拉致された妹 行方不明のまま 身代金払うも帰ってこない

2019年06月06日

暴力を逃れようと、北に向けて避難する人びと © Christina Simons/MSF暴力を逃れようと、北に向けて避難する人びと © Christina Simons/MSF

暴力に満ちたメキシコ国境地帯の都市で、数万人もの移民らがシェルターや路上で暮らしている(2019年5月現在)。彼らは米国政府にメキシコに留まるよう強いられたためだ。身の安全を恐れ、この先どうなるかも分からない。誰もが不安を抱えて暮らしている。 

繰り返される暴力と虐待

多くの人びとが滞在するシェルターの様子 © Juan Carlos Tomasi多くの人びとが滞在するシェルターの様子 © Juan Carlos Tomasi

移民らが安心して泊まれるのはシェルターくらいだが、こうした都市にはシェルターがあるのは少しで、たいていはどこも超満員だ。このため、路上で寝泊りする人もいる。彼らは所持金もほとんどなく、医療も法的支援も受けられないでいる。

米国政府は、メキシコとの国境で「国家非常事態」の炎をあおる。だが、移民らがそれまで経験してきた恐るべき暴力と、非人間的な扱いの方が深刻だ。グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルでは暴力が横行しているため、数千世帯が困難な決断を下して北に避難を始めている。だが今もなお、彼らへの暴力や虐待が繰り返されている。最初は人びとがメキシコを抜けていく途中で、それから国境地帯にたどり着いた時だった。どの人も、暴力と虐待から抜け出そうと国境地帯を目指すのだが、その過程で何度も被害に遭っている。

「国境地帯のヌエボ・ラレドでは、拉致が起こるのは日常茶飯事です。とても危険なので、移民は町を歩きたがりません」とフェリペ・レジェスは話す。フェリペは心理療法士で、国境なき医師団(MSF)の活動に参加している。移民ら強制送還されたメキシコ人を、市内にある2ヵ所のシェルター助けている。シェルターでMSFは、医療や心理ケアなど数百以上の人たちに提供している。「相談に来る人は誰でも、本当に苦しい状況に置かれています。悲しみ、うつ状態、罪悪感と自殺願望に対処していかなければいけません。眠れない、寝つきが悪いなどの睡眠障害もありますし、不安に悩まされています。難民希望者の申請手続きでは、待機者リストは長く、実際に申請が通るのか誰にも分からない状況です」とレジェスは話す。MSFの医療チームメンバーの傍らで、レジェスはこうした状況を毎日目にしている。 

拉致され、行方不明の妹

メキシコから米国に向けて国境を渡ろうとした移民が米国のパトロール隊に声を掛けられているところ © Juan Carlos Tomasiメキシコから米国に向けて国境を渡ろうとした移民が米国のパトロール隊に声を掛けられているところ © Juan Carlos Tomasi

ホンジュラス出身のホセさんは、メキシコ国内を通る途中で強盗や襲撃に遭った。兄弟たちとメキシコ国境地帯まで旅して、そこで難民申請を出すつもりだった。ホンジュラスにいるギャングに殺すと脅されたからだ。

だが、メキシコに安息の地はなかった。ホセさんたちがヌエボ・ラレドに着いた時、妹が拉致されたのだ。

「バスを降りたら、知らない男たちに弟と私は引っ張られ、そのすきに妹はどこかへ連れ去られました。数時間後、弟と私は解放されたものの、妹はそれきり行方不明で音信不通です。有り金をはたいて身代金5000米ドル(約54万8700円)を払いましたが、妹を帰してもらえませんでした。誰を頼ればよいかも分かりません。警察は信用できないとにらんでいます。最初は米国への難民申請をするつもりでした。でも妹がどうなったか分かるまでは、ここを離れたくないのです」 

幼い娘も「あそこにいたら殺される」

自国の暴力から、家族ぐるみで逃げ出した人びとにとって、新しい身分証明を得ることがどれほど大変なのかをMSFは目にしている。メキシコで暮らす恐怖と、自国に帰されるかもしれないという不安に揺れつつも、子どもたちのために、どれほど強く新しい人生を欲しているかも。

「2年もお金をゆすられていました。ある日、もうお金を払うに払えなくなりました。私は家を抵当にいれ、何もかも売り払いました」とマルガリータさん。彼女は36歳の移民で、グアテマラから来た。メキシコ国境地帯には夫と、それぞれ16歳、7歳、6歳になる3人の娘と一緒に来た。

「私の夢は、本来アメリカン・ドリームなんかじゃありませんでした。家族で楽しく暮らしていましたから。でもギャングがいては、他にどうしようもなくって。秩序のある暮らしがしたい。ここでは人道的配慮によるビザを発給してくれました。でも家族でずっとメキシコにいることはあり得ません」とマルガリータさんは話す。それは、ヌエボ・ラレドのバス停で、忘れられない経験をしたからだ。
「バス停で、娘たちが拉致されそうになったのです。力を振り絞って叫び声をあげて、なんとか逃げられました。米国への難民申請を出すまでの間は、ここで待つつもりです」と諦めたような表情を浮かべた。他に何も方法がないと分かっているのだ。

マルガリータさんの末娘も、幼いながらに一家の難しい局面について分かっているという。マルガリータさんから「みんなでグアテマラに帰ろうか」と聞かれるとためらわずに答えるのだ。「だめ。あそこにいたら殺されるよ」と。 

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