態になるか、誰も分かりませんでした。

隔離区画は9月時点でもっと高い場所に移していました。10月13日には成人病棟、小児病棟、栄養治療センターも移しました。水が迫ってきたので、手術室は閉鎖せざるを得ませんでした。最も高価で重い医療器材を、水の被害を防げそうな場所に移動させました。祈るような気持ちでした。 

被災する前のMSF病院。待合室で診察を待つ母親ら © Laura Mc Andrew/MSF被災する前のMSF病院。待合室で診察を待つ母親ら © Laura Mc Andrew/MSF

病院を移転して対応 宿舎も川の一部と化した

ボートを漕ぐMSFスタッフ © Samir Bol/MSFボートを漕ぐMSFスタッフ © Samir Bol/MSF

次に危険が迫ったのは、MSFの倉庫でした。出来るだけ多くの物品を水の来ない場所に移しました。その頃には、誰もが深刻に心配するようになってきました。水かさは毎日、10~20センチメートル位上がり続けていました。

私たちは皆、危険が迫っているのを感じていました。現地スタッフにとっては、MSFの宿舎だけではなく、自宅も浸水しつつありました。自宅と、家族のことも気がかりだったのです。水が新しい“安全な”テントに染み込むのを見た瞬間、別の新しい場所を探して、病院を移転することにしました。

当局はピボールの市場の一角を新たに割り当ててくれました。私たちは、数日がかりで病院をパーツ毎に分解し、新しい場所に移転しました。全ての重要な医療活動を行うテントの仮設病院を設置しました。ただ、スペースが足りなかったので、ベッド数を減らしました。患者も次々と仮設病院に移し、10月18日には、最後の患者9人を送り届けました。

その頃にはみな疲れ果てていたので、海外派遣スタッフの大半をジュバに送り出して休ませました。最低限の人員として残った3人は、医療従事者である私が1人、プロジェクト・コーディネーター1人、ジュバから到着した給排水・衛生活動の専門家1人。私たち3人を現地スタッフが支える形にしました。

いろいろな所から水が押し寄せるので、MSFの宿舎でもおちおち寝ていられません。最後の晩は皆で集まって一番高いところにあるコンテナで寝ました。ゴムボートを漕がないと、トイレにもたどり着けません。ボートを使わなければ、病院の中でさえ動けないのです。宿舎は文字通り、川の一部と化していました。 

被災した病院で

水に浸かったMSF病院 © MSF水に浸かったMSF病院 © MSF

市場にできた仮設病院では、毎日60人ほどの外来診療に加えて産前ケア、入院治療、分娩に対応しました。しかし、最も症状が重い患者のケアについては心配の種でした。前の敷地から移った患者に加えて、新しい患者も来院していたからです。

現場は、電気の供給が止まり、膝まで位の高さまで泥に埋まっていました。洪水で使えなくなった物品は多く、その時あったのは酸素濃縮器が1台だけ。患者さんがさらに大勢来ることがなければ、1週間分くらいの医薬品はあったのですが……。ジュバから送られてくる医薬品を待っていましたが、輸送手段はヘリしか使えません。着陸地点は、水に囲まれた、幅の狭い滑走路だけです。

外科医がいないので帝王切開はできません。私は助産師なので、子宮が破裂したら女性と赤ちゃんの命が危険にさらされることを知っています。女性が子どもを残して亡くなることもあります。

低温を維持して医薬品を運ぶことのできる輸送システムも失ったため、予防接種もできません。ピボールの人びとは大半が、半遊牧民。乾期には家畜を追い、雨期には町で暮らしています。そのため、この地域での予防接種率もはっきり分かりません。医療機関がないことを考えれば、これから病気が流行するリスクがあります。
10月末に差し掛かった今も、町で暮らすピボールの人たちの住まいは9割が水没しています。水位よりも高い場所に移って、暮らしていますが、トイレはなく井戸も一つしかありません。ピボールには5万人くらいの人たちが住んでいるというのに。

健康面で、一番懸念されているのはコレラです。洪水が起きる前から、はしかの流行も始まっていました。今後、症例数が増えるのではと気がかりです。呼吸器感染、マラリア、ヘビにかまれる被害も増えるのではとみています。予防接種もできないので、将来的には予防接種できなかった病気も、子どもの間で流行するのではないかと思います。

実は、用地を見つけて救急病院を設置し、空気でふくらませるテント病院を併設することも考えていたのです。ところが、見つけた場所も水に浸かってしまいました。
今後、どれくらい洪水が続くか分かりません。2017年のときは水がひくまで、3カ月かかりました。現在も水位は高くなる一方です。MSFだけでは手に終えません。

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