海外派遣スタッフ体験談

「世界で一番新しい国」でプロジェクトを遠隔サポート

的場 紅実

ポジション
薬剤師
派遣国
南スーダン
活動地域
ジュバ
派遣期間
2017年1月~2017年8月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

南スーダンへは2013年12月に初回派遣で行く予定でしたが、政治暴動が勃発したため行けませんでした。そのため南スーダンには因縁を感じ、派遣を希望しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回派遣の帰国から今回の出発まで1ヵ月ありませんでした。お正月を家族でしっかり過ごし、母と小旅行するなど、自分の中の"貯金"的時間を大切に過ごしました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

今回は首都ジュバのコーディネーション・チームでの勤務で、複数の活動地の薬剤師や病院薬局を遠隔からサポート、統括する立場でした。過去4回の派遣経験は全て役に立ったように思います。徐々に後輩の外国人派遣スタッフを指導する機会も増えてきたので、自信を付けさせながら経験を積んでもらうことに心を配りました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
薬局内での研修風景 薬局内での研修風景

南スーダンは、2011年にスーダンから独立した世界で一番新しい国です。2013年12月に政治的民族的相違を理由に内戦が始まり、大勢の人びとが国外へ逃れました。以降、数々の停戦同意もむなしい結果に終わっています。2016年7月に首都ジュバで起きた独立記念日の銃撃戦を契機に、大規模な殺傷が全国に拡大しました。

私が派遣されたチームはアゴクとマヨムで病院と診療所を運営しています。アゴクには、外科医2人、麻酔科医1人、医師5人をほぼ常時擁する160床の2次病院があります。10年以上にわたって稼動し、MSFが提供可能な医療サービスを網羅した大病院です。アゴク病院のある地域は「ボックス」と呼ばれ、油田に関する利権が交錯して明確な国境が未だに画定していない土地です。ディンカ族が多く住んでいます。

マヨムにある診療所は、遊牧民族や国内避難民を含む住民数万人を対象人口とする、地域唯一の医療施設です。民族同士の争いも、身近にある銃や矢で襲われた患者さんも運び込まれます。マヨムは主にヌエルという民族が住み、習慣や文化も独特のものがあります。

薬剤責任者としての私の仕事は、医薬品の質・量の確保(発注・輸入から地方への定期配送まで)、活動地の薬局支援、中央倉庫の管理などです。直接話し合ったり現場を見たりしないと分からないことも多く、コーディネーション・チームのある首都ジュバと病院のあるアゴク、マヨムを数週間ごとに移動しながら仕事をしました。

症例は、マラリア、リーシュマニア、犬咬傷(狂犬病予防)、蛇咬傷、結核、HIV/エイズ、ブルセローシス、吸虫といった熱帯感染症や、槍傷、銃傷など多種多様でした。

南スーダンは1年を通して気温が高く、舗装道路が非常に少ないために雨期にはアクセス困難になる地域がほとんどです。活動地の薬局には、十分なスペースや薬剤保管に適した施設がないため、薬剤の需要に応じて首都から配送せざるを得ず、現場の医師や薬剤師と日々連携を取りながら、いかに活動地の診療に支障を来さず病院をサポートするかに腐心しました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

ジュバでは、午前中は薬局のある大倉庫でサプライ・チームと、午後はオフィスに戻って医療チームの上司と一緒に仕事をしました。基本的に土曜日も夕方まで仕事をし、日曜日はなるべくしっかり休むよう心がけました。週末にはMSFの他のチームのパーティーに参加したりして、よく踊りました(笑)。
私は週1でヨガセッションを実行していました。ヨガは初めてという仲間や他のチームのスタッフも多く参加してくれて自分にとっても大切な時間でした。また、仲間と早朝にジョギングもしていました。

Q現地での住居環境について教えてください。
アゴクの夕日 アゴクの夕日

首都ジュバでの滞在先は以前ホテルだった建物を借り受けた住居兼事務所で、非常に恵まれた環境でした。その代わり、安全対策のため、自由に動き回れることができる範囲は狭かったです。

活動地のチームは、一人一人トゥクル(アフリカ造りの小さな部屋)をあてがわれ、トイレ、シャワーは共同です。乾期はとにかく暑く、体重が激減する人が多かったです。活動地にはモノが何もない代わり、かなり自由に地域内を動くことができます。日没、日の出は素晴らしいです。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
半年ぶりにWFPが食料配給を行ったときの様子 半年ぶりにWFPが食料配給を行ったときの様子

首都ジュバには、公共の電気も水も通っていませんでした。産油国であるにも関わらず(その事実が紛争の原因でもある)、精製施設がないために国内のガソリンは不足、価格は高騰し、数少ないガソリンスタンドには毎朝長蛇の列ができていました。ガソリンがないため公共の交通機関は動かず、人びとは出勤時間に遅れます。水道施設もないため配水車が各地域を回り、タンクを下げて水を汲みに行かなくてはなりません。

現地スタッフの多くは、家族をウガンダ、ケニア、エジプトといった近隣国に住まわせていました。暴力が比較的少なく、教育の機会があり、経済的にもより安定しているからです。家族が隣国の難民キャンプで暮らしている人もいました。

働きながら勉強を続けるにしても、国内には教育の機関・機会がほぼなく、少しでも余力がある人は海外へ逃れています。尊敬する現地スタッフも、MSFのアゴク病院に10年近く勤務していますが、色々考えた結果家族をエジプトに移すことにしたと言っていました。南スーダンには仕事がある限り彼1人が残り、仕送りをしながら海外にいる妻子を養い、妻子は異国で生活を受け入れていくことになります。

本来は資源豊かな、自然豊かな国であるはずなのに、資源争い、利権争い、民族争いのために、国民が土地に留まることができず作物が育てられず、凶作に近い食糧不足に陥っています。

幸い、私の任期中には治安が悪化することはなく、国民が大規模な暴力・紛争に巻き込まれることはなく、チームも安定した医療活動を続けることができました。しかし、状況はいつでも変化し得るという緊張感が途切れることはありませんでした。

「この国は国としてこれからどうなるのだろう……」という私の問いに対し、「それでも数年前に比べると少しずつ、ゆっくりと良くなっている」と南スーダンを独立前から見守っている人たちは言います。この状況で良くなっているというのは信じがたい思いもしますが、本当にそうなら、それは希望だと思います。この国の人たちの忍耐強さ、人間としての強さを信じ、今後も南スーダンを見守りたいと思います。

Q今後の展望は?

少し休んで考えます。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

全ての経験が役に立ちます。焦らずにご自身のタイミングが合う時に参加してみてください。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2014年9月~2015年3月
  • 派遣国:ウガンダ
  • 活動地域:アジュマニ
  • ポジション:薬剤師

活動ニュースを選ぶ