「そして、光が見えた」 最も危険な移民ルート、地中海──生存者が語る救助の瞬間

2022年10月03日
飲み水もない中、3日間漂流していた人びと。脱水症状を起こしていた人は、救助の後すぐに治療を受けた=2022年8月29日 Ⓒ Michela Rizzotti/MSF
飲み水もない中、3日間漂流していた人びと。脱水症状を起こしていた人は、救助の後すぐに治療を受けた=2022年8月29日 Ⓒ Michela Rizzotti/MSF

欧州を目指す移民・難民にとって、地中海は最も死の確率が高いルートだ。2021年には、国境なき医師団(MSF)が把握するだけでも、2万5000人以上が航海中に海で命を落としている。それにも関わらず、紛争や暴力、貧困から逃れるため、いまも多くの人びとが危険を顧みず、海を渡っている。

MSFの捜索救助船ジオ・バレンツ号は今年6月以降、地中海を横断していた遭難船から、未成年者や少女、乳児を含む1418人を救助。ガーナ、エリトリア、シリア出身の生存者から、彼らがたどった危険な道のりと救助の瞬間について聞いた。

※仮名を使用しています

ジオ・バレンツ号に助けられる夢

レベッカさん(30歳)/ガーナ出身/ドイツに夫がおり、彼女の到着を待っている。

ガーナからの旅路は長く、ここに来るまでに11カ月もかかりました。陸路でまずブルキナファソ、次にニジェールへ向かいました。この道のりは特に危険なものでした。夏の砂漠を乗り合いの車で横切って進むため、日に焼かれた私の肌はまるで太陽のようにぎらぎらと熱かったのを覚えています。

リビアのトリポリへ移動する際には別の運転手に変わりましたが、どちらにも性行為を求められました。幸い、他の乗客が皆で私を守ってくれたので、暴行を受けずに済みました。もし一人でいたら、レイプされていたでしょう。

トリポリから欧州へ、初めて海を渡ろうとしたのは2021年10月11日。海上で2日間過ごした後、私たちはリビアの沿岸警備隊に捕まり収容センターに送られました。携帯電話を取り上げられ夫に連絡ができませんでしたが、夫は私が収容センターにいると突きとめ、お金を送ってくれたため、収容所から出ることができました。

2回目の渡航は今年の4月です。その時、私たちの船では2人が亡くなりました。別の遭難船には2人しか生存者がおらず、その2人を連れ、リビアに電話で救助を求めたのです。

3回目は7月7日。午前10時半に出発し、救助されるまで15時間、他の乗客と一緒に海上にいました。途中で眠ってしまいましたが、「ランペドゥーザ島だ!」と言う声で目が覚めたのです。そして、2隻の小さなボートが近づいてくるのが見えました。ジオ・バレンツ号を見て、皆とても興奮していました。

長いこと夫に電話もできずにいましたが、彼は毎日、船の位置を確認していました。疲れ果てて、あきらめたくなることもありました。収容センターや地中海の渡航がどんなものか、私は何も知らず、夫は「悪いことは何も起こらない。君は大丈夫だから、来なさい」と励ましてくれていました。

実は、3週間前に夫から「夢を見た」と言われたのです。それは私がジオ・バレンツ号に助けられる夢だったそうです。そして、それは現実になったのです。

遭難した木造船から救助され、ジオ・バレンツ号の船内で過ごす女性たち=2022年7月25日 Ⓒ Rahul Dhankani/MSF
遭難した木造船から救助され、ジオ・バレンツ号の船内で過ごす女性たち=2022年7月25日 Ⓒ Rahul Dhankani/MSF

クッキー1枚と少しの水で出発

セラムさん(25歳)/エリトリア出身/自国では徴兵を拒否し刑務所に入れられる。その後エチオピア、スーダンを経由してリビアにたどり着いた。

リビアは何もかもが恐ろしく、私たちが聞いていた話とは大違いでした。倉庫に入れられ、食料ももらえません。飢えや撃たれて亡くなる人がいました。警察がやってきたので、皆でなんとか逃げ出すことができたのです。

ある時、仲介業者の一人に「海を渡るのを手伝ってやる」と言われました。もう5カ月も待っていましたから、渡航をあきらめた人や、別の仲介業者に頼む人もいました。どうすればいいのか、どの仲介業者を選べば確実なのか、正確な情報をつかむのは難しかったです。渡すお金が安ければ、十分な燃料が積まれていない可能性もあります。私はラッキーな方だと思います。渡航を試みている間に5年たってしまった人たちもいましたから。

MSFのスタッフに救助されるまで、私たちは5日間、燃料もなく海で過ごしていました。出航した時にもらえたのは、クッキー1枚と水が少し。乗っていた船は満員だった上に、強度が足りず、数キロ走ると水が入ってくる状態でした。とはいえ、私たちに選択の余地はありません。海上からリビアに電話しましたが、誰も助けには来ません。ボートがそばを横切って行ったのに、止まりませんでした。

MSFのチームは遭難したゴムボートから71人を救助=2022年6月27日 Ⓒ Anna Pantelia/MSF
MSFのチームは遭難したゴムボートから71人を救助=2022年6月27日 Ⓒ Anna Pantelia/MSF

エジプト人が乗る船とすれ違った際は、何人かが海に飛び込みました。ところが、泳いでたどり着いた船は、既に満員。その後、遠くにジオ・バレンツ号が見えたのです。私たちは疲れ果て、何もかもが限界に達していました。それでも、2隻の小型救助ボートが近づいて来た時には水中に飛び込んで注意を引く人もいました。誰もが死に物狂いでした。

同じようなルートで欧州への渡航を試みた人の話を聞き、自分も試してみたいと思ったのですが、これほど難しいとは思いもしませんでした。私には弟がいますが、このような目には遭わせたくありません。

救助された人びとは極度に疲労し、病気の症状を訴える人も多い=2022年7月7日 Ⓒ Lorène Giorgis/MSF
救助された人びとは極度に疲労し、病気の症状を訴える人も多い=2022年7月7日 Ⓒ Lorène Giorgis/MSF

幾度もの挑戦の末、見えた光

ハッサンさん(12歳)/シリア出身/レバノンで育つが1年前にシリアに帰国。弟の病気の治療のため欧州を目指し、リビアへ渡る。

僕が最初に渡航を試みたのは、2021年のイスラム教の祭日でした。グラスファイバー製のボートに17人で乗り込み14時間ほど海上にいましたが、リビア沿岸警備隊に止められ、収容センターに連れて行かれました。そこで全てを奪われました。所持金300ドル(約4万3721円)も、携帯電話も、パスポートも。5日間身柄を拘束された後、ようやく出してもらえたのです。

2回目は、風が強く海が大しけの日でした。多くの人は乗船を拒否しましたが、僕は乗ることにしました。出発から15分後、ボートは転覆し、僕らは全員水中に投げ出されました。波の高かったこと! 最初から一緒に旅をしていた16歳の青年が溺れて亡くなりました。僕は助けられてボートの上に乗せられました。5時間ほどたったでしょうか、太陽が昇り、リビア沿岸警備隊がやってきて救助されました。

転覆した別のボートには赤ちゃんを連れたあるモロッコ人女性がいました。女性が沿岸警備隊に赤ちゃんを渡したところ、赤ちゃんが海に落ちてしまったのです。お母さんは子どもを取り戻すため海に飛び込もうとしましたが、沿岸警備隊に止められて……。赤ちゃんは水の中に消えていきました。

救助される人びとの中には、生まれて間もない乳児がいる場合も=2022年7月27日 Ⓒ Rahul Dhankani/MSF
救助される人びとの中には、生まれて間もない乳児がいる場合も=2022年7月27日 Ⓒ Rahul Dhankani/MSF

次に試みたのは、500人近くを乗せた木造船での渡航です。リビアの沿岸警備隊にお金を払い、僕らの旅を手助けしてもらうという計画です。船に乗った時には、沿岸警備隊員も一緒でした。しばらくすると、隊員は去り、僕らはチュニジア方面を目指し、航海を続けたのです。

しかし今度は、チュニジア軍がやって来て、僕らはチュニジアに連れて行かれました。チュニジアとリビアの国境まで行き、「リビアに行くならこの道だ。チュニジアに戻ってくるなら撃つぞ」。そう、言われ、リビア側へ戻りました。

最後の挑戦では、30マイル(約48キロメートル)ほど航行したところでエンジンが壊れました。仲介業者に連絡したところ、男性が別のエンジンを持ってきてくれましたが、うまく動きません。

そうこうしているうちに、光が見え始めたのです。ボートを運転していた人が仲介業者を呼び、「大きな船が見えた」と伝えると、仲介業者はこう言いました。「あの船に向かっていくように。あれは救助船だから」と。すると、小さなボートがやって来て、僕らを助けてくれたのです。

午後11時頃、遭難したボートから未成年者を含む13人を救出するMSFのチーム=2022年7月25日 Ⓒ Rahul Dhankani/MSF
午後11時頃、遭難したボートから未成年者を含む13人を救出するMSFのチーム=2022年7月25日 Ⓒ Rahul Dhankani/MSF
6月以降、MSFの捜索救助チームは26件の救助を行い、船内で1293件の診察を行った Ⓒ Lorène Giorgis/MSF
6月以降、MSFの捜索救助チームは26件の救助を行い、船内で1293件の診察を行った Ⓒ Lorène Giorgis/MSF

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