ハイチ地震:被災地で緊急対応に当たる医師、発生から6日間の報告
2021年08月27日
現地当局によると、グランダンス県、ニップ県、南県で13万7000世帯が被災し、死者は2200人、負傷者は1万2000人以上に上る(8月22日現在)。被災した自治体の多くが孤立状態にあるほか、最近の暴風雨による地滑りや洪水によって被害が拡大し、捜索活動も困難な状況だという。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、約65万人が緊急人道支援を必要としていると報告した。
国境なき医師団(MSF)は現在、100人以上の海外派遣スタッフと1260人以上の現地スタッフを動員し、通常医療の維持と被災地の緊急対応に当たっている。
首都ポルトープランス市でMSFが運営するタバル病院に勤務する整形外科医のグザビエ・ケルニザンは、地震発生後MSFが被災地に派遣した外科チームに加わり、グランダンス県ジェレミー市で医療援助を行っている。地震が起きた日から現地に到着するまで、そして援助を始めてからの様子をケルニザンが語った。
地震当日~現地入り
MSFのタバル病院から帰宅中に、揺れを感じました。最初はそれほど強い地震だとは思わなかったのですが、その後届いた被災地の写真や映像を見て状況を理解しました。もし現地で整形外科医が必要なら同行できると医療活動マネジャーに伝えたところ、午後2時に出発すると言われました。
全ての準備を整え、最初に向かったのは南県のレカイ市です。レカイ市に行くには首都ポルトープランス市のマルティッサン地区を通るのですが、この地域では武力衝突による治安の悪化が報告されていて、チーム全体に緊張が張り詰めていました。
レカイ市はひどいありさまで、衝撃を受けました。家屋は全壊し、道路にはがれきが散乱していて、2010年の大地震を思い出しました。道がふさがって通れず、迂回路を探すしかなかった場所もあり、この日はひとまずレカイで1泊することになりました。
翌朝、ジェレミー市を目指したのですが、途中、地滑りで道が寸断されていました。予測はしていたものの想像以上で、岩の間を車が通れるだけのスペースがあるかどうか、という状況でした。車を降り、道が岩でふさがれた様子を写真に収めていたところ、余震があり、石がいくつか落ちてきました。私たちはレカイに引き返し、結局ヘリコプターでジェレミーに向かいました。

被災地に到着~連日深夜まで続く患者対応
MSFが活動を始める際には、まず現地当局や地域の有力者と話をして、私たちがどのような団体で、何をしに来たのかを説明します。しかし今回は最初に誰に連絡を取り、誰と話せばいいのかが分からず、実際に活動ができるようになるまでに1日半かかりました。
MSFが支援したサン・アントワーヌ病院のスタッフの働きぶりは、人手も物資も少ない中、素晴らしいものでした。私たちが到着した時には、既に多くの患者さんの手当てが済んでいて、骨折を固定するための装具をつけていた患者さんや、空路でポルトープランスに移送された患者さんもいました。地元出身の医師たちは市外の勤務先から帰省し、診療を手伝っていました。
私たちは患者さんの手術を担当することになり、8月15日には4人、16日に9人、その後は1日平均10~12人ほどの手術を行いました。1人でも多くの患者さんに対応するため、ほぼ毎日深夜まで病院で勤務し、治療や手術に当たっています。
現在は、既に受診歴があり、感染症を防ぐための傷口の消毒、追加の手術、ギプスの装着などのために再来院する患者さんが大半です。その一方で、医療が届かないへき地から、救急ケアを受けにジェレミーまで来る人もいます。

© Steven Aristil

その他の地域におけるMSFの主な活動
■南県
MSFがリプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)を実施しているポルタピマンの病院が被災。出産のために来院していた患者をテントに避難させ、治療を続けている。
■ニップ県
8月15日にニップ県に到着したMSFのチームは、ミラゴアーヌ市の病院に寄付をしたうえ、MSFの外科医と看護師が医療支援に当たっている。水道設備に被害が出たプティトゥルーでは、給水車を手配した。