海外派遣スタッフ体験談

医療を必要とする人びとに医師として貢献したい

中山 恵美子

ポジション
救急医
派遣国
アフガニスタン
活動地域
クンドゥーズ
派遣期間
2013年10月~2014年5月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

日本で救急医として働き始めてから、いろいろなバックグラウンドをもつ患者さん、ご家族と接することがありました。日本(先進国)ならではのやりがいを感じる救命もあれば、限界を感じる葛藤もありました。

日本での医療活動は充実していましたが、その中で、この恵まれた環境は戦後日本の人びとがその子どもたちのために血と汗を流して作り出してくれた、先人たちの想いの結果なのだと深く感謝するようになりました。

それと同時に、今の自分がその恩恵にあずかる事ができるのは、無条件にただこの国に生まれたから、という事実に対して、違和感に似たやるせなさを感じるようにもなりました。

昔の日本の人びとが私たちのために努力してきてくれたように、今、より平和な未来のために必死に困難に立ち向かっている人びとに対して、自分も何か応援することはできないだろうか。医師という職業を活かして、それが必要とされている人びとに貢献できればと思い、海外派遣に参加しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

初期研修を終え、救命救急科後期研修の2年目にMSFへの参加を考えるようになりました。まずは3年間の後期研修を終え、主に外傷や災害を学びながら救命救急専門医の認定を取りました。その後は、自分に不足していると思われた産婦人科と小児科の経験を経て(産科救急で9ヵ月、小児救急で1年3ヵ月)、医師8年目の夏にMSFに登録しました。

英語に関しては、日常会話レベルでは特に不便はなかったので、追加で勉強することはしませんでした。登録から派遣までは家具を減らし、トランクルームに荷物を入れて身軽になった状態でマンスリー・マンションに住みながら通常通り仕事を続けました。

Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか??
海外派遣スタッフの同僚と 海外派遣スタッフの同僚と

今までの仕事上の経歴の中でも、特に派遣前に経験していて良かった、活きたなぁと思うのは小児救急の経験と、若手医師や看護師の指導と指導計画の経験です。

ほかには、生活環境はいわば多国籍チームでの合宿のような感覚でしたが、その中で自分なりに居心地のよいあり方を知っていることはプラスになると思いました。

日本人は静か、とよく言われるようですが、別にたくさん話す必要もないので重荷に感じる必要はありません。とにかく自分に無理なくリラックスできる空間を作り出す能力、経験は役に立ちます。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
クンドゥーズの外傷センターで勤務 クンドゥーズの外傷センターで勤務

アフガニスタン北部のクンドゥーズ州にある、MSFが単独で運営している外傷センターのER(救急初療室)とICU(集中治療室)の医師として、6ヵ月の派遣でした。

病院は約68床(ICU4床を含む。2014年5月現在92床まで拡大中)、ER受診者数は1日60~100人、現地スタッフは約400人と、MSFの中でもかなり大きなプログラムでした。海外からの派遣スタッフは20人おり、理学療法士や臨床心理士もいました。

症例は、外傷センターということもあり外傷が主で、銃創、爆発物被害、交通事故などがほとんどです。しかし、ここ2年間で市民の間で評判が広がりつつあるためか、患者数自体が急増しており、内科的疾患であっても重症患者が搬送されてくることもありました。

日常の診療に加えて、集団災害対策(MCP:マスカジュアリティー・プラン)の強化や一次蘇生(BLS)の定期的訓練を行いました。

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
朝はミーティングと回診から始まる 朝はミーティングと回診から始まる

週は土曜日から始まり水曜日まで、木、金は週末でした。通常の日は朝7時35分に宿舎を出てミーティングをし、その後はERとICUの回診と現地スタッフとの勉強会などを行いました。夜は17時30分もしくは18時30分にはなるべく帰宅するようにしていました。

夜は大抵、電話での診療相談や呼び出しがあり、週に数回は夜間にも病院に行っていました。週末は午前中のみ病院に行き、午後は特に何もなければ宿舎にいるように心がけていました。

勤務時間外は映画を見たりカードゲームをしたりしていましたが、夜間に病院から呼ばれることも多かったので、それに備えて21時には自室に戻って就寝することが多かったです。約6ヵ月の活動期間中、まったく病院に行かなかった日は、休暇期間を除いては2回のみでした。

Q現地での住居環境についておしえてください。

住宅環境は、個人の部屋が与えられ、場合によってはトイレとシャワーが部屋についていることもありました。Wifiも、やや不安定ではありましたが使えました。チームが大きいこともあり、個人でいてもグループでいても特に違和感なく個人の自由が尊重されていました。

唯一、治安上の問題で宿舎と病院以外は外に出られないので、行動制限に伴うストレスが最も大きかったです。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

この活動は緊急プログラムではなかったので、教育が中心の任務でした。年配の現地医師も多く、そういう方たちを対象に教育することは、立場のバランスをうまく保つ必要がありました。

どのスタッフも国を良くしたいという思いが強く、忍耐はかなり要しましたが根本的なところでのモチベーションが高いことに救われました。

特に印象に残っているのは、病院内の薬局が火事で全焼してしまう事件が起き、もともと限られた物資の中での活動が、さらに制限された状況での医療活動となったことです。また、4月の大統領選挙活動に伴った爆発事件による集団災害、さらには、選挙前後に病院に泊まり込みで緊急対応にあたったことなどがあります。

Q今後の展望は?
海外派遣スタッフの同僚と 海外派遣スタッフの同僚と

今回参加したプログラムは立ち上げから2年経っており、緊急対応プログラムではありませんでした。また、MSFの中でもICUや人工呼吸器を有する唯一の高次医療を提供しているプログラムでした。大多数のプログラムとは性質が違うので、通常の緊急派遣にも参加したいと思っています。

大きな需要がある所で、可能なことは続けていきたいと心底感じました。今後も年に1回程度の派遣を許可してもらえるような日本での勤務先を探し、地盤を固めてから次の派遣に行きたいと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

準備万端ということはありえないので、自分に出来ることを信じてまずは行動してみるのがいいと思います。ただし、人材管理の経験や能力は、やはりつけて行くほうが現地でのストレスは少ないですし、やるべきことが見えやすいと思います。

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