なぜエボラ治療センターは襲撃されたのか コンゴの地域住民たちから学んだ感染症緊急対応の教訓

2020年04月08日
防護具を着てエボラ対応にあたるMSFスタッフ © Pablo Garrigos/MSF
防護具を着てエボラ対応にあたるMSFスタッフ © Pablo Garrigos/MSF

 エボラ出血熱の流行が続いたコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)。エボラ治療センターが武力攻撃を受けたことで、国際援助団体はエボラ対応のアプローチについて抜本的な見直しを迫られた──そう振り返るのは、国境なき医師団(MSF)の緊急対応コーディネーターを務めたトリッシュ・ニューポートだ。彼女に話を聞いた。

緊急対応コーディネーターを務めたトリッシュ・ニューポート © MSF
緊急対応コーディネーターを務めたトリッシュ・ニューポート © MSF

襲撃を受けたエボラ治療センター

襲撃されたコンゴのエボラ治療センターの1つ © MSF
襲撃されたコンゴのエボラ治療センターの1つ © MSF

「エボラ治療センターが襲撃されています!」という叫び声を電話越しに聞いたのは、2019年2月27日のことです。当時、私はスイスのジュネーブにいました。それまでコンゴでMSFのエボラ対応活動を統括していて、帰国したばかりでした。電話してきた相手は、コンゴ北東部の都市ブテンボのエボラ治療センター(ベッド数96床)に勤務しているスタッフです。ちょうど武装した集団が正門を強行突破して、発砲し始めたところでした。彼らは銃撃を終えると、続いて治療センターに火を放ちました。
 
 
襲撃を受けた時、センターの中には、50人余りの患者さんと60人のMSFスタッフがいましたが、全員逃げ出すことができて、しばらくは近くの建物や森に皆で隠れていました。本当に恐ろしい出来事でした。
 
MSFは、患者とスタッフの安全をもはや保障できなくなったため、襲撃の翌日には、ブテンボ一帯のスタッフ全員を一時避難させました。苦渋の決断でしたが、そうするほかありませんでした。 

住民の声に耳を傾けていたか

センターを視察するMSFインターナショナル会長(当時)ジョアンヌ・リュー© Alexander Wade/MSF
センターを視察するMSFインターナショナル会長(当時)ジョアンヌ・リュー© Alexander Wade/MSF

この襲撃事件を受け、私たちは、これまでのエボラ対応活動にいかなる問題点があったのか、検証する時間を設けました。
 
エボラ流行に対する人道援助活動が憎しみの対象となる理由について、現地のコンゴ人スタッフの1人が、次のように答えてくれました。
 
「夫はベニの大虐殺で殺されました。当時、私は、この殺りくから身を守ってくれる国際機関が現れるのを待っていました。しかし、結局どの国際機関も来てくれませんでした。3人の子どもはマラリアで死にました。これまでに、医療や飲み水を提供してくれる援助団体は1つもありませんでした。それが、エボラ問題になったとたん、ありとあらゆる団体がやって来ました。それは、エボラはお金になるからです。本当に私たちのことを気にかけているのなら、私たちが何を求めているのかを聞いたはずです。私たちが最も望んでいるのは身の安全であり、子どもたちをマラリアや下痢で死なせないこと。私にとって一番重要なのはエボラではありません。エボラはあなたたちにとっての優先事項なのです」
 
そこで、私たちは次のように決めました。今後は、地元住民の声を聞き、彼らが健康面で急を要する問題だと考えていることに対応していく。加えて、あらゆる活動は、地元住民の全面的な支持を得てから実行に移すと。
 
そこで、まず着手したのが井戸掘りでした。続いて、エボラに限定せず、命にかかわる様々な病気──例えば、下痢、マラリア、肺炎など──についても治療を受けられる環境をつくりました。エボラ治療センターを建てる際には、地元住民も設計・設立プロセスに関与できるようにしました。それまでのエボラ隔離施設といえば、テントを張っただけのものでしたが、新しい施設は、地元住民たちの希望に沿った設計にしました。あるものはスイスのコテージ風であったり、あるものは住民にとってなじみのある診療所に似たものであったり、といった具合です。
 
私たちは、地元住民の希望を尊重するようにしました。その結果、エボラ治療センターは自分たち自身のものだと地元住民が感じてくれるようになりました。人びとはエボラ患者の隔離措置を拒否しなくなり、体調不良を感じたらすぐにセンターに来るようになりました。こうして、対応地域内におけるエボラ症例数は大きく減少していったのです。
 
しかし、こうした取り組みは、目新しいことではありません。2014年から2015年にかけて、西アフリカで起きたエボラ流行に対して、MSFは大規模に活動してきました。そこで得た教訓の1つは、地域社会の参画こそが流行を早く食い止めるために不可欠だということです。身をもって学んだにも関わらず、MSFもほかの団体も、この点を忘れていたのです。 

政府の武装対応で広がる地域住民との距離

エボラに関する住民からの質問に答えるMSFスタッフ © Samuel Sieber/MS
エボラに関する住民からの質問に答えるMSFスタッフ © Samuel Sieber/MS

コンゴにおけるエボラ流行に対する活動はリポスト(Riposte)と呼ばれ、世界保健機関(WHO)の支援を受けてコンゴ政府が主導していました。MSFのようにエボラ対応に携わる国際援助団体はすべてリポストと連携していました。
 
2018年8月、コンゴでエボラの流行が始まると、MSFを含めて、どの団体もすぐさま緊急対応モードに入りました。「医療上の緊急事態においては素早い活動開始を」という古典的アプローチに基づいて、数百人のスタッフを現地に派遣し、短期間に活動体制を整えたのです。
 
しかし、この時、私たちは、感染地域の住民と話し合う時間も、彼らと信頼関係を築く時間も設けていませんでした。今回のエボラ流行が、近年紛争が絶えず、住民の大虐殺が何度も起きていた地域で起こっているという事実に十分に目を向けていませんでした。
 
コンゴでエボラ流行が始まると、エボラの人道援助体制に数百万ドルが投じられました。しかし、感染者数は増え続け、流行地域も広がり続けました。
 
その後、リポストは、地域社会と関わる機会を増やし始めます。しかし、一方で、武装警護を用いたり、患者の強制隔離や死者の強制埋葬を行ったり、武装兵士を医療機関に配備したりといった、地域住民との間の距離を広げる行動も続けていました。
 
こうしたやり方は、流行を食い止めることを難しくしたばかりか、人びとが通常の診察を受けに行くのもためらう事態を招きました。診療所に行ったらエボラだと疑われるのではないかという警戒心や、武装した人が医療機関にいることへの恐怖心があったからです。このようなリポストのアプローチのために、エボラ以外の病気で苦しみながら必要な医療を受けられなかった人がどれだけ多くいたか、知るすべもありません。  

エボラ終息は国際的な対応の成果か

健康教育スタッフによるエボラについての周知活動。住民との信頼醸成に努める© Pablo Garrigos/MSF
健康教育スタッフによるエボラについての周知活動。住民との信頼醸成に努める© Pablo Garrigos/MSF

 そうした問題を残しつつも、エボラの症例数はついに減少に向かい、近いうちに流行終息に向かう期待が出てきました。
 
流行終息を単純に喜んでいいのか。今回の成果を成功とみなしていいのか。正直なところ、私には確信が持てません。リポストと連携して活動してきた諸団体は、自分たちがうまく活動したから流行終息に至ったのだと自画自賛するかもしれません。実態としては、そうでないにも関わらず。そこが懸念すべき点です。
 
今後また流行が起きた場合に、同じような対応が取られる先例になりかねないからです。強制力を使ったり、武装警護を付けたり、武装兵士を医療機関に配備したりするようなやり方がスタンダードになってしまってはいけません。人びとに敬意を払い、地元住民が自らの健康に関する意思決定に参画することを、なおざりにしてはならないのです。
 
私は2月の電話を絶対に忘れません。家族同然のスタッフが銃火を浴びていると聞くのは、耐えがたい恐怖です。そして、あの日ブテンボからチームを退避させたのも苦渋の決断でした。私たちを必要としている人びとを残していったのですから。
 
一方で、襲撃のあとに起きた力強い変化も、ずっと私の記憶に残るでしょう。やっと地元住民たちとの関係を築き、住民がエボラ流行を食い止める活動に参画するようになった時のことです。次の流行が起きたら、今回得られた教訓が必ず活かされるように、そう願っています。 

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