収容センターに押し込まれたまま 過酷な現実に向き合う難民たちの今

2020年02月05日
フムス市近くの海岸に面したスークアルハミス収容センター © Aurelie Baumel/MSF<br>
フムス市近くの海岸に面したスークアルハミス収容センター © Aurelie Baumel/MSF

何十年もの間、産油国リビアは、移民の目的地であった。職を求めて隣国ニジェールやサハラ以南アフリカ諸国から来た人の受け皿は、建設、農業、サービス産業。国際移住機関(IOM)の推定によると、リビア国内には現在70万人から10万人の移民がいる。

2011年の「アラブの春」を受けた反政府デモにより、カダフィ政権が崩壊。内戦が起きてからは、リビアで働く移民の状況ははるかに厳しくなった。武力紛争に引き裂かれたリビアでは複数の政府が支配権を争い、行政サービスは崩壊した。居住許可などの証明書がない人が大多数を占めるため、移民は逮捕や、恣意的な身柄拘束の危険に直面している。旅の中継地か目的地かに関わりなく、リビアにいる移民は全ての経路で狙われる。しかも、経路はますます危険になり、費用がかさむ上、あちこちで寸断されている。

国境なき医師団(MSF)は2017年から、リビアで移民・難民援助を担い、人びとの窮状を目撃してきた。収容センターで鬱々として暮らすか、外で果てしない暴力の悪循環から抜け出せないまま、自力で生き延びるほかない。 

動乱の中で

地中海を渡ろうとする人びとの様子を描いた子どもの絵 © Aurelie Baumel/MSF<br>
地中海を渡ろうとする人びとの様子を描いた子どもの絵 © Aurelie Baumel/MSF

カダフィ政権下のリビアは、EUとイタリアとの間で、ある合意を結んだ。「好ましくない移民・難民は欧州から送り返す」という内容だったため、論争が起こった。二度目のリビア内戦(2014年~)後に訪れた動乱は、闇経済の温床となった。資源強奪と石油・武器・人身の非合法売買などの不法行為によって成長する経済が出現。リビアは欧州への主な関門となり、自国での迫害、紛争、貧困から逃れてくる人が目指すようになった。

新しくたどり着いた人びとを少しでも減らそうと、欧州各国は残虐な封じ込め・送還政策を実施。国際法に違反しているにもかかわらず、海での捜索救助活動をやめさせ、国際水域でもリビアの沿岸警備隊に難民・移民を捕らえさせ、リビアに送り返した。犯罪組織や密航斡旋業者網との関連が知られている多種多様な関係者とも取引をした。その結果、リビアでは移民・難民を狙った人身売買、拉致、抑留、ゆすりが横行。リビアから渡欧しようとして亡くなる人も増えていった。MSFはこうした状況を、国連、他の団体は記録するとともに非難してきた。 

想像を絶する虐待 傷跡や骨折が残る亡くなった人びと

リビアを目指す過程で、レイプに遭い、首にナイフを突きつけられるなどの暴力に遭った女性 © Aurelie Baumel/MSF<br>
リビアを目指す過程で、レイプに遭い、首にナイフを突きつけられるなどの暴力に遭った女性 © Aurelie Baumel/MSF

保護を求めて欧州に向かう人びとが犯罪組織の手を借りて航海をせざるを得ない状況も続いている。仲介業者の間で何度も売られるため、旅程のすべてで移民は暴力と非合法売買の危険にさらされる。特に危険なのがリビアだ。

リビアに入ると移民・難民は、沿岸部へ向かう旅程の一つひとつに支払いを求められる。ニジェールのアガデスから、地中海に面したトリポリ行きの旅に支払ったはずなのに、実際にはセブハ、シュウェイリフやバニワリドなどの都市に連れて来られる人もいる。そのまま身柄を拘束され、もっとお金を出さないと解放してもらえない。あるいは地中海渡航がふいになる。まず沿岸部に移動しなければならないからだ。あまりに“もうかる商売”なため、移民を乗せた輸送車隊が敵対するギャングに襲われ、乗客が身代金目当てで捕まえられることすらある。

広域で行われる一方、特定の国籍保有者、特にエリトリア人は犯罪組織に狙われやすい。犯罪組織は、本人か親戚から数カ国を結ぶ送金網を通じて、身の代金をゆすりとる。移民は欧州や北米に住む親族から、多額の資金を集められる“カモ”だとみなされているからだ。 

非合法の人身売買にかけられる移民・難民は、倉庫などの建物に閉じ込められる。生活環境は悪い。場所にもよるが、数百人の人びとが暗闇の中に閉じ込められ、動くことも食べることもままならない状態で何カ月も置かれ、他に類を見ない残虐行為によって金銭を強奪されている。

MSFはこうした違法な拘禁施設に入って治療はできないが、出て来られた一部の人は治療している。身の代金を払って出たか、逃亡したか、もはや搾り取る余地なしとして拘禁者に放り出された人たちだ。

一方でMSFは、傷あとや骨折のある遺体を目撃。溶けたプラスチックを皮膚にかけられたり、毎日のように叩かれたり、被害者の親戚に送金を求める通話の最中、拷問されたりなどという話を耳にしている。

患者の症状は、暴力の激しさを物語っている。被害者はショック状態、貧血に陥っている上、複数カ所に傷を負っている。こうした拷問や極めて激しい暴力から回復するには、何カ月もかかる。2019年、MSFはバニワリドで、危篤状態となった20人余りを治療し、ミスラタ市かトリポリの病院へ転院させた。また現地では、750件の診療が行われた。だが、いったい何人が砂漠で銃撃や殴打やけがや結核などの病気で命を落としているのか、正確な数は分からない。 

過酷な収容センターでの生活

ダハル・エル・ジェベル収容センターで過ごす人びと © Aurelie Baumel/MSF
ダハル・エル・ジェベル収容センターで過ごす人びと © Aurelie Baumel/MSF

ジンタン市とヤフラン市の間にあるダハル・エル・ジェベル収容センターは、500人近い人を抑留しており、大半は、エリトリアとソマリア出身者である。

2019年5月にMSFが活動し始めて間もなく、少なくとも22人の移民・難民が死亡していたことが分かった。このセンターでは、IOMとUNHCRが医療を含めた援助を行っていたはずであった。現在も収容者の健康状態は心配な状況にある。この収容センターで活動しているMSFスタッフの目の前ではさほど起きていないが、他の収容センターでは、看守による虐待が横行している。だが、長期間に及ぶ抑留や、先行きの不透明さが日を追うごとに患者に重くのしかかっている。ダハル・エル・ジェベル収容センターには保護者のいない子どもが100人余りいる。収容センターの中には不正がまかり通っていて、当局、民兵、犯罪組織の境界もはっきりしないものがある。 

© Aurelie Baumel/MSF
© Aurelie Baumel/MSF

フムス市近くの海岸に面したスークアルハミス収容センター。MSFは2017年に、同センターで活動を開始。2019年、フムスはリビアの沿岸警備隊によって海上で捕らえられ、連れ戻される人が最も多く上陸する地点となった。同市からの渡航も多い。だが、2019年7月25日には少なくとも110人が渡航中に死亡するという悲劇があった。MSFはフムスに戻ってきた135人の生存者を援助。何時間も水中で過ごし、あまりに多くの人が目の前で溺れていったため、誰もがショック状態にあった。

リビアの法律は、領土への不法入国・滞在・出国を犯罪とみなしている。このため、違反者は禁錮刑に処せられてから、強制送還される。保護を必要とする個人的な事情など顧みられない。東部で数回強制送還があったと報道されたもの以外、リビア当局は収容センターからの強制送還はほとんど行っていない。難民・移民が裁判もなしに無期限に抑留されているのが実情だ。

リビアから出る望みが叶うとすれば、国際移住機関(IOM)とともに出身国へ帰る、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)による第三国への避難する、看守を買収して脱出する、リビア人の保証人を見つけて解放に動いてもらう——などのいずれかしかない。

収容センターの環境はそれぞれで異なっている。以前よりも、給排水衛生設備が整った場所もある。しかし、全体的には非人間的な環境のままだ。MSFはたびたび、虐待と暴力の目撃者となっている。 

スークアルハミス収容センター収容されているダニエルさんの証言(エストリア難民)

多くの難民が滞在するスークアルハミス収容センター © Aurelie Baumel/MSF
多くの難民が滞在するスークアルハミス収容センター © Aurelie Baumel/MSF

 「ここは収容センターではなくて密航斡旋業者のお店だよ。私らを海に送り出す奴らはここにつてがある。ここへやってきて私らと話すも脅すも自由さ。毎晩ここには銃を持った奴らが来る。今のリビアは金がすべて。人の命なんてお構いなし。密航斡旋業者が大金持ちになりつつあることも分かっている。

 
でも私らはこの国から出たい。ずっとお願いしている。できない相談だったら悪いとは思うけど──でもほかに私らに何ができる?
 
命がけで海を渡ろうとしたけど、通してもらえない。欧州にもはねつけられる。2011年にカダフィがリビアの民兵に負かされたとき、国連は数千人の移民をリビアからチュニジアに退避させた。今だって同じことができる。私たちの数なんて、たいしたことはありません。要はやる気の問題だよ。UNHCRは耳を傾けてくれるけど、両手で助けてはくれず、指を使うだけ。私はUNHCRにお願いしている。両手でしっかりつかんで助けてくれ、心を寄せてくれと。私らは犯罪者やよその国に悪さをする人ではない。
 
私も人の役に立てる。祖国の役に立ちたかったけれど、私の国では兵士か奴隷のどちらかしか選べない。守ってほしい。私というよりは妻のために。妻のお腹には赤ちゃんがいる。私はこの子に未来をあげたい。この子には、鳥のように自由になってほしい。自分で自分のことを決められるようになってほしい。私の国はどれ一つとしてできない。リビアにとどまるつもりはなかった。リビア人に面倒を起こす気もない。ただ、この国から出ていきたいだけ。
 
UNHCRには待て、と言われた。ひたすら待てと。いったいいつまで?もうこの収容センターに1年半いる。死んだ人も、犯罪行為も、浜に横たわる遺体も見た。でも、世界は黙ったままだ」 

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