海外派遣スタッフ体験談
適度のストレスは人生のスパイス
菅村洋治
- ポジション
- 外科医
- 派遣国
- コンゴ民主共和国
- 活動地域
- ルチュル
- 派遣期間
- 2008年6月~2008年6月

- QなぜMSFの海外派遣に参加したのですか?
-
菅村洋治外科医(左から2人目)
3〜4年前に日本政府の海外技術援助プロジェクトの一環として、ケニアのリフトバレー州立病院で外科指導医として1年間働き、諸々の経験と感動を得ました。その時から、機会があればまた開発途上国で医療協力をしたいと考えていました。2007年1月に65才の定年を迎え、若いときからの夢、国際医療協力実現への好機到来と考えました。 私はMSFの精神、「誰からも干渉や制限を受けることなく、助けを必要としている人々とのもとへ向かい、人種や政治、宗教に関わらず分けへだてなく援助をする。」などに賛同し、海外派遣に参加しました。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
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大学を卒業した後、40年間一貫して胸部外科、腹部外科、救急医療を中心に研鑽してきました。その間に、幸運にも2度にわたり海外医療援助の機会を与えられました。最初は上述したケニアの州立病院です。そのときは、外科は勿論、整形外科、婦人科,泌尿器科など、他科の手術もたくさん経験できました。また1985年には国際緊急援助隊(JMTDR)のメンバーとして、エチオピア・メケレ州の難民キャンプで40日間、飢餓や感染症の治療を経験しました。この2度の経験が、その後MSFの派遣に3度参加するにあたって、仕事面での大きな支えになりました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
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コンゴ民主共和国(DRC)の北キブ州にあるルチュル病院で、主に戦傷外傷治療と産科治療(帝王切開)に従事しました。コンゴ人外科医と私の2人で、現地の麻酔医師2人と協力して2チームを作り、1日おきに当直をしました。幸い、私の赴任中は紛争は散発的でしたが、帝王切開が多く、眠れない日々が続きました。ちなみに、2週間で私が執刀した手術は64例で、その内の23例が帝王切開でした。母子とも合併症なく経過し、安堵しました。その他は整形外科9例、開腹術4例、その他9例でした。
- Q週末や休暇はどのように過ごしましたか?
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短期間の派遣だったので、休暇はありません。当直明けの日は午前中のみ宿舎で休憩し、昼からはまた手術でした。非番である日曜日の午後にはスタッフそろってインターネットカフェに行きました。治安上の理由から外出は制限されていたので、読書や音楽、昼寝をしてストレス解消に努めました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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熱帯性気候で快適とはいえませんが、住居環境は概ね清潔、満足でした。団体行動が基本でしたが、個室は確保されていました。部屋にクーラーや扇風機はなく、マラリアを予防するために蚊帳に入って寝ました。食事,洗濯の心配は不要でした。特に食事は味も良く、野菜もあり楽しみでした。シャワーはなく、中庭で沸かしているお湯をバケツにとり分けて、共同風呂場で何とか汗を流していました。安全面に配慮して24時間ガードマンとドライバーが常駐しており、概ね満足の行く状態でした。
- Q良かったこと・辛かったこと
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病院の中庭の様子。
アボカドの木陰で夜を徹して診察を待つ患者と家族良かったこと:
外科医としての今までの経験と持てる力を発揮でき、DRC国内の救急医療に微力ながら貢献出来たと思います。特に帝王切開で23の新しい生命の誕生に立ち会い、喜びと感動と感謝をも戴き、忘れられない経験をさせてもらいました。
辛かったこと:
DRCはフランス語圏のため言葉の壁が大きく、意思疎通が十分とれなかったため、時にはストレスでしたが、昔ケニアで習い覚えた片言のスワヒリ語が現地の人びととのコミュニケーションに大変有用だったのは、嬉しい驚きでした。(病院内では英語、フランス語、スワヒリ語が堪能な通訳をつけてもらったため、仕事には支障はありませんでした。)
1日おきの当直で睡眠不足が続いたために体調不良となり、派遣期間を短縮せざるを得なかったのは、はなはだ残念でした。交替要員の確保など、MSFの素早い対応には感謝しています。
- Q派遣期間を終えて帰国後は?
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非常勤病院勤務にもどり、次の派遣を楽しみに、しばらく心身の充電をしたいと思います。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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知識・技術・語学の習得に加えて「感性」を磨き、異文化の人びとと仲良くなり、心を通わせてください。「適度のストレスは人生のスパイス」です。海外への派遣経験は、必ずあなたの人生を豊かにしてくれます。