【国際女性デー】紛争地で生きる女性に医療を──互いに手を取り、健康を守る女性たち

2024年03月08日

国境なき医師団(MSF)は世界各地の紛争地で、女性に医療を提供しています。
 
紛争下では、女性は性暴力などの暴力にさらさられる危険性が増し、避妊や出産のケア、性感染症の予防へのアクセスも難しくなります。そのため、人道援助活動においては、女性が病気になったり、死亡したりするリスクを避けるためにも、女性に特化した包括的な医療と保護の提供が優先課題になります。
 
さまざまな紛争地で、こうした援助活動を支えているのが、地元のコミュニティに生きる女性たち。彼女たちは、自分たちの持つスキルや経験、連帯感を分かち合い、より多くの女性が医療や社会的支援を受けられるようサポートを行っており、MSFの医療・人道援助活動に欠かすことのできない存在となっています。
 
3月8日は国際女性デー。チャド、コンゴ民主共和国、パレスチナで、自らも過酷な環境に置かれながら、地域の女性の健康のために活動を続ける女性たちの姿を紹介します。

チャド:スーダン難民の助産師が出産をサポート

ハディジャの自宅に設けられた相談スペース Ⓒ MSF/Diana Zeyneb Alhindawi
ハディジャの自宅に設けられた相談スペース Ⓒ MSF/Diana Zeyneb Alhindawi

スーダンからチャドへ

ハディジャ・ヤヒア・アダム(仮名)は経験豊富な助産師で、スーダンからチャドに逃れた60万人以上のスーダン難民の一人だ。
 
スーダンで紛争が始まってからもうすぐ1年。人びとはアドレのような一時滞在のキャンプに避難するため、チャドに逃れている。多くが西ダルフール州とその州都ジェネイナから逃れてきた人びとだ。難民の中には、妊婦やハディジャのような助産師もいる。

私が以前、診療所で働いていたことを知って、人びとが私のところに来るのです。スーダンで可能だった治療を求める人もいます。

ハディジャ・ヤヒア・アダム(仮名)、スーダン難民/助産師

ハディジャの助産師としてのキャリアは長い。2007年にスーダンで研修を終えた後、病院やMSFのようなNGO組織で17年間働いてきた。そんな時に、スーダンで紛争が始まった。
 
「周りにいた人たちが生きているのか死んでいるのかもわかりません。子どもたちの父親は、ずいぶん前に私たちのもとを去りました。私は8年間、働きながら子どもたちを養ってきたのです」。ハディジャによると、他の多くの女性たちも、何もかも足りない状態のキャンプで家族の世話に追われているという。人びとはその場しのぎのシェルターで暮らすか、野外で風雨にさらされながら、飢えと渇きに耐えているのだ。

母親と赤ちゃんの安全を守りたい

紛争や貧困、限られた医療施設は、スーダンだけでなくチャドでも妊産婦と子どもの死亡率の高さにつながっている。同時に、理由は何であれ、妊産婦が正式なケアを受けようとしないことも、死亡や合併症の原因となっている。

チャド東部の難民女性のほとんどは、地域の助産師の手を借りながら、自宅での出産を希望する。しかし、アドレのようなキャンプでは、助産師にとって必要な道具も衛生的な環境も整っていないのが常で、それが母親と赤ちゃんの健康リスクを悪化させているのだ。
 
MSFは2023年7月に診療所を開設し、性暴力の被害者の治療や産前・産後ケアを提供。また、MSFはハディジャのような避難民コミュニティ内の経験豊富な助産師も募集した。研修を受けた助産師たちは、現在はボランティアとして、アドレのMSFが運営する病院に女性たちを紹介するとともに、女性が必要な医療を受けるよう促している。自宅にとどまり医療を受けられなくなるリスクを回避する必要があるのだ。

ハディジャが子どもたちと暮らす小枝で編んだシェルター Ⓒ MSF/Diana Zeyneb Alhindawi
ハディジャが子どもたちと暮らす小枝で編んだシェルター Ⓒ MSF/Diana Zeyneb Alhindawi


ハディジャは子どもたちと暮らす、小枝を編んだシェルターの中に、シンプルだが整頓されたベッドと相談スペースを設けた。開いている入り口には色のついた布がかけられ、相談がプライベートなものであることが守られている。

「妊婦が貧血になっていたら、健康的な食事をするようにアドバイスします」とハディジャは説明する。「たとえ食べるものがほとんどなくても、野菜、油と砂糖入りのひよこ豆、レンズ豆を食べれば大丈夫です」

このアドバイスは、母親と赤ちゃんの安全を守るためです。お母さんたちが来てくれるように、この活動を広めていきたい。意識を変えていく活動がなければ、誰も来ることはないのですから。

コンゴ民主共和国:地域で取り組む性暴力ケア

避難民の保健ボランティア

※この記事には性暴力に関する記述が含まれています。

コンゴ民主共和国東部の北キブ州では、武力紛争により多くの人びとが避難を余儀なくされている。その中で、アンリエット・マビツェのような保健ボランティアは、性暴力の被害者が安全かつプライバシーが守られた状態で、MSFの性暴力ケアを受けることができるよう支援を行っている。

既婚で9人の子どもを持つアンリエットは、親戚と故郷の村から逃れ、現在はゴマ周辺の小学校の敷地内で、過酷な旅を生き延びた人びととともに暮らしている。親しみを込めて皆から「アンリエットお母さん」と呼ばれる彼女は、避難する前、故郷で保健ボランティアをしていた。

地域の保健ボランティアとして活動する「アンリエットお母さん」 Ⓒ MSF/Marion Molinari
地域の保健ボランティアとして活動する「アンリエットお母さん」 Ⓒ MSF/Marion Molinari

私は避難民です。そして保健ボランティアでもあります。

アンリエット・マビツェ、避難民/地域の保健ボランティア

紛争から逃れたとしても、女性は避難先でもさまざまなリスクにさらされている。「石鹸も衣服もないときは、売れる薪や野菜を探しに森に入ります。しかし、女性が薪を探しに森に入ると、レイプされることがあるのです。これは避難民にとって深刻な問題です」とアンリエットは話す。また、「夜中にテントをカミソリで破って侵入し、一人暮らしの女性をレイプする男たちもいます」と女性たちの置かれた状況を説明した。

性暴力の被害者をケアにつなげる

クララさん(仮名)も8人の子どもたちとともに、ルツルからカニャルチニャに逃れた一人だ。彼女は森に薪を集めに行った際に、性暴力の被害に遭った。

「食べるものが不足していたので、薪を探しに森に入ることにしました。そこで3人の盗賊に出くわしました。そのうちの2人が私に、殺されるかレイプされるかを選べと言いました。2人は私をレイプした後に、その場を立ち去りました。それから私も泣きながら帰ったのです」

クララさんは、健康教育を担うヘルスプロモーターや地域の保健ボランティアから、性暴力の被害のケアや利用できる仕組みについての情報を得ていた。しかし、最初は苦痛がひどく、行動に移すことができなかったという。その3日後、クララさんは地域の保健ボランティアに出会い、自分の身に起きたことを打ち明けることができた。

ここに連れてきてくれた保健ボランティアに感謝しています。もし彼女がいなかったら私は死んでいたでしょう。

クララさん、性暴力の生存者

MSFが支援するカニャルチニャの診療所では、性暴力の事例が多発している Ⓒ MSF/Marion Molinari
MSFが支援するカニャルチニャの診療所では、性暴力の事例が多発している Ⓒ MSF/Marion Molinari


このような活動を率いるヘルスプロモーターの一人が、デリス・セザゲ・トゥリナボだ。デリスは地域で人びとに対し啓発活動を行うほか、アンリエットのような地域保健ボランティアの指導も担う。

「MSFがここで活動を始める前は、性暴力の被害に遭った後に妊娠するケースが多くありました。MSFがここに来てからは、私たちヘルスプロモーターだけでなく、地域の保健ボランティアもいます。今ではたくさんの人びとが集まってきます」とデリスは語る。

MSFのヘルスプロモーターのデリス。カニャルチニャでの啓発活動の指導に当たっている Ⓒ MSF/Marion Molinari
MSFのヘルスプロモーターのデリス。カニャルチニャでの啓発活動の指導に当たっている Ⓒ MSF/Marion Molinari


被害者に提供されるケアは、医療的な治療と心のケアで構成されている。セラピストや心理療法士が経過観察を行い、女性のニーズに応じて他の治療の案内も行う。デリスは、コミュニティ内の性暴力に対する意識や、できるだけ早くケアを受ける重要性の高まりに勇気づけられていると話す。

望まない妊娠や性感染症、特にHIV/エイズを予防するために緊急ケアを受けることは極めて重要だからです。

デリスはまた、女性たちのMSFの支援への関わり方にも励まされていると話す。「支援する女性たちから多くのことを学びました。私たちが傷ついた女性にアプローチして話をし、適切な医療につなげることで、彼女たちは元気になるのです。また、MSFが守秘義務を徹底していることも、女性が安心する理由の一つになっています」

パレスチナ・ヨルダン川西岸地区:傷ついた女性たちに心のケアを

異文化を仲介する担当者として、MSFの心のケアに携わるヌーラ・アラファト Ⓒ MSF/Louis Baudoin-Laarman
異文化を仲介する担当者として、MSFの心のケアに携わるヌーラ・アラファト Ⓒ MSF/Louis Baudoin-Laarman

占領下で苦しむ思いは同じ

MSFの異文化仲介担当者であるヌーラ・アラファトは、パレスチナ・ヨルダン川西岸地区のナブルスにずっと暮らしている。ヌーラは同じコミュニティの女性たちが必要な心のケアを受けることができるよう支援を行っている。

ガザでの戦闘が激化して以来、ナブルスを含むヨルダン川西岸一帯の状況は悪化の一途をたどっており、移動制限の強化やイスラエル人入植者やイスラエル軍による暴力の増加も著しい。この状況は、医療や心のケアなど基本的なサービスへのアクセスにも壊滅的な影響を及ぼしているため、ヌーラが携わる支援はこれまで以上に重要なものになっている。

私たちは皆、占領下で苦しみ、同じ思いを共有してきました。

ヌーラ・アラファト、MSFの異文化仲介担当者

「パレスチナやナブルスで生きる女性たちは、さまざまな困難に直面しています。それは、悲しみです。ほとんど毎日、私たちは『パレスチナ人』を失っています。私たちが毎日一緒に働く母親たちは、息子や夫、子どもを失い、悲しみに暮れています。それは本当にやりきれないことで、解決策のない、生涯続く悲しみでもあります」とヌーラは話す。それにもかかわらず、ナブルスでは心理的支援を受ける機会はMSF以外では限られているのだ。

いつか平和に暮らせる日が来るまで

ヌーラは仕事において、常に女性のエンパワーメントに力を注いできた。現在、彼女は異文化を仲介する担当者として、通訳や文化の仲介を通して、患者とMSFの心理療法士との間の心理セッションに携わっている。また、彼女は外国から派遣されたMSFの心理療法士たちにパレスチナの状況や文化、歴史的背景、地域に特有の事柄についても説明を行う。

「まず通訳や文化の仲介が行われなかったら、心理療法士にとっても患者にとってもセッションは成立しません。つまり、私は患者の 『言葉』であり、心理療法士の 『言葉 』になるのです。また、心理療法士が患者の歴史や文化、背景を深く知ることで、より理解が深まり、いっそう共感できるようになるのです」とヌーラは話す。

女性たちがMSFの心のケアを受け、人生に希望を見出すことを支援しているヌーラ。「それは私にとってとても大切なこと」と語る Ⓒ MSF/Louis Baudoin-Laarman
女性たちがMSFの心のケアを受け、人生に希望を見出すことを支援しているヌーラ。「それは私にとってとても大切なこと」と語る Ⓒ MSF/Louis Baudoin-Laarman

ヌーラの洞察力と文化的なニュアンスへの理解が、患者の治療を支え、形づくる。患者は、自分の気持ちがうまく表現されていると感じれば、安心し、自信を持って心理療法士との関係を信頼するという。ヌーラはこう続ける。

私たちは誰かを失ったり、何かを失ったりする心配をすることなく、家族とともに平和に暮らしたい。そう、願っています。

平和に暮らせる日が来るまで──。彼女は愛する地域の女性たちが、必要な心のケアを受けることができるよう、活動を続けていく。

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