誰もが負担なく適切な医療を受けられるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ──何が普及を妨げるのか
2023年09月20日
日本で国民皆保険に守られている環境からは想像しにくいが 、国境なき医師団(MSF)が活動する国々では、医療費の負担が家計を破綻させるほど大きく、命にかかわる治療や診断を諦めざるを得ない人びとや、手遅れになってから運び込まれてくる患者が後を絶たない。
保健医療へのアクセスから誰も取り残さないという、UHCの達成目標は果たして世界で実現するのか。MSFで保健政策に関する顧問を務めるミット・フィリップス医師に、その見通しを聞いた。
- QUHC目標に向けた進捗状況をどのように評価していますか?
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必要不可欠な医療にアクセスできるかどうかは、その人がどこに住んでいるか、その人が誰なのか、その人が何を必要としているのかによって、大きく異なります。例えば、医療設備の環境に恵まれた都市に住む住民と、そうした環境が貧弱な地域の住民を比較すれば分かるでしょう。命にかかわる手術や産前ケアが必要なとき、HIVやマラリアの治療薬を必要とするとき、糖尿病の治療薬を買わなければならなくなったとき、両者が実際に経験することはまるで別物です。
その意味で、保健医療の現状は全ての人がカバーされる、「ユニバーサル」というには程遠いものです。私たちMSFは、医療にアクセスできなかったために起きた悲劇を毎日のように目にしています。
例えば、必要な医療を受けるための費用を捻出できない人びと。人道的危機の渦中にある人びと、移民や難民など、社会的な疎外・排除・差別の対象となっている人びと。みな、医療にアクセスする上で最も深刻な壁に直面しています。
現在、UHCのアジェンダを見ても、各国のUHCプランを見ても、そうした弱い立場にある人びとに焦点を当てた記述がほとんどありません。長期的な展望や制度改革などに力を入れる一方で、医療を必要とする人びとのために直接何をすべきかという点が抜けているのです。UHCは、最も弱い立場にある人びとを支援するための方策にもっとフォーカスすべきです。机上の論理が実を結ぶのを気長に待っている余裕などないのです。

近所で抗争が起きて、ギャングたちが道をふさいでいたので、病院に行けなかったんです。傷の手当をしてほしくて、看護師にコンタクトをとったんですが、費用が高くて……私に支払える金額ではありませんでした
ハイチの首都ポルトープランスの患者
- Qユニバーサル・ヘルス・カバレッジでは、人びとが医療を受けるために経済的な困難を強いられるべきではないとされています。その点は改善されているのでしょうか?
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2000年の時点と比べると、現在は、治療費や薬代の支払いが原因で貧困に陥るリスクを抱える人びとが増えています。貧困層や社会的弱者はいわゆる「壊滅的な医療支出」の状態に陥りやすくなっているのです。
医療を受けるために、家財を売ったり、借金したり、食費や教育費を削ったりするしかない人びとがいます。それすらできない人びとは、医療を受けること自体を断念するしかない。病や死を選ぶか、家計の破綻を選ぶか、という選択を迫られているケースがあまりに多いのです。
MSFは、医療の分野で利用者負担の影響が増大している点をこれまでも指摘してきました。医療費を事前に支払わないと医療が受けられない。支払いが免除される条件もかなり厳しい。それなのに、UHCのアジェンダには、必要な人に無償で医療を届けるための具体的な策がいまだに欠けています。

一番近い病院まで、歩いて5時間かかります。このあたりでは、子どもを病院に連れて行くのも、よほど重い病気になったときだけです。病院まで遠すぎて、たどり着くのも難しい人たちがとても多いんです
南スーダンのランキエンに住む患者の祖母
これでは、最低限必要な医療の無償化を進めようにも、そうした戦略そのものが不可能となる。人員もない。医薬品もない。そのような国々で、どうやって人びとにUHCを提供していけるでしょう?
子どもが病気になったので、公立の診療所に行きましたが、必要な薬を全部は出してもらえませんでした。大きな病院がある街まで行く交通費を払うのは難しくて、こんどは民間の診療所に行ったんです。そうしたら、子どもの具合はさらに悪くなって、多額の借金が残っただけでした
アフガニスタン・ヘラート州に住む患者の母親
- QUHCは持続可能な開発目標(SDGs)の柱となっています。「誰一人取り残さない」というSDGsの約束の通りに進んでいるのでしょうか?
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多くの国々でUHC計画が策定されていますが、その中身を見ると、移民、難民、難民申請者、非居住者、社会から疎外された人びとのニーズが反映されていない。そればかりか、そうした人びとを社会保護の枠組みから意図的に排除していることが多いのです。
例えば、南アフリカのいくつかの州では、移民の女性や子どもたちが、命にかかわる医療を受けようとした際に必要書類を求められ、書類をもっていないと自己負担の支払いを強いられたという事例が報告されています。ベルギーでは、難民申請中の人びとは命にかかわるC型肝炎の治療を迅速に受けることができません。さらに、ほとんどのヨーロッパ諸国では、難民申請者たちに予防接種が実施されていない。それゆえ、本来ならワクチンで予防できるはずの病気が、難民申請者たちの間で流行する事態に陥っています。

一方、最前線で活動する人員を増やし、彼らをサポートし続ける体制にも困難が生じている。どこの国でも、官僚主義というハードルが、医療品の迅速な供給を妨げています。また、世界各国のUHC計画においては危機や緊急事態が起きた際に、十分な医療アクセスを確保するために、いかなる対応をとるか、この点について個別の章を設けることをMSFは提言します。