海外派遣スタッフ体験談
異なる環境で自分への新しい挑戦に
堀 正貴
- ポジション
- ロジスティシャン
- 派遣国
- エチオピア
- 活動地域
- アロレッサ
- 派遣期間
- 2014年5月~2014年8月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
-
以前、民間企業に勤め、アルジェリアで高速道路建設の仕事で働いていた時にMSFが医療人道援助活動のNGOとしてアフリカに来ているのを知って、機会があれば体験してみたいと思っていました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?
-
英語でプレゼンする練習と、毎日10㎞走り体力をつけるよう努めました。
- Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
-
海外で輸出入の仕事をしていたので、英語やフランス語での仕事環境には慣れていましたが、アルジェリア以外はアフリカでの経験はありませんでした。
異なる文化での仕事環境、日本の常識が通じない体験には慣れていました。現地の人と同じ理解で仕事ができるように、時間をかけて説明し、到達点を確認して出発すること、毎日何度も再度確認すること、指示もなるべく文書にして打ち合わせを繰り返すこと。ロジスティックの仕事は目的がハッキリしているので、困難ではあっても達成感のある仕事ができました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
-
母子を対象にしたプログラムを展開
海外派遣スタッフは、医療スタッフ、アドミニストレーター、ロジスティシャンの7~8人の構成で、アロレッサ村を中心に、5歳未満新生児の死亡率低下、栄養不良の改善、妊婦の健全な出産の3本を目的としたプログラムでした。
自分と1~2人の医療スタッフが、アロレッサから40㎞離れたチレ村に滞在し、チレ村でMSFがサポートする診療所(危険な状態の妊婦の受け入れ、産後ケア、5歳未満の子どもの栄養治療)の運営援助を行っていました。
ここでのロジスティシャンの業務は、公共の電気や水道の確保が保障されないので、必要水量の確保、発電機による緊急時・夜間の電気の確保、燃料供給、救急患者の搬送、酸素ボンベやガスボンベの手配、医療機器の部品管理と発注、修理など、医療行為以外の業務全般にわたりました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
-
部屋は1人部屋で、電気は朝8時から夜10時30分まで発電機による供給、食事は近所に住んでいた現地の女性が作ってくれました。
「インジェラ」という現地のクレープ状の発酵パンと、「チロ」という芋のスープが主食です。メニューはほとんどそれだけで、時々、鶏をつぶし、週1回ぐらいは肉も出ました。ただ、10人以上いるのに5人食べると残ってないくらい、なぜかいつも量が少なかったのは困りました。もっと作ってくれるようお願いすると卵焼きを作ってくれましたが…。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
-
海外派遣スタッフの同僚とともに(筆者右から2番目)
門や壁の修理、配管や蛇口の水漏れ、電気漏電、ブレーカーの破損など、さまざまな仕事がありましたが、電気部品は破損が多く、交換部品もなく、工夫するしかない状況でした。
建築関係では、「図面なし、工具なし、建材・部品も質素」という状態で、結果、自分で考案するしかありません。みんなで考案しながら、エチオピアの状況に合わせて作成しました。
何ができたか?よりも、考案すること、たとえば、釘がないのでその代用品から考える、という発想が新鮮でした。仕事に対する取り組みが、自分の経験のない所から始めなければならないので、自分なりに成長したと思います。
ネガティブに考えてしまうと「やってられない」と思うような環境ですが、自分への新しい挑戦と考えると、よい経験でした。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
-
誰かに聞く前に自分で出来る限り考え、回答できる人は少ないと思います。1人の人間が出来ることは限られているから、自分は、自身がどこまで成長できるかを目指しました。他人の評価は、それとは別物だと思います。
国文化が違うし、極端な環境で想像できない対応が仲間内から出るときもあります。飲み込まれない自分のスタンスが必要だと思います。