スーダン:人道状況は待ったなし──ハルツームの病院で国境なき医師団が活動再開 日本人スタッフが内戦下の実情を語る

2025年05月23日
ハルツーム州オムドゥルマンのアル・ブルク病院に入院している女の子。情勢不安の中、国境なき医師団はこの病院の支援を続けている=2025年3月9日 © MSF
ハルツーム州オムドゥルマンのアル・ブルク病院に入院している女の子。情勢不安の中、国境なき医師団はこの病院の支援を続けている=2025年3月9日 © MSF

国境なき医師団(MSF)は5月9日、スーダンの首都ハルツーム南部にあるバシャール教育病院での活動を再開した。2023年4月にスーダンで内戦が始まって以来、MSFはバシャール教育病院で病院スタッフやボランティアとともに医療援助を行ってきたが、度重なる暴力により2025年1月に活動を一時停止していた

再開にあたり、MSFは保健省と連携し、深刻な医療ニーズ──特に感染拡大が懸念されるコレラに最優先で対応していく構えだ。

「バシャール教育病院では、20床のコレラ治療ユニットを設け、患者の受け入れに備えています。60人以上の病院スタッフへの研修は完了し、コレラ関連の医療物資も病院に到着しています」とスーダンのMSF医療コーディネーターであるスレイメン・アンマルは話す。
 
「内戦は医療へのアクセスに壊滅的な影響を与えています。ハルツーム南部を含む首都内の多くの地域で、人びとは依然として命を守るために不可欠な医療でさえ、受けることができません」

バシャール教育病院をはじめ、各地域での医療サービスの再開と拡大は、もはや待ったなしの状況です。

スレイメン・アンマル スーダンのMSF医療コーディネーター

バシャール教育病院で、銃弾の摘出手術の準備をするMSFスタッフ=2023年5月13日 © Ala Kheir/MSF
バシャール教育病院で、銃弾の摘出手術の準備をするMSFスタッフ=2023年5月13日 © Ala Kheir/MSF

度重なる暴力 何度も停止した医療活動

ハルツーム州およびスーダン全土の多くの医療施設と同様、バシャール教育病院も2023年4月に内戦が勃発した際、機能を停止せざるを得なかった。しかし数週間後、医療従事者とボランティアにより病院は再開され、人びとは引き続き医療を受けられるようになった。
 
同年5月9日にはMSFの外科および医療チームが加わり、救急医療と外科手術の提供を開始。それから5週間で、救急治療室には1000人以上の患者が訪れ、900人以上の外傷患者に対応した。

一方で、過去2年の間に、MSFは何度も活動の停止を余儀なくされた。2023年には、ハルツーム州への外科用医療物資の輸送が禁止され、帝王切開や外科治療を含むすべての外科的処置を、数カ月にわたって停止せざるを得なかった。

また、2024年11月と12月には、バシャール教育病院内で患者が殺害されるなどの暴力事件が発生し、活動が一時的に中断した。そして、2025年1月には武装勢力が再び病院に侵入し、MSFはこの病院でのすべての活動を停止するという苦渋の決断を下した。

2023年9月に起きた爆発で、多数の負傷者を受け入れたバシャール教育病院=2023年9月10日 © Marie Burton/MSF
2023年9月に起きた爆発で、多数の負傷者を受け入れたバシャール教育病院=2023年9月10日 © Marie Burton/MSF


このような状況下でも、20カ月にわたり、MSFはボランティアや病院スタッフと共に、暴力と破壊の中に取り残された人びとに医療援助を行った。この間、重症や重病を患った人びとが次々と病院に運び込まれ、この地域における医療ニーズの深刻さを目の当たりにした。

例えば、2023年8月に近隣で起こった爆撃では、2日間で200人以上の負傷者に対応した。その翌月には産科病棟を再開し、最初の2週間で40人の赤ちゃんが誕生、そのうち7件で帝王切開を実施した。

膨大なニーズ 援助拡大が急務

現在、ハルツーム州の情勢は以前よりもだいぶ落ち着きを取り戻したが、内戦により多くの病院や医療施設が被害を受けたり、閉鎖されたりしており、完全に機能しているとは言い難い状況だ。

MSFはバシャール教育病院の再開のほか、ハルツーム中心部と南部で移動診療による基礎医療を支援し、州内の各地域でも医療活動の再開を進めている。

また、ハルツーム州オムドゥルマンのアル・ブルク病院やアル・ナオ病院でも医療活動を継続しており、コレラ治療ユニットを運営するとともに、この地域の水と衛生のサービスの改善に向けた活動も行っている。
 
「ハルツーム州のニーズは依然として膨大です」とスーダンで緊急対応コーディネーターを務めるクレア・サン・フィリポは言う。
 
「現在のコレラの流行は、ハルツーム州で暮らしている人びとや、他の地域から帰還して来た人びとが直面している課題の一つに過ぎません」

スーダン全土で、必要としているすべての人びとが医療を受けられるよう、人道援助は拡大されるべきであり、アクセスの確保と医療の保護が必要です。

クレア・サン・フィリポ スーダンの緊急対応コーディネーター

事故に遭い、ハルツーム州オムドゥルマンのアル・ナオ病院に入院している親子=2025年3月9日 © Tom Casey/MSF
事故に遭い、ハルツーム州オムドゥルマンのアル・ナオ病院に入院している親子=2025年3月9日 © Tom Casey/MSF

「最後の一錠が尽きるまで、全力を尽くす」──末藤千翔が見たハルツーム

2023年の内戦開始直後、MSFスタッフの末藤千翔がハルツームで活動していた。当時の現地の様子とMSFの活動を報告する。

末藤千翔 © Chika Suefuji/MSF
末藤千翔 © Chika Suefuji/MSF
2023年6月から12月、私はハルツーム南部にあるトルコ病院で、MSFのプロジェクト責任者(プロジェクトコーディネーターおよび現地活動責任者)として活動しました。この病院は保健省が運営し、MSFが医療支援を行っていた施設で、バシャール教育病院からも10キロメートルほどの場所にありました。
 
私が着任したのは、内戦が始まって約2カ月がたった頃。ハルツームはすでに銃弾にさらされ、焼け焦げた車両が道端を埋め尽くし、街には人影もほぼありませんでした。

水も電気も止まり、通信手段も食料も、そして何より医療物資が圧倒的に不足していました。スーダン全土の70%以上の医療施設が機能を失う中、トルコ病院では一日に13件もの緊急帝王切開を行うこともありました。

病院の敷地内は治療を求める人びとだけでなく、安全な場所や飲み水を求める人びと、家族と連絡を取り続けるために携帯電話を充電したい人びとなどで埋め尽くされていました。

7月のある朝、病院の前でいつもお茶とコーヒーを売っている人たちがいない──私は直感的に「何かが違う」と感じました。その日、私たちの活動地域が戦闘の最前線となったのです。

トルコ病院 © MSF
トルコ病院 © MSF
病院は負傷者であふれ、輸血用の血液が足りず、レントゲンや検査も追いつかない。外科手術はヘッドランプの光をたよりに行い、備品の消毒には圧力釜を使うしかありませんでした。

病院や医療従事者さえも攻撃の対象となる中、私はプロジェクト責任者として、医療活動の継続と患者のアクセス確保のため、紛争当事者との対話を重ね、病院とそこで働く人びとの安全を訴え続けました。

一日100人以上もの手当に追われ、医療物資も底をつき始め、ローテーションも組めないような過密スケジュールで働く同僚たち。そこに「バシャール教育病院近くの市場で攻撃があり多数の傷病者が出た。手を貸してほしい」との一報がバシャール教育病院で働くチームから入りました。

私はすぐに緊急ミーティングを開き、「受け入れの余地はあるか」と問いかけました。そのとき、誰一人として迷いませんでした。

私たちは多くの人にとって“最後の希望”だ。一人でも多くの命を救うために、最後の一錠が尽きるまで、全力を尽くす。

トルコ病院で働くMSFスタッフ

この言葉は、今も私の胸に深く刻まれています。

私が見たのは、戦争で最も深く傷つくのは一般市民であるという現実。そして、そこに生きる人びとも、支援に駆けつける人びとも、日々「不可能な決断」を迫られているということです。それでも、人びとは手を取り合い、希望をつなごうとしていました。

スーダンの内戦はいまだ終息の兆しが見えず、「世界最大の避難民危機」そして「世界最悪の飢餓危機の一つ」とも言われています。この危機が忘れ去られないように、そして一日も早く人びとが安心して暮らせる日が来るように、MSFは声を上げ続けます。

「ベビーベッドの入手が不可能だったため、廃材を使って自ら溶接して作り新生児室に設置しました」=2023年 © Chika Suefuji/MSF
「ベビーベッドの入手が不可能だったため、廃材を使って自ら溶接して作り新生児室に設置しました」=2023年 © Chika Suefuji/MSF

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