たった一人残された11歳の少女 家族全員を空爆で失って

2020年01月27日
リラックスして手術室に入れるように、ベッドは風船で飾られた © Candida Lobes/MSF
リラックスして手術室に入れるように、ベッドは風船で飾られた © Candida Lobes/MSF

今も思い出す、あの夜のこと

麻酔が切れて、少しずつ意識が戻ってきたサルワさん(11歳)。ふらふらするけれど、この感覚にはもう慣れた。

ここは、国境なき医師団(MSF)が支援するパレスチナ・ガザ南部のダル・アル・サラーム病院。爆撃で大けがを負ってこの病院に運ばれて来てから、サルワさんは何度も手術を受けた。医師たちは、彼女が少しでもリラックスして手術が受けられるよう、ベッドの上をカラフルな風船で飾った。今回は、手術室に入ったときも怖がらず、泣かなかった。

サルワさんの病室からは、遠くに地中海が見える。近くの学校からは、子どもたちの声も聞こえてくる。でもサルワさんの大きな茶色の瞳は、いつも部屋の中を見つめている。外では何か良くないことが起きているかのように。

2019年11月、ガザ地区で、イスラエルの空爆によって3日間で子どもを含む11人の一般市民が死亡。イスラエル当局は、誤った調査に基づいて攻撃したことがこの結果につながったと認めた。この攻撃により、11歳のサルワさんは自分以外の家族全員を失った。

手術を受けるサルワさん  © Candida Lobes/MSF
手術を受けるサルワさん  © Candida Lobes/MSF

あの日、病院に運び込まれたサルワさんに父親の死を伝えたのは、MSFの心理カウンセラーのラニア・サムールだった。

「私は彼女に本当のことを話さなければなりませんでした。お父さんは亡くなったと話し、サルワさんをぎゅっと抱きしめました。彼女のどきどきした鼓動が私に伝わってきました。彼女はまだ子どもなのに、家が壊され、両親が亡くなったことを受け入れなくてはならないのです。

攻撃を受けた夜のことを、突然思い出すことがあるそうです。あたり一面が濃い煙に包まれていたこと。足にけがをして、痛くて動けなかったこと。お姉さんにがれきの中から引っ張り出されたこと。お父さんのそばに、お母さんの遺体があったこと。お父さんがけがしていたこと。そして、お父さんが救急隊員に、子どもたちを助けてほしいと必死に訴えていたこと——」とラニアは話す。

サルワさんの父の記憶はそこで途切れる。その晩、父親はガザのシファ病院の集中治療室に搬送され、数日後、帰らぬ人となった。空爆によるけがが原因だった。
 

病室でMSFのスタッフと話すサルワさん(手前)  © Candida Lobes/MSF
病室でMSFのスタッフと話すサルワさん(手前)  © Candida Lobes/MSF

体の傷、心の傷

サルワさんは爆撃により、右足を開放骨折し、さらに筋肉などの軟部組織を損傷した。

「ひどい傷だったので、感染を起こした傷や壊死した組織をかなり広い範囲で取り除く必要がありました。それから移植もして足の軟部組織が元に戻るようにしました」と、MSFの外科医ヘレン・アンダースン=モリナ医師は話す。

「骨折は治りつつある最中で、念入りな処置を行っています。骨と組織を調べたところ、サルワさんは多剤耐性菌に感染していることが分かりました。爆撃でできた傷は感染しやすいのです。皮膚がさけ、筋肉・脂肪組織がむきだしになるため、細菌が入ってきやすいことが理由です。多剤耐性菌に感染しているため、特殊な抗菌薬を使わなければなりません。サルワさんにとっては、治療が長びく上に、個室に隔離されて、誰かと接触するときはいろいろと注意しなければならないことがあります」

大けがをした足は回復に向かっている  © Candida Lobes/MSF
大けがをした足は回復に向かっている  © Candida Lobes/MSF

ここ10年で、ガザでは約2000人の一般市民がイスラエル軍の軍事作戦中に命を落とした(国際連合人道問題調整事務所調べ)。同じ10年で亡くなったイスラエルの民間人は18人。ガザから発射されたロケット弾や砲弾で亡くなった(イスラエルの人権団体ベツェレム調べ)。

「サルワさんは治療で歩けるようになってからも、心の傷は一生消えることがないでしょう。ガザで生きることは、心の傷と背中合わせで生きるようなものです。絶えず生命を脅かされ、それに慣れなければならないのですから」

ラニアはそう心配する。しかし、決してあきらめない。ラニアをはじめとしたMSFのスタッフは、ここで生きる人びとが背負わされた重荷を少しでも和らげようと、今日も活動を続けている。

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