ヨルダン川西岸:嫌がらせに耐えるか、治療を諦めるか──紛争の影でエスカレートする暴力と妨害、そして医療への攻撃

2024年05月23日
ヨルダン川西岸北部ジェニン地区の難民キャンプ内を歩くMSFスタッフ。軍事侵攻が起きると、キャンプに住むパレスチナ人は医療施設へのアクセスが遮断され、閉じ込められてしまう=2024年3月26日 © Candida Lobes
ヨルダン川西岸北部ジェニン地区の難民キャンプ内を歩くMSFスタッフ。軍事侵攻が起きると、キャンプに住むパレスチナ人は医療施設へのアクセスが遮断され、閉じ込められてしまう=2024年3月26日 © Candida Lobes

パレスチナで暴力が激化しているのは、激しい紛争が続くガザ地区だけではない。ヨルダン川西岸地区でもイスラエルによる制限、そして攻撃や暴力が、ガザでの紛争が勃発した2023年10月7日以降、ますます増加している*。

ヨルダン川西岸地区は、イスラエルとヨルダンの間に位置する地域だ。国際法上はイスラエルの占領下にある。国連によると、地区の約61%はパレスチナ人の立ち入りが禁止されている。さらに、地区内と東エルサレムには計約63万人のイスラエル人入植者がいるとしている。

イスラエル軍と入植者らは、各地に検問所を設け、道路を封鎖し、町や村を遮断することで、パレスチナ人が医療や物資の購入など基本的なサービスにアクセスすることを長い間、妨害してきた。

その結果、住民は水や燃料などあらゆる生活必需品が不足し、さらに、学校や職場、家族や友人からも切り離された状態が続いている。

窓辺にいるだけで襲撃される──急増する残忍な暴力

ブドウ畑が連なる山岳地帯にある街ヘブロン。ブドウ栽培の始まりは数千年前にさかのぼり、ヨルダン川西岸地区で最も古い都市のひとつだ。そんな豊かな歴史を持つヘブロンが今、エスカレートする暴力にさらされている。
 
「私たちは何時間も歩いて医療施設に行きます。病人を病院や診療所に運ぶためにロバを使うこともあります」と、ヘブロンに住むパレスチナ人男性、マフムード・ムーサ・アブエラムさんは言う。

この地域には長い間交通手段がなく、たとえどこかの診療所に送ってくれる車があっても、イスラエル軍はその車を没収してしまうのです。

パレスチナ人男性 マフムード・ムーサ・アブエラムさん

特にヘブロン南方のマサーフェルヤッタ地区では、道路の封鎖、イスラエル軍の襲撃、入植者による攻撃が相次いでおり、医療施設へのアクセスが以前にも増して困難になっている。さらに、資金不足や軍による規制、貧弱なインフラにより町へのアクセスが制限され、どの地元組織も基本的な医療サービスを提供することができず、事態は悪化の一途をたどっている。

物理的な移動が難しい一方で、この地区での暴力の深刻さは、多くのパレスチナ人を家に閉じ込める要因ともなっている。

「家の窓際にいることさえ、禁じられています」と、国境なき医師団(MSF)の患者だったパレスチナ人は言う。

「ある日、私が窓辺に立っていると、入植者が私を見て、兵士に何か言いました。すると、その兵士は私の家を襲撃し、家の中のすべてを破壊したのです」

ヨルダン川西岸北部のジェニン難民キャンプの路上=2024年3月26日 © Candida Lobes/MSF
ヨルダン川西岸北部のジェニン難民キャンプの路上=2024年3月26日 © Candida Lobes/MSF

相次ぐ医療への攻撃 救急隊員に迫る限界

たとえヨルダン川西岸地区でパレスチナ人が医療施設にたどり着けたとしても、彼らや医療スタッフの安全は保障されていない。世界保健機関(WHO)によると、2023年10月以降、イスラエル当局はヨルダン川西岸地区の医療機関に対し、447件以上の攻撃を行った。
 
とりわけジェニン地区とトゥルカレム地区は、イスラエル軍の空爆や無人機(ドローン)による攻撃が繰り返され、犠牲者が出ている。西岸地区北部では入植者による暴力も日常的に起き、パレスチナ人の日々の暮らしを妨げている。

また、軍事侵攻の最中、両地区の難民キャンプに住むパレスチナ人は医療施設へのアクセスが遮断され、キャンプ内に閉じ込められてしまう。命にかかわる傷を負った人びとも、多くは病院にアクセスできるようになる前に亡くなってしまう。この事態に対し、MSFは両地区の救急医療を強化し、寄付や研修を通してボランティアの救急隊員を支援している。 

トゥルカレム地区で、救急の外傷ケアの実地訓練を行うMSFスタッフ=2024年3月26日 © Oday Alshobaki
トゥルカレム地区で、救急の外傷ケアの実地訓練を行うMSFスタッフ=2024年3月26日 © Oday Alshobaki

とはいえ、救急隊員にも命の危険は否応なく迫って来る。

4月21日、トゥルカレムとヌールシャムスのキャンプで、ボランティアの救急隊員が勤務中に足を撃たれた。しかし、攻撃と妨害が続いたため、 彼が病院に到着するまで7時間かかった。

別の事件では、頭を撃たれた16歳の少年に、MSFスタッフが心肺蘇生を施したが、救うことはできなかった。

「少年の父親はMSFの訓練を受けた救急隊員で、救急車の中で働いているときに息子が殺害されたことを知りました」と、MSFプロジェクト・コーディネーターのイッタ・ヘランドハンセンは言う。

ただでさえ少ない医療スタッフだが、彼らも限界に追い込まれている。

「ほとんどの場合、救急車は検問所で阻まれます。緊急時やサイレンを鳴らしているときでさえもです」と、ヘブロンとベツレヘムの間にあるアル・アルーブ難民キャンプの医療従事者は言う。

「どれくらい待たされるかは、緊急の程度ではなく、兵士の気分次第です。1時間も2時間も待たされることもあれば、別の道を指示されることもあります。イスラエル軍の銃で撃たれた場合は、患者が逮捕され、救急車を没収されることもあります」

そのとき患者がどうなるのか──病院に運ばれるのか、刑務所に運ばれるのか、刑務所で治療を受けるのか、私たちにはわかりません。

アル・アルーブ難民キャンプの医療従事者

医療を受けるためには、長い待ち時間と検問所での嫌がらせに耐えるか、治療を受けることを諦めるか──選択肢は二つに一つだ。
 
「10月7日以前は、状況はまだいい方でした。目的地へは別のルートで行くことができましたし、心のケアのセラピストは、セッションを続けられるように連絡をくれました」とMSFでケアを受ける患者は言う。
 
「セッションを受けると、心が安らぎます。ここにいると、自分が危険にさらされているようには感じないのです」 

ジェニン地区で心のケアのセッションを行うMSFスタッフ。住民の心の状態を把握し、必要に応じて専門サービスへの紹介も行う=2024年3月26日 © Oday Alshobaki
ジェニン地区で心のケアのセッションを行うMSFスタッフ。住民の心の状態を把握し、必要に応じて専門サービスへの紹介も行う=2024年3月26日 © Oday Alshobaki

ヨルダン川西岸におけるMSFの取り組み

MSFは1989年以来、ヨルダン川西岸で活動を続けている。 
 
マサーフェルヤッタ地区:2023年末までウンム・クッサ、アル・マジャーズ、ジンバの3カ所で移動診療を運営。外来診療、リプロダクティブ・ヘルスケア(性と生殖に関する医療)、心のケア、栄養スクリーニングなどを行った。2024年はヘブロン地区での移動診療を13カ所に増やし、1月から3月までの間に6000件以上の外来診療と、新患の診療やフォローアップを含む約1400件の心のケアのセッションを提供した。

ヘブロン地区
:孤立した患者の継続的なケアと基礎医療へのアクセスを確保するため、活動を適応・拡大している。また、心の問題を抱える人びとに、適切な支援とケアを届けるため、心のケアも提供している(心のケアはナブルスでも実施している)。

ジェニン地区、トゥルカレム地区
:死傷者が多数に上ったり、病院内へのアクセスが妨げられた場合に備え、病院内外で応急処置や救命サービスを提供できるよう、パラメディカル(医師以外の医療従事者)の支援やトレーニングを行っている。

*国際連合人道問題調整事務所(OCHA)によると、2023年10月以降の数カ月間に、116人の子どもを含む479人のパレスチナ人が命を落とし、そのうち462人がイスラエル軍に、10人が入植者に、8人が入植者または兵士に殺害された。また、これらのパレスチナ人の3分の1は、トゥルカレム地区とジェニン地区近郊の難民キャンプで殺害された。 

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