内戦が6年目に突入したイエメン。いま世界で最も深刻な人道危機にあると言われる。長引く混乱と爆撃の中、飢餓や感染症の被害などが広がり、国連によると国民の8割が支援を必要としている。
南西部にあるタイズ県は激しい戦闘の最前線だ。かつて人であふれていた市街地は破壊され、どの路もわびしい行き止まりと化している。行く手が阻まれ、医療にアクセスすることも、家族や友人と会うことも叶わない。
タイズのフーバン地区には、国境なき医師団(MSF)母子病院がある。スタッフや患者らが、それぞれ忘れられぬ過酷な経験を語った。
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医療に手が届かない
サナは、MSF病院で総合診療や小児科を担当する医師だ。医科大学を卒業してすぐ、紛争が勃発したという。
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「仕事に就いた時には、すでに内戦が始まっていました。数分前までいた診察室に、戦車から発射された砲弾が直撃したことは、今でも忘れられません。まさに間一髪でした。
患者さんが抱えるさまざまな問題には、環境に端を発するものが多いんです。栄養失調であっても健康に気づかう余裕がなかったり、悪路や遠距離で来院が困難だったり。診療所はどこも閉鎖されていますし、この地域には公立病院もありません。
近隣の病院は私営で診療費が請求されるので、内戦によって収入が得られなくなった人びとは行くことができません。命がけでMSF病院にたどり着いても、もはや手遅れで処置のしようがなかったり、すでに亡くなっていたりする患者さんもいるのです」
同じ病棟に勤務するハナ医師。保守的な家庭に育ちながらも、病院で働くために、違う都市に住む家族から離れて暮らす決心をした。「こんな戦時状態だからこそ、自立し強くなれた」と言う。患者とのやり取りでは、こんなエピソードを明かす。
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「高血圧と子癇(しかん)前症で到着した患者さんが、急性の合併症を起こしていました。理由は長距離の移動です。患者の母親に事情をよく聞くと、棺桶に入れて、山あいのでこぼこ道を3時間かけて搬送したというのです。何とかたどり着けたと喜んでいましたが、この出来事は忘れられないだろうと思います」
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バルキ—スさんは3人目の子を産んだばかり。自分の村にある診療所で出産したが、赤ちゃんに病院での治療が必要な症状が見つかった。
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「この子は生後48日です。黄疸が出たので診療を受けました。今回で2度目の入院です。この病院に来るには2時間かかりますが、道が悪くて出産したばかりの身にはこたえます。4日経った今日もまだ疲れが取れません。
紛争が始まるまでは、気楽で心も落ち着いていられました。いまは誰もが脅えています。親や親類の顔を見たくても、以前は1時間ほどだった距離が、今は朝出発して夕方に到着できるかどうか。会うこともままならないのです」
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家族に会えない
ザルアはMSF病院の警備を担う。内戦で身体に麻痺を負って歩けなくなった夫は、自動車事故で亡くなった。
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「私の家族の中には拉致され、拷問を受けた兄弟もいます。
身が危うくなり、やむなく家族を隣国のジブチに脱出させました。親類のところに1年いたのですが、生活費が高く、仕事に就くこともできない。それで家族は、生きるのさえ厳しいこの町に、また戻らざるを得ませんでした。
父の自宅を前回訪ねたとき、フーバン地区に移ることを説き伏せたんです。そしてフーバンへ向けて引っ越したその日に、家が銃撃されました。もし父がいつものように居間で腰を掛けていたら、死んでいたでしょう。辺り一面、弾痕だらけになりました。でも幸運なことに私たちはその襲撃を生き延び、無事フーバンに父を連れて来られたのです」
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ワリドも同じくMSF病院で働く警備員。「何不自由なく暮らしていた」という内戦前には、エンジニアをしていた。
「多くの人は収入源を奪われ、病院の同僚には複数の世帯を支えている者もいます。こんなときは職があるだけでも感謝です。
道路が封鎖されて、通勤するのも大変な時期がありました。自宅に戻れない時は、病院の近くに車を止めて、車中泊をしていました。朝になって同僚のシフトが終わり次第、仕事が始められるように。
紛争が激化した2016年当時、仕事が集中するのは夜間の外傷治療施設でした。負傷者を絶え間なく受け入れ、病室がけがをした人であふれていました」
イエメンのタイズは、この内戦で最も長期にわたり戦場となってきた。激しい戦闘が街全体を巻き込み、無数の検問所や道路封鎖、移動し続ける戦線によって、この地域は分断された。その状況は今日に至っても変わっていない。タイズ市民にとって近年の思い出といえば、この終わりの見えない紛争のことだけだ。
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