世界エイズデー:「私はいま生きている」 ケニア、HIVとともに生きる女性の14年
2020年12月01日12月1日は、世界エイズデー。HIV感染が「死の宣告」と言われた時代は終わり、適切な治療を受けることで対処可能なものとなった。そこにはどんな変化があったのか。国境なき医師団(MSF)が1997年に活動を開始し、HIV感染率が大幅に低下したケニア・ホマベイ郡から、一人の女性の声とともに伝える。
「あなたは呪いをかけられている」
14年前、35歳の時の体重はわずか30キロ。ミリアム・アニャンゴさんは2006年当時、頻繁な下痢に打ちのめされていた。衰弱しきった体で伝統療法を受けたものの、一向に回復の兆しは見えなかった。
「薬草療法師には、『あなたはチラ(呪い)をかけられている』と言われ、大量の薬草を飲まされました。牛の病気の治療に使う注射までされるところだったんです。本当に下痢がひどくて、プラスチックの洗面器がベッド替わりになっていました」。ミリアムさんは笑い交じりに当時を振り返る。
自宅から20キロ離れた町の病院まで行って検査を受け、HIV陽性と診断された。「何とか治療をしてほしい」と、6人の子どもを育てているミリアムさんは泣きながら医師に訴えた。しかし答えは、「あなたは別の保健区に住んでいるからここでは治療できない。ホマベイの病院への紹介状を書くのが精いっぱいだ」というものだった。
翌日早く、ミリアムさんは紹介状を大切に財布へ入れ、自宅から約30キロ離れたホマベイの病院を訪ねた。
「医師が私の血液を採取し、CD4陽性リンパ球(白血球の一種)を調べると、皆が驚いていました。1立方ミリリットルあたり2個の白血球しか残っていなかったのです。他の医師たちも寄ってきて、これまで何回入院したのかと聞かれたので、『一度もありません』と答えました」
それから、複数のHIV治療薬を組み合わせる抗レトロウイルス療法による治療が始まった。2カ月も経つと治療の効果が現れ、目に見えて健康を取り戻した。ホマベイへの頻繁な通院は楽なものではなかったが、その後自宅に近い病院で治療が受けられるようになった。
ミリアムさんは第一選択薬に耐性ができてしまったため、いま、より強力な第二選択薬で治療中だ。それでも、彼女はこれまでにないほど自信に満ちている。
「私はいまも生きています。薬をきちんと飲み続ければ、HIVでなく寿命で命を全うすることができます。6人の子どもたち全員の成長を見届けて、あの子たちの人生を有意義なものにしてあげたいのです」
HIV感染率に変化が
ケニア南西部のホマベイ郡では、長年にわたってHIV感染率が国内でも特に高い状況が続いてきた。MSFは、1997年にホマベイで活動を開始し、ホマベイ地区病院や他の医療施設で、抗レトロウイルス療法による治療を無償で提供している。
2012年、MSFはホマベイ郡のンディワ準郡において、HIVに関する調査を実施した。感染率、人びとの感染の自覚度合い、また、抗レトロウイルス療法の適用率などを包括的に調査するものだ。この調査の結果、ンディワの人びとのうちHIV検査を受けたことがある人は59%に留まることが判明。この59%の集団の24%に、陽性の検査結果が出ていた。全国平均の感染率4%と比べて高い数字だ。しかし抗レトロウイルス療法を受けていたのは、HIV陽性者の68%に過ぎなかった。また、多くの患者が、地元の診療所ではなく中核病院で経過観察や治療を受けており、継続的なケアが途切れてしまっていることも分かった。
そこでMSFは、地元の医療施設で検査や治療が受けられるよう支援を始めた。それ以前は検査結果を得るまでに何週間も要したが、1時間以内に検査結果が分かる分析装置の導入や、検体収集と結果の通達にバイク運搬を導入することで、大半の検査で24時間以内の完了が実現した。
そして2018年、MSFはンディワ準郡で2度目の調査を実施。その結果、HIVの感染率が前回調査の24%から17%へと大幅に下がったことが明らかになった。HIV検査率は93%、抗レトロウイルス療法による治療開始率は97%、ウイルスを抑制できた患者は95%と、いずれも大きな改善が見られた。
いま世界では、HIV陽性者数は3800万人、エイズによる死亡者数は年間69万人に上る(※)。治療において大きな前進はあるものの、HIVとの戦いは終わりには程遠い。これまでに得られた成果を維持し、MSFはさらなる改善のための活動を続けていく。
※国連合同エイズ計画 2020年発表(数値は2019年末時点)