海外派遣スタッフ体験談

内戦のシリアで医薬品供給をサポート

室町 知隆

ポジション
薬剤師
派遣国
シリア
活動地域
派遣期間
2013年8月~2013年10月

QMSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

今までの国内、海外での経験から国際的な医療援助に興味がわき、MSFではより専門的に医療に携わることができると感じたからです。

2013年7月末に急に今回の派遣のオファーがありました。シリアで起こっている内戦のこと、そこでのMSFの活動のことは知っていました。大変な活動になるだろうと予想はしましたが、シリアの人びとを助けられる何か大きなインパクトを残せたらと思い、2~3日後に出発のところを、準備のため1週間だけ延ばしてもらい参加を決めました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

派遣が決まるまでは、仕事をしつつ、旅行などに行ったりしてリラックスして過ごしていました。

急な派遣決定だったので、出発までの間、時間がなかったのですが、日々変わるシリアの状況をできるだけ把握しておこうといろいろなニュース、資料に目を通していました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

過去にも立ち上げてまもなくのプログラムに参加し、薬局業務のソフト面、ハード面の設定、在庫管理、現地スタッフの雇用プロセス、スタッフのトレーニング、医薬品の寄付という業務なども経験していたため、今回、新規に立ち上げるプログラムにおいて、それらの点に関してはスムーズなスタートを切れ、問題なく進めることができました。

また、すぐそばにもうひとつMSFの別のプログラムがあり、そのプログラムでの医薬品の在庫管理も手伝っていました。複数のプログラムの管理をすることも過去の経験が役に立ちました。

内戦という状況での厳しいセキュリティ・ルールの下での業務だったため、もともと計画していたよりもプログラム進行に遅れが出てしまいましたが、MSFの活動では想定外のこともよく起こるため、柔軟に対応できました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

今回は、新規に発足した「サポート・プロジェクト」と呼ばれる活動でした。主に医薬品、医療資材を、MSFが直接介入できない地域の医療施設に寄付として送るプログラムです。

多くの医療施設は内戦のため破壊され機能不全となり、医療物資の供給も断たれ、医療スタッフも十分にいない状況でしたが、そんな中でもまだ、供給があれば機能できる施設に連絡を取り、彼らに何が必要かを検討し、MSFの医薬品を倉庫に保管し、必要に応じて梱包し、送っていました。

当時、必要とされた医薬品、医療資材は、一般的な急性、慢性疾患に対する医薬品のほか、外科、整形外科などの専門領域で使用される手術用具キット、麻酔装置やモニターなどの機器類、手術用ベッド、ドレッシング材、滅菌ドレープやガウンなど、ありとあらゆるものでした。

シリア国内で医療物資の供給が断たれただけではなく、内戦による多数の外傷患者、インフラ機能不全、避難生活による衛生環境悪化のため基礎疾患の悪化、体調不良が増え、需要が増加していたためでもあります。

海外派遣スタッフは、活動責任者、ロジスティシャンと薬剤師である自分の3人で、現地スタッフは薬局アシスタント、ロジスティック・アシスタント、通訳、ドライバー、警備員など合わせて十数人の小さなチームでした。新しいチームでしたが、小さい分、皆がよくまとまって働けました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

朝、治安に関する情報共有後、医薬品倉庫に向かいます。事務所から離れる際は、移動前と到着時、1時間ごとに活動責任者に電話で報告をしていました。

このプログラムをスタートさせるために新しく借りた倉庫だったので、倉庫の改築、配置を考えながら棚などを設置することからはじまり、配達された貨物のチェックと整理、そして医薬品の寄付リクエストに応じた梱包、緊急の寄付リクエストの対応などを行っていました。そして必ず、日没前には事務所に戻ります。

国外からMSFの医薬品の配送がある時には、トラック十数台の手配、各スタッフの役割分担などを前日から打ち合わせをし、配送当日は、貨物すべてをトラック十数台で薬品倉庫に運び、荷を降ろします。

貨物を損傷することなく、受け取った貨物を効率よくチェックし倉庫内を整理することができるように、スタッフの動きにはとても注意して指示を出していました。

勤務時間外や休日(イスラム教国のため金曜日休み)はほかのスタッフと話をしたり、本を読んだりするなどして過ごしていました。敬虔(けいけん)なイスラム教徒の彼らは、仏教や神道などに興味があったようです。

治安上の理由から仕事以外での外出は禁止のため、常に事務所の敷地内にいました。新規プログラムだったため、また薬剤師のいないほかのプログラムをサポートすることもあり、夜や休日も報告書やデータ整理などに時間を費やしていることが多かったです。

Q現地での住居環境についておしえてください。

最初は1軒家の半分を間借りして事務所兼宿舎として利用し、ほかのプログラムのスタッフたちと住んでいました。

リビングを事務所として使用し、3つある部屋はそれぞれ男性用、女性用、現地スタッフ用ベッドルームとして使いました。1部屋3人まで寝ることができる広さで、部屋に人が入りきらない場合は、廊下やバルコニーにマットレスを敷いたり、事務所のソファで寝たりしていました。

電気は公共の電気が使えることもありましたが、停電のときはジェネレーターで発電をしていました。水は井戸からポンプでくみ上げたものでした。

途中から1軒すべてを借りられるようになり、ベッドルーム1部屋に2人と、スペースに比較的余裕ができました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

仕事上では、安全確保のため急な移動の禁止などがあり、予定していた活動が急にキャンセルになってしまうこともあり苦労しました。

化学兵器の件が起きた頃は、現地スタッフのなかに悲しみや怒りなどの感情がありましたが、普段は明るく気さくな人たちでした。

大けがを負って病院へ運ばれてきた人、難民となってキャンプ生活を余儀なくされている人をたくさん目のあたりにしましたが、内戦がなければ今も彼らは穏やかに暮らしていたことでしょう。内戦で一番大きな被害を受けているのは、今まで穏やかに暮らしてきた一般市民でした。

町を車で通りすぎる時にも、道端でおじさんたちから「一緒にチャイ(お茶)をしよう」とよく誘われたりしました。銃撃戦が起こるかもしれないという緊迫した雰囲気の時もありましたが、一方で、一般市民のいたって穏やかな生活を垣間見ました。車を降りて一緒にチャイを楽しむことは、残念ながらセキュリティ・ルール上、できませんでした。

砲撃で近くの村に着弾し、多くのけが人が町の病院に運ばれてきた時に、緊急で薬を寄付して欲しいと電話がありました。その時点では、はっきりとした患者数が分からず、おおよそを見積もって十分量を送りました。数日後、その病院の医師たちがMSFの事務所を訪れ、寄付した薬のおかげで患者を治療することができた、ありがとう、とお礼を言いに来てくれました。

また、前線の近くにある医療施設に医薬品、医療機器などを送ったときは、後ほどメールに添付された動画で、トレーラーの貨物部分を改造して移動式手術室を組み立てた、という報告を受けました。寄付が役に立っていることが直接実感できただけではなく、シリア人医療スタッフの責任感と誇りの高さに感動しました。

Q今後の展望は?

次の派遣に備えてゆっくり休憩します。
いつか平和になったシリアで、道端のおじさんたちとチャイを飲みたいです。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

派遣中は、スタッフとの文化、宗教、生活習慣、言葉の壁などから治安に至るまで、さまざまな困難が日常生活の中にありますが、それらを理解し、気持ちに余裕を持って活動を進めていくことが大切です。

そうすれば、自分や、周りにもいい雰囲気が生まれ、素晴らしい出来事、出会いなどもたくさん経験し、充実した活動期間を過ごせるでしょう。少しでもMSFの活動に興味があったら参加してみることです。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2012年11月~2013年5月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • プログラム地域:2012年11月~2013年5月
  • ポジション:薬剤師
  • 派遣期間:2012年1月~2012年9月
  • 派遣国:パプアニューギニア
  • プログラム地域:ブーゲンビル島ブイン
  • ポジション:薬剤師

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