海外派遣スタッフ体験談

緊急対応ユニットでプロジェクトの裏方を担う

中山 恵美子

ポジション
救急医
派遣国
シエラレオネ
活動地域
フリータウン
派遣期間
2015年10月~2016年1月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

MSFで2回目となった前回の派遣終了後も、MSFの海外派遣には定期的に参加したいと考えていました。MSFでの活動にはいつも大きなチャレンジがありますが、還元できる事も多く、医療を必要としている場所に自ら出向いていきたいという想いがあります。現在勤務中の病院と相談し、年に3ヵ月、MSFで活動ができるようにしていただいています。時期については勤務状況を見ながら上司と相談しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

普段通り通常勤務をしながら、3ヵ月病院をあけても大丈夫なよう、少しずつ引き継ぎをしました。今回は特に準備はしませんでした。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

今回の活動内容は、過去2回の派遣とはまったく異なる領域でした。過去の活動は「現場で医療」という感じでしたが、今回はそれを可能にするための「保健と公衆衛生」のための交渉が主で、現地保健省や世界保健機関(WHO)に働きかける事が仕事でした。

現場での経験があるからこそ、プロジェクトの運営側の業務の大切さを理解して働くことができたと思います。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
ミーティングで集まったチームとともに ミーティングで集まったチームとともに

今回の派遣はシエラレオネ全域をカバーする「ERU」の立ち上げのための派遣でした。ERUとは、緊急対応ユニット(Emergency Response Unit)の略で、感染症のアウトブレイクや災害などの医療的危機が発生した場合にすぐに調査・対応をするチームのことです

現地政府の了承無しには動けないので、それぞれの地域の保健省とコネクションをつくり、今後の感染症アウトブレイクや自然災害等の時にすぐに調査・対応が可能な実働的なチームの基盤づくりを行いました。

また、その活動の一部として、エボラ出血熱で崩壊した公衆衛生・保健システムの再構築やワクチンキャンペーンなども行いました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

実際に患者を診察するのではなく、どちらかというと運営に関する交渉や政策設定をする業務だったので、週末はほぼ休みのことが多く、夜間に呼び出されるような事もありませんでした。決まったスケジュールというよりは必要に応じて、ミーティングや地域の保健センターに行ったりしました。

Q現地での住居環境についておしえてください。

2015年11月7日にシエラレオネでエボラの終息宣言が出されるまでは、スタッフ同士、ノー・タッチ(一切触れない)ルールがまだ運用されており、個室を割り当てられていました。特に不自由することはありませんでした。

終息宣言以降はこのルールも解除され、夜間の1人歩き以外は特に禁止事項はなく、MSFのほかのプロジェクトと比較したら、とても安全で過ごしやすい環境でした。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

今回の派遣では臨床はまったくと言っていいほど行っていないのですが、行政とのやりとりなど、普段、医療を行うために裏方で行われている数々の交渉があることやその難しさを実感することができました。

また、それらを推し進めるための話術やプレゼンテーション能力も学ぶことができました。

Q今後の展望は?

引き続き、日本での勤務を継続しながら年に3ヵ月程度、活動に参加したいと思います。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

すべての経験を総動員して立ち向かうのがMSFです。どんな経験も、現場に来ると「やっておいてよかった、知っていてよかった」と実感すると思います。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2014年12月~2015年2月
  • 派遣国:シエラレオネ
  • 活動地域:ボー
  • ポジション:医師/救急医
  • 派遣期間:2013年10月~2014年5月
  • 派遣国:アフガニスタン
  • 活動地域:クンドゥーズ
  • ポジション:救急医

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