「川を越え、歩き続けた……」 人道危機下のエチオピアからスーダンへ4万人が避難

2020年12月04日
スーダンの国境通過地点で朝を迎えた女性と子ども  © Olivier Jobard/MYOP
スーダンの国境通過地点で朝を迎えた女性と子ども  © Olivier Jobard/MYOP

政府軍と地元の支配勢力との戦闘が起きたエチオピア北部のティグレ州。激化した紛争により、4万人以上が隣国スーダンに逃れた。国境なき医師団(MSF)は、避難してきた人びとへの緊急支援を開始。キャンプに到着した難民の声とともに、現地の状況を伝える。 

突然聞こえた戦闘の音

11月4日、エチオピア首相は基地への攻撃の報復として、ティグレ人民解放戦線(TPLF)への軍事攻撃を開始。多くの市民を巻き込んだ戦闘へと発展した。

「11月3日だったか、4日だったか……勤務先の店で突然、戦闘の音が聞こえました。ものすごい音でした。大勢亡くなっているのが目に入りました。その中にはお年寄りもいて、私の知り合いもたくさんいました。訳が分かりません。どうしてあんなことをするのか……。

いま、手元にはお金も食べ物もありません。私が持って来られたのもズボン2本だけです。戦闘を前に、電気も電話も銀行取引もすべて止められてしまいました。とにかく逃げるしかなかったんです」

30代半ばのエチオピア人青年は自身の体験をそう語った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が11月7日から25日までに登録した避難者数は4万2000人だが、未登録の人も多く、実数はもっと大きい可能性もある。多くの人びとは東部のカッサラ州ハムダイェトか南東部のゲダレフ州に逃れている。

国境近くのハムダイェトで活動するMSFチームは、両国を分かつ川を渡って来る人びとを目撃している。着の身着のまま急いで住まいから逃げ出し、何時間も何日も過酷な環境の中を歩き続けてスーダンにたどり着いたと、人びとは話す。
 

川を渡って対岸のスーダンを目指す 手にできる荷物はわずかだ © Jason Rizzo/MSF
川を渡って対岸のスーダンを目指す 手にできる荷物はわずかだ © Jason Rizzo/MSF

キャンプでの過酷な生活 求められる支援

スーダン入りした人びとの大部分はハムダイェトの国境沿いの一時滞在地に留まるが、仮設住居や食料、清潔な飲み水の確保は依然として大きな問題だ。仮設住居が割り当てられていない人びとは、道路わきや木陰で野宿せざるを得ない状況が続いている。一方、地元の家庭が難民を受け入れるなど、周辺の村落の住民にはエチオピアからの難民を支えようとする姿勢が見える。

MSFチームは11月16日に現地に入り、3日後に活動を開始した。増加する難民のニーズへの対応として、この国境地点では健康維持のための情報発信、心のケア、新たに到着した難民の栄養状態の検査に着手。水・衛生分野の活動も展開している。

また、診療所を設置して1日300件ほどの診療を行っている。呼吸器感染症、マラリア、下痢に関連する疾患が大部分で、性別およびジェンダーに基づく暴力(SGBV)を受けた人も一定数いるほか、結核などの慢性疾患の治療が必要な人も多い。エチオピアで暴力を目撃・体験したことや、スーダンへの避難経路の環境が原因の不安症や不眠症に苦しむ人もいる。

ハムダイェトにたどり着いた人は、国連による登録を経て、一部がバスで7~8時間かけてゲダレフ州のウム・ラクバ・キャンプへ移送される。エチオピアから逃れた人びとのための、現地唯一の公式なキャンプだ。想定の受入数は1万人だが、既に8000人余りが滞在。ウム・ラクバ・キャンプの衛生条件は極めて悪い。トイレが足らず、滞在者は屋外での排泄を余儀なくされている。MSFは11月19~23日にかけて、このキャンプで453件の診療を提供した。

エチオピア政府は州都メケレを制圧したと宣言したが、依然として緊張と混乱が続く。MSFは首都ハルツームで、今回の人道危機へのさらなる対応のため、医療物資の輸入と、増員するスタッフの緊急入国の円滑化について、当局と交渉を行っている。
 

ウム・ラクバ・キャンプ トイレの不足など、衛生状態が懸念される © MSF
ウム・ラクバ・キャンプ トイレの不足など、衛生状態が懸念される © MSF

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