そこに守るべき命があるから──国境なき医師団の日本人スタッフが語る、紛争の1年 #スーダンの話をしよう

2024年04月16日

スーダンで紛争が始まって1年。日本から派遣され、紛争下で活動した国境なき医師団(MSF)のスタッフが目の当たりにしてきたのは、物資や燃料の不足、移動制限による援助活動の難しさ、そして暴力で傷つく一般市民の姿だ。

MSFのスタッフがいま改めて伝える、紛争下のスーダンとは。

空爆が続き、砲弾が飛び交う毎日。人や物の移動制限も、人道援助の大きな壁に。


スーダンの首都ハルツームのトルコ病院に、プロジェクト・コーディネーターとして派遣されたのは2023年の6月。病院のあったハルツームの南側は、当時スーダン国軍(SAF)の支配地域でしたが、激しい戦闘の末、7月下旬には準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の支配下に置かれることになりました。
 
空爆や砲弾が1日中飛び交う中、病院での銃の乱射やスタッフの拘束、MSFの車両が盗まれる事態も。安全上、ここに残り活動を続けるか、退避するか。幾度もその決断を迫られました。

なぜ残ることにしたか──。それはほかに病院がないからです。

紛争地で健康を損ねたり、 亡くなるのは、暴力で傷ついた人びとだけではありません。高血圧や糖尿病といった慢性疾患の治療が続けられずに命を落とす人、きれいな飲み水がないために下痢を起こし栄養失調になる子どもたち。平時であれば健康に生活を送ることができたであろう人が、命の危険にさらされる現実があります。
 
1日に何百人も患者さんが訪れ、何件も緊急手術が必要とされる状況で、「今日からいなくなります」と簡単には言えません。安全上の脅威を下げ、どうすれば活動が継続できるかを考える。それしか選択肢はありませんでした。

9月以降は、人や物の移動制限も大きな壁となりました。物資や医薬品の国内の移動許可が下りず、医療従事者もハルツームへの移動が困難に。麻酔薬や抗生物質、通常なら一般の薬局で購入できるような解熱剤すら足りなくなりました。人道援助の関係者や物資の移動を妨害する行為、病院や援助活動従事者への攻撃は明確に国際人道法に反しています。

国際社会から紛争当事者に対し、国際人道法順守への働きかけが必要だと強く感じます。

また、日本は長い間スーダンで支援活動を行ってきました。深い関係を築いてきた日本だからこそ、できることがあるはずです。

スーダンはいま、人口の3分の1に当たる1800万人が深刻な食料不安に直面し、2500万人が人道支援を必要としています。北ダルフール州にある国内最大のザムザム・キャンプでは、妊娠中および授乳中の女性の40%が栄養失調で、2時間に1人の割合で子どもが命を落としています。

ザムザム・キャンプのMSF診療所に集まる母親と子どもたち Ⓒ Mohamed Zakaria
ザムザム・キャンプのMSF診療所に集まる母親と子どもたち Ⓒ Mohamed Zakaria


この数字は、ただの統計ではありません。いま切実に支援を必要とする人びとがいて、彼らには一人一人の「物語」があります。攻撃に巻き込まれ、病院で治療を受けた幼い姉妹とおじいさんが手をつないで帰っていく後ろ姿を見たとき、私たちがスーダンで活動をしていて良かったなと思いました。

そこに守るべき命があるから、私たちは現場に向かい続けます。そこに語られるべき現実があるから、私たちはそれを伝え続けます。それこそが、国境なき医師団だからです。
 
プロジェクト・コーディネーター/末藤千翔
■2023年6~12月:スーダン・ハルツーム、ワドメダニ
 

燃料が、物資が、人が足りていたら──もう少し守れる命があったかもしれない。


2023年7月にスーダンの首都ハルツームにあるトルコ病院で、海外から派遣された唯一の外科医・救急医として活動しました。MSFへの参加は13回目、のべ8回目の紛争地での活動になりました。紛争地への派遣は毎回緊張します。

トルコ病院では、主に銃創や刺創といった外傷の治療を行うほか、現地の産婦人科医とともに1日4件ほどの帝王切開も担当し、10日間でおよそ40の症例に対応しました。

外傷の患者さんは、歩いているときに胸に銃撃を受けてしまった、刺されて肺に血が溜まってしまったといった症状の方たちです。脚の付け根を撃たれたために 大腿骨が砕け、軟部組織が大きく失われ感染してしまった患者さんは、日本でも治療や機能回復が難しい状態に陥っていると思われました。

手術を行う渥美医師(左) Ⓒ MSF
手術を行う渥美医師(左) Ⓒ MSF


まして、戦闘のホットスポットでもあるハルツームでは電力の供給も十分ではありません。手術は真っ暗な中、充電式ライトを照らして行います。MSFが持ち込んだ発電機も、燃料不足や50度近い気温の影響で使えなくなることも。

もっと患者さんの手術を行いたいのに、それができない──。物資や燃料が足りていたら、もう少し守れる命があったのかもしれない、と思います。

紛争地では、安全に医療活動を行うことの難しさが常につきまといます。ハルツームにたどり着くまでにも、ポートスーダンに到着後、移動のための手続きに数日を要し、 さらに陸路で3日かかりました。医療従事者が優先的に行けるような環境が用意されているわけではありません。必要な医療物資も届かず、人の移動も難しい。医療アクセスが阻害されている現実に直面しました。
 
これまでにも、ガザや南スーダン独立前のスーダンといった紛争地で活動を行ってきました。

どこであっても紛争地で最も被害を受けるのは、一般市民です。また、医療を必要とする人びとがアクセスを失ってしまうことが問題です。

自分の経験を伝えるとともに、国際社会やマスメディアが声を上げ、紛争当事者に圧力をかけていくことが、状況を少しでも改善につなげていくために大切だと感じています。

外科医・救急医/渥美智晶
■2023年6~7月:スーダン・ハルツーム
 

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