見過ごされている病に光を──「顧みられない熱帯病」が分かる10のポイント
2025年02月17日
世界で10億人以上もの人びとが影響を受けている「顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases=NTDs)」。主に、経済的に苦しく、極めて悪い衛生環境で暮らす人びとに多い、21の疾患群だ。予防・診断・治療法の研究や普及から取り残され、その名の通り「顧みられない」ことが課題だ。
NTDsには、耐え難いほどの痛みを伴うものが多く、死に至ることも少なくない。疾患によっては体の変形や皮膚の病変が起こることで、社会的な差別を受ける一因となることもある。
一方で、NTDsは予防も治療も可能な疾患だ。ただ、予防や治療の実現には、影響を受けている国の政府、製薬会社、慈善団体、そして、高所得国政府のサポートが不可欠だ。この疾患群を世界に広く知らせ、山積する課題に注目してもらうため、世界保健機関(WHO)は、毎年1月30日を「顧みられない熱帯病の日」と定めている。
国境なき医師団(MSF)は、これまでNTDsの予防、治療、撲滅を推進してきた。この記事では、これまでにMSFがNTDsに対して達成した成果、およびNTDsとの闘いの進展を阻む障壁について、各5項目、計10のトピックに絞って紹介する。
国境なき医師団(MSF)は、これまでNTDsの予防、治療、撲滅を推進してきた。この記事では、これまでにMSFがNTDsに対して達成した成果、およびNTDsとの闘いの進展を阻む障壁について、各5項目、計10のトピックに絞って紹介する。
MSFがNTDsに対して達成した5つの成果
【1】水がん、NTDsに認定

2023年、水がんがNTDsの一つとして認定され、正式なリストに追加された。水がんは子どもの死亡率が特に高い病気だが、この原因が未だに解明されていないことは、水がんがいかに軽視されてきたかを示している。認定を受けたことにより、水がんへの注目が集まり、予防や治療が促進する可能性が出てきた。
水がんの影響を受けている人の数は、明らかになっていない。研究事例が少ないこと、患者にアプローチすることが難しいこと、そして、差別を恐れて隠れている人が多いことが、その理由だ。現在の患者推計は25年以上も前のものだが、毎年14万人が新たに発症し、77万人が後遺症に苦しんでいるとされている。
水がんという言葉(Noma)は、ギリシャ語の「食い荒らす」に由来している。その言葉通り、この病気は口の中から始まり、潰瘍ができて壊疽(えそ)を起こし、組織をむしばんでいく。早期に発見すれば抗菌薬で簡単に治療できるが、壊疽になると子どもの死亡率は90%に達する。
口の中が破壊され、顔面が変形するため、生き延びたとしても会話や食事が難しくなるなど、身体的な障害が残ることが多い。特に顔の変形に対する差別は激しく、感染者は家族によって社会から遠ざけられるほどだ。
口の中が破壊され、顔面が変形するため、生き延びたとしても会話や食事が難しくなるなど、身体的な障害が残ることが多い。特に顔の変形に対する差別は激しく、感染者は家族によって社会から遠ざけられるほどだ。
水がんをNTDsのリストに追加するキャンペーンは、ナイジェリアが主導し、MSFなどが支援した。MSFは、ナイジェリアのソコトにある保健省管轄の水がん病院を10年以上にわたって支援しており、治療、再建手術、心のケア、地域へのアウトリーチ活動(医療援助を必要としている人びとを見つけ出し、診察や治療を行う活動)を行ってきた。
命にかかわる水がんがNTDsと認定された今、病気への理解が進み、予防、治療への支援金が増えることが期待されている。
【2】カラアザール対策の新しい資金援助者に「The END基金」が決定

2021年、英国が海外援助予算を削減した。英国はNTDs、とりわけ「カラアザール(内臓リーシュマニア症)」に対する最大の援助国のひとつだった。そのため、英国の予算削減は、東アフリカでカラアザールの治療薬が今後購入できなくなることを意味し、NTDsの対策に巨大な空白が生じた。
カラアザールは、リーシュマニアという寄生虫によって引き起こされる病気だ。サシチョウバエに刺されることで寄生虫が体内に入り、感染する。感染すると、免疫機能に不可欠な組織が徐々に破壊され、治療しなければ命にかかわる。初期は軽い症状だが、発熱が長引き、脾臓肥大、貧血、大幅な体重減少へと発展する。
治療法は、2種類の薬剤を17日間にわたり、毎日注射すること。英国の資金削減により、この治療法へのアクセスが危ぶまれていたが、MSFをはじめ多くの人びとによる精力的なアドボカシー活動により、新たな援助団体として「The END基金(The END Fund)」が設立、資金提供が継続された。
とはいえ、東アフリカを筆頭に、世界各地の患者にとって、迅速な診断と治療へのアクセスは依然として大きな課題となっている。カラアザールをはじめNTDsの予防、治療、そして、撲滅を確実に前進させるには、これまで以上に長期的で持続可能な支援が必要だ。
【3】女性器住血吸虫症に対する援助体制の強化

南スーダンのジョングレイ州にある人里離れた街オールド・ファンガク。MSFが病院を運営しているところであり、国内で「住血吸虫症」の患者が最も多く報告されている場所でもある。MSFは、この町に暮らす多くの女児や女性が、住血吸虫症の進行型である「女性器住血吸虫症(FGS)」に苦しんでいると推測している。
MSFは現在、南スーダンだけでなく、病気の原因となる寄生虫が存在する他の国々のプロジェクトにおいても、この病気による負担をより適切に特定し、対処する方法を模索している。
住血吸虫症は、淡水の湖や川に生息する巻貝の体内に住む寄生虫によって引き起こされる。この寄生虫が潜む水に接触することで、ヒトに感染する。
住血吸虫症は、象皮病、トラコーマ、オンコセルカ症、腸内寄生虫症と並ぶ、NTDsの「5大感染症」のひとつだ。限られた援助資金の大半がこれらの病気に投入されているが、現在行われている対策のほとんどが予防にとどまっている。つまり、病状が悪化し、治療を必要としている女性たちは、見捨てられているということだ。
FGSの患者は生殖器系と泌尿器系に大量の寄生虫を抱えており、それらが炎症を引き起こし、時には致命的ながんに進行することもある。NTDsの中でも特に軽視されている病気であり、MSFはすべての女性が、正確な診断と最善の治療が受けられるよう注力していく。
【4】GAVIワクチンアライアンスが狂犬病ワクチンを普及させる新プログラムを開始

デング熱とチングニアを除けば、狂犬病はワクチンで予防可能な唯一のNTDsだ。しかし、未だに人命への大きな脅威となっている。世界150のほとんどの国において、ワクチンの在庫は極めて少なく、値段も高い。
狂犬病は、感染した哺乳類、特に犬にかまれることで感染する。かまれた後、すぐにワクチンを接種すれば発症はしない。しかし、暴露後のワクチン接種が間に合わなかった場合、ウイルスに感染してしまう。症状が現れたときにはすでに手遅れで、治療法がないため、確実に死に至る。
ワクチンが普及している高所得国では、犬もワクチン接種対象に含まれ、まん延を抑えている。今回のGAVIのプログラムには犬へのワクチン接種は含まれていないが、かまれた人に投与するワクチンを、GAVIに要請するワクチンリストに含めることはできる。つまり、保健省が診療所や病院にワクチンを備蓄し、患者は無料で迅速にワクチンを接種できるようになるということだ。
【5】アフリカ睡眠病の根絶に貢献

過去25年間で、アフリカ睡眠病に苦しむ人びとの数は、97パーセント減少した。その結果、2024年には赤道ギニア、コートジボワール、ベナン、トーゴ、ウガンダ、チャド、そして今日ではギニアで、公衆衛生問題としてのアフリカ睡眠病が根絶に向かった。
この成果は、政治的な関心と投資が揃えば、より安全で効果的な治療法を開発できることを示している。一方で、まだ150万人がこの病気のリスクにさらされていることを忘れてはならない。
アフリカ睡眠病は、ツェツェバエに刺され、寄生虫が体内に入り込むことで感染する。この病気には2つの型があり、そのうちのひとつの型では、わずか数週間のうちに寄生虫が脳や脊髄を攻撃する急性期へと移行する。その結果、睡眠障害、けいれん、錯乱を引き起こし、最終的には昏睡状態に陥り、治療しなければ命を落とす。
何十年もの間、治療法はヒ素誘導体ただ一つで、患者の20人に1人は死亡していた。1970年代に新薬の登場によって生存率は一変したが、1990年代、製造元のサノフィ・アベンティス社が製造中止を表明し、病気撲滅への道のりが後退する危機に直面した。
しかし、WHOとMSFの交渉が功を奏し、サノフィ・アベンティス社はアフリカ睡眠病の治療薬の製造を継続、薬剤を寄贈したうえに、DNDi(顧みられない病気のための新薬イニシアティブ)と連携して、より優れた、患者にやさしい新たな治療法の開発へと舵を切った。この協力体制と継続的な投資が、医療のさらなる進歩につながり、現在では、簡便で安全な経口薬での治療が可能となっている。
この成果は、政治的な関心と投資が揃えば、より安全で効果的な治療法を開発できることを示している。一方で、まだ150万人がこの病気のリスクにさらされていることを忘れてはならない。
アフリカ睡眠病は、ツェツェバエに刺され、寄生虫が体内に入り込むことで感染する。この病気には2つの型があり、そのうちのひとつの型では、わずか数週間のうちに寄生虫が脳や脊髄を攻撃する急性期へと移行する。その結果、睡眠障害、けいれん、錯乱を引き起こし、最終的には昏睡状態に陥り、治療しなければ命を落とす。
何十年もの間、治療法はヒ素誘導体ただ一つで、患者の20人に1人は死亡していた。1970年代に新薬の登場によって生存率は一変したが、1990年代、製造元のサノフィ・アベンティス社が製造中止を表明し、病気撲滅への道のりが後退する危機に直面した。
しかし、WHOとMSFの交渉が功を奏し、サノフィ・アベンティス社はアフリカ睡眠病の治療薬の製造を継続、薬剤を寄贈したうえに、DNDi(顧みられない病気のための新薬イニシアティブ)と連携して、より優れた、患者にやさしい新たな治療法の開発へと舵を切った。この協力体制と継続的な投資が、医療のさらなる進歩につながり、現在では、簡便で安全な経口薬での治療が可能となっている。
NTDs撲滅の進展を阻む5つの障壁
【6】紛争がNTDsを悪化させる

紛争が起きると、NTDsはさらに顧みられなくなる。ぜい弱な医療体制はさらに弱り、病気の発生についての監視体制も混乱する。これまで抑制できていた病気でさえ、再び猛威を振るう場合がある。だからこそ、常に警戒することが大切なのだ。
スーダンの北ダルフールで、MSFはNTDsの厳戒態勢を敷いている。これまでのところ、MSFの緊急対応プロジェクトでは症例は確認されていないが、スーダンにはカラアザールが流行している地域もある。私たちはスーダンでの長年の活動から、避難生活や栄養失調がカラアザールの爆発的な流行につながることが分かっているため、最悪の事態に備えているのだ。
カラアザールにかかったことのない、つまり、免疫のない人びとが、この病気がまん延している地域に避難すると、大きなリスクにさらされる。また、この病気にかかった患者が避難を余儀なくされ、病気の存在しない地域に移動した場合、そこに暮らす抵抗力の弱い人びとに病気を広めてしまう可能性もある。
MSFは、北ダルフールや、大規模な避難と医療体制の崩壊が起こっている地域に暮らす人びとが、このような状況に直面することを懸念している。
また、スーダン内戦の特徴はアクセスの制限であり、医薬品を積んだトラックが何カ月も足止めされることがあるため、MSFは事前に在庫を確保している。
MSFは、北ダルフールや、大規模な避難と医療体制の崩壊が起こっている地域に暮らす人びとが、このような状況に直面することを懸念している。
また、スーダン内戦の特徴はアクセスの制限であり、医薬品を積んだトラックが何カ月も足止めされることがあるため、MSFは事前に在庫を確保している。
NTDsの診断は複雑で、医療チームは早期に症例を診断するツールを必要としている。迅速に検査できるキットは一部の症例にしか有効ではなく、中には、熟練したスタッフが内臓の組織サンプルを採取しなければならない症例もある。また、血液や組織の検査を行うには、検査室を備えた病院も不可欠だ。しかし、北ダルフールにはこれらすべてが不足している。
加えて、北ダルフールは歴史的にNTDsの流行地ではなかったため、多くの患者がいるゲダレフ州など他の地域と比較すると、医療チームはこの病気に精通していない。
このような背景の中、MSFは北ダルフールに検査キットと医薬品を送り、チームのトレーニングを実施してきた。これにより、もし集団感染が起きた時にも、私たちは保健省が迅速な対応をできるよう支援できる。
【7】終わりの見えない資金難

NTDsは深刻な資金不足に直面している。そして、わずかな資金の大半は前述した「5大感染症」に充てられている。この5つの疾患は、一度に多くの人びとに医薬品を提供することで迅速に対応できるため、資金提供側からの関心が高い。
他の16のNTDsは、治療法がより複雑かつ高価になる場合があり、資金もさらに限られている。WHOは、2023年から2025年までのNTDsの対策費用が、医薬品代を除いても20億ドル足りないと推計している。
フランス、英国、EU、BRICSのような国際的な支援国は、NTDsに対し大きな影響を与えることができる。しかし、貧困の病とされるこれらの病気への資金提供を、増加または維持するどころか、むしろ削減しており、懸念される状況となっている。
フランス、英国、EU、BRICSのような国際的な支援国は、NTDsに対し大きな影響を与えることができる。しかし、貧困の病とされるこれらの病気への資金提供を、増加または維持するどころか、むしろ削減しており、懸念される状況となっている。
【8】NTDs最大の死因「毒ヘビ被害」 治療薬の改善と低価格化がカギ

毒ヘビ被害に遭った人のほとんどが、解毒剤を常備している医療施設から遠く離れたところに住んでいるため、治療を受けることができない。仮に診療所にたどり着けたとしても、その高額な医薬品代を払えないのだ。
抗毒素は特定の地域での使用を目的とした特注の製剤であるため、生産量は少ない。効力はそれほど強くないことが多いので、患者は多くの製剤を購入する必要がある。
また抗毒素の質を担保するため、現地のヘビの毒に対してその抗毒素が有効であるかの評価は、各国に委ねられている。しかし医療体制がぜい弱な場合、基本的な薬の評価さえ困難なため、実際には多くの国々で抗毒素の評価まで手が回っていない。
幸い、2017年にWHOが抗毒素の既存製品の評価を開始し、さまざまな製薬会社にサンプルを依頼し、結果をリアルタイムで開示するようになった。MSFとしては、この監査が製薬会社に対する製品改善の圧力となること、そして、これを呼び水として国内外からの資金増につながることを期待している。そうなれば、毒ヘビの被害者に、質の良い抗毒素を無料で提供できるようになるだろう。
【9】NTDs対策の要である「診断薬」が不足している

NTDsのまん延を防ぐには、継続的な監視が不可欠であり、そのためには診断が鍵となる。ただ、多くの診断検査薬は必ずしも正確ではないため、改善のための投資が必要だ。
いくつかの新しい診断法が開発されているが、それらは非常にニッチな市場を対象としており、大企業に投資を説得するのは至難の業だ。NTDsの診断薬に対する財政的支援は、他の分野に比べてはるかに少ない。
NTDsの治療薬は、多くがグラクソ・スミスクライン社(GSK)のような大手製薬会社によって製造されており、社会貢献の一環として医薬品の寄付を検討する場合もある。しかし、診断薬を製造する企業は比較的小規模であり、寄付という選択肢は難しい。また、NTDsの診断薬は、入手できる仕組みが世界的に整っていないため、各国はそれぞれ独自に購入しなければならない状況となっている。
NTDsの治療薬は、多くがグラクソ・スミスクライン社(GSK)のような大手製薬会社によって製造されており、社会貢献の一環として医薬品の寄付を検討する場合もある。しかし、診断薬を製造する企業は比較的小規模であり、寄付という選択肢は難しい。また、NTDsの診断薬は、入手できる仕組みが世界的に整っていないため、各国はそれぞれ独自に購入しなければならない状況となっている。
NTDsをコントロールするためには、診断をより地域レベルで行えるようにすることが大切だ。病気の流行を防ぐため、NTDsを早期かつ効果的に診断し、迅速に治療を開始することが求められている。そのためには、信頼性が高く、手ごろな価格、かつ使いやすい“患者のいる場所で行う”ことのできる検査キットが必要なのだ。
【10】NTDsの資金削減は、医学の進化をも妨げている

比較的安定していたNTDsの研究開発への資金提供は、ここ数年で著しく減少した。これが続けば、大きな医学的進歩が妨げられることになる。
研究には膨大な時間と人員、設備、資金などが必要となる。技術革新における初期段階では、有効性と安全性の面で基準を満たせず、その後の研究を断念せざるを得ないことが多い。そして、後期臨床試験には多額の費用がかかり、その資金なしには、新薬が市場に出回ることはなく、つまりは、命を救うチャンスも失われることになる。
カラアザール、デング熱、シャーガス病には臨床試験の準備が整った新薬があり、住血吸虫症のワクチンは開発の初期段階にある。そして、毒ヘビ被害の治療も、臨床試験がまもなく開始できる可能性がある。2019年、医療研究財団のウェルカム・トラストは、毒ヘビ被害の治療に対する7年間の研究開発プロジェクトに投資したが、今後数年間は追加資金が必要となる。
希望を抱くことができる新しい製剤がいくつか開発中ではあるが、研究者の間で期待されているのは万能な解毒剤だ。これを実現するには、この分野への資金援助が優先され、長期的に維持されなければならない。NTDs撲滅へ向けての未来は、私たちの選択にかかっている。