海外派遣スタッフ体験談
職場や家族の協力を得て臨んだエボラ対策プログラム
中山 恵美子
- ポジション
- 医師/救急医
- 派遣国
- シエラレオネ
- 活動地域
- ボー
- 派遣期間
- 2014年12月~2015年2月

- Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
-
2014年5月に、アフガニスタンでの6ヵ月の派遣活動を終えて帰国後、MSF参加以前に勤務していた病院と交渉を行いました。年に数ヵ月、MSFでの活動を許可して頂けるとのことで、7月に再就職させていただきました。
2015年の年明けまでは少なくとも現職場で、と思っていたのですが、帰国前からすでに話題になっていた西アフリカでのエボラ出血熱の勢いが、まったくとどまらないことに気が気ではありませんでした。大変迷いましたが、9月下旬には上司と、そして家族と相談し、MSFの緊急募集に対応する形で今回の派遣が決まりました。
- Q今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
-
エボラの社会的影響も大きかったため、職場や家族との話し合いの時を最も大切にしました。職場の協力なしには今回の派遣は不可能だったと思っています。職場の方々の理解に本当に感謝です。また派遣前の動揺は家族にとっても私自身にとっても大きかったと振り返っています。
エボラのトレーニングとしてはMSFのeラーニングで予習しました。またシエラレオネに入る前に2日間、基本知識や防護服(PPE: Personal Protective Equipment)を着用しての患者対応訓練がアムステルダムであり、ブリーフィングもしっかりしていたので、不安は大きかったですが現地入りのときには心も体も準備は出来ていたと感じています。
- Q今までどのような仕事をしてきましたか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
-
今回は緊急プログラムということもあり、前回の派遣とは期間も活動内容もセキュリティー状況も、すべてが異なりました。誰もがこれほど大規模なアウトブレイクを経験するのは初めてであり、手探りの中で可能なことをできる限り行う状況でした。
バイオセキュリティー上、すべての活動スタッフの安全のためにも現場の指揮系統を尊重することや、現地スタッフや海外派遣スタッフ間でのコミュニケーションの大切さは一際目立ったように感じます。前回の派遣でもこれらの点は意識していたのでよかったです。ミス・コミュニケーションは許されないので、特に電話での会話は反復するよう心がけました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?
-
医療チームの仲間たち(筆者中央)
今回のプログラムは、エボラの大流行に対する緊急対応プログラムでした。私の着任時、海外派遣スタッフは15~20人ほどでしたが、普段の派遣よりも水・衛生管理担当者(WATSAN:water and sanitation)チームが強化されていました。WATSANの役割は感染拡大を防ぐための衛生管理の徹底で、スタッフをエボラから守るのが仕事でした。
ボーの治療センターは約96人の確定患者と8人の疑い患者の収容が可能な設備でした。まっさらな空き地から施設を立ち上げたものでした。12月頃からは収容患者数が激減してきたことにより、現地スタッフは約半分に減らしましたが、それでも400人以上が働いていました。
医療チームは3交代制でシフトを組み、3時間に1回、定期的に高リスク区画へ入って入院患者のケアを行います。それに加え、回診や必要に応じた医療行為を行うための立ち入りも追加して行いました。
防護服を脱ぐ際、
WATSANが消毒スプレーをかける安全に活動するために防護服を装着し、高リスク区画内では1時間のみの活動と決められていたため、患者さんの近くにいられる時間も可能な医療行為も限られており、多くのジレンマに直面しました。
その他、スタッフ専用の診療所の運営も行いましたが、こちらでもエボラのスクリーニングを行いました。その際、エボラの疑いがない患者に対しても2mの距離を保つことが義務付けられており、触れることすら許されていません。2mの距離から見えることだけを最大限に活かして診療するということは、難しいばかりでなく、一般医療の水準をもさらに下回っており、ほかの病気で亡くなる方が多くいることに憤りを感じました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
-
アムステルダムでの事前トレーニングで一緒だったメンバーも数人同じプログラムに派遣になっていたこと、また、みなそれぞれの国で家族や友人からなかなか理解してもらえなかったり、時には拒絶されたりしながらも、「現地で苦しむ人のために」という同じモチベーションを持って集まってきていることに勇気づけられました。
医療チームはそれぞれがシフトに組み込まれて活動しました。勤務時間外は少し散歩にでたり、映画を見たりして過ごしました。
- Q現地での住居環境についておしえてください。
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仲良くなったスタッフとも、
ノー・タッチは徹底治安はとてもよく、人ごみを避けるため決められた区間であれば自由に歩くことが許されていました。もちろん、ノー・タッチ(一切触れない)、2m離れる、というルールには変わりありません。
住居はホテルとして使っていた設備を借りていました。特に今回は、部屋にトイレやシャワーもついており、食器はもちろん、何一つ他人と共有しないバイオセキュリティー上の理由も大きく影響していたようです。
MSFのほかのプログラム(特に緊急プログラム)と比べるとかなりよい住居環境だったと思いますが、ノー・タッチの方針は意外にストレスでした。落ち込んでいる同僚の肩をポンとしてあげることもできないのは、なんだか無力感を覚えました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。
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治癒証明書へのサインは光栄な瞬間。
日本語でサインした。一番はやはり現地スタッフの想いです。彼らもまた家族をエボラで失い、それでもこの国を救いたいと、社会から迫害を受けながらも治療センターで働くことを決心した人びとです。その、人を愛する気持ちと使命感に心を揺さぶられました。
MSFの治療センターでも特に小児の死亡は多く、無力さを覚えるとともに、それでも自分に出来ることを模索する日々でした。そんななかでもやはり、治癒して喜びを爆発させ踊りながら退院していく患者と気持ちを共有できたことは、この上ない喜びでした。
- Q今後の展望は?
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前述の通り、日本の総合病院で今までどおり働かせていただけることになりました。年に3ヵ月はMSFの活動に参加する予定です。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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自分に何ができるだろうか、というのは、実際にそのフィールドに行って話をたくさん聞かないとわからないものだと実感しています。難しい問題もいろいろありますが、自分の芯にある「人を愛する気持ち」を大切にしていれば、どの道を進むのがいいのかがわかってくると思います。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2013年10月~2014年5月
- 派遣国:アフガニスタン
- プログラム地域:プログラム地域
- ポジション:救急医